2025年9月号 LIFE [ウクライナ・ダイアリー]
若者がデモを主導した。/「段ボール革命」と呼ぶ声もある。
ウクライナ大統領府を見上げる場所に位置する首都キーウのイヴァノ・フランコ広場に続々と人が集まってきた。みな段ボール箱の切れ端を抱えており、そこに思い思いの言葉をマジックで書き込む。
「2013年に逆戻りするつもりか」
「私の兄はこんな法律のために前線で戦っているのではない」
「ヴォヴァ(元コメディアンの大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーの愛称)、これは笑えないぞ」
汚職対策を担う二機関の独立性を制限する法律を議会が採択し、ゼレンスキーが署名したことに抗議する数千人の市民が数日にわたり広場に集まった。リヴィウやハルキウ、ドニプロといった各地でも同様の集会が開かれた。市民の反発を受け、政権と議会は新たな法律をすぐに採択し、機関の独立性は守られた。
デモの主力は25歳までの若者たちだった。大統領府に向かってメッセージを書いた段ボールを掲げ、シュプレヒコールを繰り返す。
「恥を知れ」「法律を拒否する」「汚職は人々を殺す」。そして、胸に手を当て、国歌を斉唱し、「ウクライナに栄光を」と叫ぶ。
22歳のオレクサンドルは「ウクライナはヨーロッパの国だ。民の声を無視するなら、ロシアと同じだ」と語気を強める。恋人が東部の前線にいるという24歳のマルタは「兵士はいったい何のために戦っているの?」と声を詰まらせた。
2つの機関、国家汚職対策局(NABU)と特別汚職対策検察庁(SAPO)は、2013年から14年の市民運動「マイダン革命」の後に創設された。腐敗にまみれ、ヨーロッパへの統合に背を向けた親ロ派政権を倒したこの運動では、弾圧により100人以上の市民が命を落としている。汚職対策は欧州連合(EU)加盟の条件であり、今回の政権の動きは、レッドラインを超えていた。
革命当時は10代だった若者たちは「親と一緒にデモに参加した」「子供だったけど、情景が頭に焼き付いている」と口々に語る。大統領選の不正に対して市民が立ち上がった04年の「オレンジ革命」の時のシュプレヒコールも聞かれた。「ラゾム・ナス・バハト・イ・ナス・ネ・ポドラティ(団結すれば、我々は多数だ、決して負けない」。自由や権利を守るため、権力と戦う伝統が若い世代に脈々と引き継がれている。
戦時下で政権を批判することのリスクもみな理解している。「これは反政府デモではない」と22歳のビタリーは語った。「大統領の辞任や議会の解散ではなく、誤った法律の廃止を求めているだけだ」。抗議運動が政治化し、社会の亀裂が深まれば、ロシアの思うつぼだ。
ソーシャルメディアの集会の呼びかけにはこう書かれていた。「デモは普通の市民の取り組みだ。政党は参加を控えてほしい。政治的な演説はなしにしよう」。政治家の姿もあったが、家族や友人を伴い、個人として参加していた。
サングラスを掛け、顔をマスクで隠した怪しい男性が「選挙をやれ」と叫ぶ場面もあったが、誰も挑発には乗らなかった。大統領と議会の任期はすでに切れていても、政治闘争は戦後まで待つべきという社会のコンセンサスがある。
ソ連時代に根っこがある汚職はいまもウクライナの構造的な課題だ。戦時下で権力を集中させる政権の危うさ以上に、今回はそれを阻止した分厚い市民社会の存在が際立った。それこそ、ウクライナとロシアの決定的な違いだ。この戦争の本質も、自由の破壊を目論むロシアの独裁者に抗う市民の姿にある。