2025年8月号 LIFE [ウクライナ・ダイアリー]
行方不明の家族の写真を掲げる人々
6月末に捕虜交換を取材した。キーウから車で2時間、北部チェルニヒウの集合場所に到着すると、すでに数百人の家族が集まっていた。
ロシア軍の交換捕虜のリストはあてにならないため、ウクライナ政府は実際に帰還した兵士を確認してから、家族に伝えている。もしかしたら自分の息子や娘、夫が戻ってくるのではないか、少なくとも彼らのことを知っている兵士がいるのではないか。そんな希望をつなぐ人々が各地から集まる。
記者団は事前にこんな注意を受ける。「兵士は2~3年も情報から遮断されていた。拷問や虐待を受け、質問を拒めない心理状態にもある。人間性と思いやりを持って接してほしい」。記者はみなその場で拷問の実態などについて突っ込んで聞くことはないし、集まった家族と兵士の接触が優先されることも理解している。
待つこと数時間、午後5時過ぎに50人の帰還兵を乗せたバスが到着した。ウクライナ国旗に身を包んだ兵士が降りてくると、歓声が上がる。その場で再会できた家族は数人だけだ。多くは家族の消息をつかもうと、兵士を囲み、必死に写真を掲げ、息子や夫の名前と所属する部隊名を叫ぶ。兵士たちは1枚1枚写真を手にとって、そんな家族の思いに応える。
群衆の中に父親の写真を手にする少女の姿が目に入った。母親のアリョナによると、4歳の娘キラの父親ヴラディスラヴは激戦地である東部ポクロウシクの前線で24年11月に消息を絶った。
彼らが住んでいた南部ザポリージャ州ベルジャンシクはロシア軍に占領され、家族で州都ザポリージャに避難した。ヴラディスラヴが24年9月に動員された後、アリョナとキラはキーウの親戚の元に身を寄せる。夫の消息が分からぬまま半年以上過ぎ、藁をもつかむ思いで今回初めて捕虜交換の現場に来たという。
「お父さんが帰ってきたら、何をしたい」とキラに話かけると、「キャンディーをあげるの。それからハグしたい」と答えてくれた。その日、父親との再会が叶わなかったキラに「明日はキャンディーを持ってくるよ」と約束して別れた。
翌日も捕虜交換が予定されていたが、昼前に政府からメッセージが届いた。「きょう交換が行われる可能性は5分5分。こちらは準備できているが、ロシア側から反応がない」
私はそれでもキャンディーを手に現地に向かった。途中で雨が降り出した。午後5時過ぎに現場に着くと、延期が決まっており、家族もほとんど残っていなかった。
偶然、雨宿りしていたアリョナとキラには会うことができた。2人は午前11時に現地に来て、ずっとバスの到着を待っていたそうだ。「昨日は夜9時まで帰還兵たちに夫を知らないか聞いて回ったけど、成果はなかった。交換が明日あるかも分からない」とアリョナは落胆を隠せない。
ピンクのレインコートに身を包んだキラにキャンディーを手渡すと、にっこり笑顔を見せてくれ、少し救われた気持ちになった。キラは雨の中で小躍りし、無邪気にこんな言葉を発していた。「クリカ(水滴)」。
ロシアは戦時国際法ジュネーブ条約に反し、赤十字国際委員会による収容所へのアクセスを拒否しており、ウクライナ政府はどれほどの兵士が収容所に囚われているのか把握できていない。6月の停戦交渉でウクライナ側は捕虜全員の交換を提案したが、ロシアはそれも拒んでいる。