佐治信忠から鳥井信宏へ/絶妙「サントリー6代社長交代」/光彩放つ創業者・信治郎の「知恵と閨閥」

2025年2月号 BUSINESS

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後継者難に苦しむ企業が多いなか、サントリーホールディングス(HD)は例外的存在だ。創業家が歴代社長を務め、5代社長だけは外部から起用したが、今年3月に就任する6代社長で創業家に戻す。さらにその先を見据えた一族内の養子縁組も済ませ、盤石の事業承継体制を築いた。

創業者の鳥井信治郎氏(サントリーHPより)

会社の起源は大阪の両替商の息子、鳥井信治郎氏が1899年に興した鳥井商店(後に壽屋を経てサントリー)。ウイスキーは熟成に時間を要するため、初期投資を回収するまでの息継ぎが難しい。信治郎氏は日本人好みに味を整えた「赤玉ポートワイン」をヒットさせ、その利益でウイスキー事業に参入し、今日の「ジャパニーズ・ウイスキー」隆盛の基礎を築いた。

信治郎氏の長男、吉太郎氏は1940年に31歳で早世した。次男の敬三氏は幼い頃に鳥井家の親戚である佐治家の養子に入り、佐治敬三となった。61年、2代社長に就任するとパーティーで「名前は佐治ですが種も畑も鳥井です」と挨拶し、会場を沸かせた。単なるボンボン社長ではなかった。社長就任から2年後の63年に社名を壽屋からサントリーと変え、大胆な新製品投入と巧みな広告宣伝で超人気優良企業に育て上げた。

阪急・住友・日生・東大と閨閥

サントリーを象徴するのが「やってみなはれ」の7文字。1960年に敬三氏がビール事業参入を信治郎氏に告げた時の言葉として有名だが、自伝『へんこつなんこつ』によると厳密には「低い声で『やってみなはれ』とつぶやいたことになっている」とある。決して断定していないのに、いつの間にか言葉が一人歩きして企業精神にまで昇華してしまうところに敬三氏のうまさ、サントリーの強さがある。

90年に創業者の長男、吉太郎氏の息子、鳥井信一郎氏が3代社長に就任した。動の敬三氏とは対照的な「静の経営者」だった。社員の発案・実行を重視する「まかせて伸ばす」経営で94年には業界初の発泡酒「ホップス」を商品化するなどで売上高を1.5倍に伸ばした。

創業者の3男、鳥井道夫氏は社長には就かず、副社長と副会長、名誉会長を務めた。マーケティングに特化し、1ドル=360円の時代に歳暮商戦で1本1万円の輸入ウイスキー「ジョニーウォーカー」が人気を集め、1本1500円の「サントリーオールド」が劣勢と知ると、6本入りの木箱を1万円で売り出して巻き返し、存在感を示した。

日本マーケティング協会の会長として「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である」と日本流マーケティングを定義する学究肌でもあった。

まさに多士済々。サントリーでは長男「吉太郎系」、次男「敬三系」、3男「道夫系」の「御三家」が確立した。江戸時代に德川幕府は尾張・紀伊・水戸の御三家や、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の御三卿を整えて将軍の跡継ぎを輩出するシステムを構築。跡継ぎが途絶えそうになると御三家や御三卿の当主から有能な人物を将軍に起用し、統治体制を守ったのと似ている。

信治郎氏は息子3人の結婚相手選びにも腐心した。長男・吉太郎氏の妻、春子夫人は阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三氏の次女。敬三氏の妻、好子夫人は海軍の高性能巡洋艦建造で名をはせ、日本造船界の人材育成に貢献し、後に東京大学総長を務めた平賀譲氏の三女。敬三氏の後妻、けい子夫人は住友銀行頭取・大平賢作氏の三女だ。道夫氏の妻、準子夫人は日本生命保険「中興の祖」である弘世現氏の次女。鳥井・佐治一族は関西経済界で隠然たる影響力を誇る阪急、住友、日生と繋がり、東大とも近い強固な閨閥を形成して「お家」を守っている。

「骨肉の争い」とは無縁

4代社長を務めた佐治信忠会長(サントリーHPより)

2001年、4代社長に就任した佐治信忠氏(79)は敬三氏の長男。14年にバーボンウイスキーで有名な米ビームを1兆6000億円で買収した。14年にローソンから転じて5代社長に就いた新浪剛史氏(65)は、ビームとの統合作業を主導した。外様の新浪社長体制は10年続いたが、24年12月にサントリーHDは鳥井信宏副社長(58)が社長に昇格する人事を発表し、大政奉還した。新浪氏は代表権のある会長に就き、留任する佐治信忠会長と2人会長体制を敷くが、今後の主導権は信宏氏に移る。

6代社長になる鳥井信宏副社長

Photo:Jiji Press

信宏氏は鳥井信治郎氏と小林一三氏が曾祖父という超サラブレッドだ。ビールの「ザ・プレミアム・モルツ」を主力商品に育て、サントリーのビール事業は2008年に発売以来46年目にして黒字化を達成。万年業界4位の座を脱して3位を手にした。敬三氏の悲願を叶えた信宏氏の経営手腕に対する社内の期待は大きい。

20年、関西の有力企業人が一堂に会する関西財界セミナー(京都市)で登壇し、地球環境対策の一環でペットボトルのリサイクルに言及した後、「今はNHKの天気予報が『こまめに水分の補給を』と毎朝、飲料水を宣伝してくれるいい時代」とやって、参加者のハートを一瞬でつかんだ。当意即妙の話術は全盛期の佐治敬三氏を思わせる切れ味だ。

サントリーHDは24年1月の役員人事で佐治清三氏(43)を執行役員とした。信忠氏とは腹違いの妹の長男で、父親は世界的に有名なチェリストの堤剛氏。15年に祖母である佐治けい子夫人の養子となり、佐治姓に改めた。信忠氏の甥から弟にポジションを付け変えたのである。信忠氏には実子がいないが、この養子縁組で「敬三系」の存続が確定した。

ウイスキーの風味の設計図を描く総責任者を「マスターブレンダー」と呼ぶ。サントリーでは創業者の鳥井信治郎氏、2代社長の佐治敬三氏が務め、2002年にサントリーHD副会長の鳥井信吾氏(71)が第3代マスターブレンダーに就いた。清三氏は製造部門の在籍期間が長く、ウイスキーのブレンダーとしての経験も着実に重ねている。いずれは信吾氏の跡を継いで第4代マスターブレンダーとなる公算が大きい。

「信吾氏に子供はいるものの、サントリーに入社していない」(日経ビジネス2016年11月14日号)という。こうした構図を読み解くと、グループ全体の経営は「吉太郎系」が担い、サントリーの原点であるウイスキー造りは「敬三系」が受け持つという役割分担が浮かび上がる。そして、もし信宏氏に不測の事態があれば佐治清三氏がスーパーサブとして全サントリーを束ねる立場となる。

晩年の鳥井信治郎氏は毎週日曜日の昼すぎに敬三一家と道夫一家を呼んで一緒に過ごすと定めていた。故吉太郎氏の春子夫人とその家族が世話係を務め、皆をもてなすのである。道夫氏の息子、鳥井信吾氏は「祖父は毎週、私たち孫と握手をするのが決まり」(2021年8月2日付の 日本経済新聞夕刊)と書いている。毎週の顔合わせを通じて子ども・孫世代の連帯と結束を促すのが信治郎氏の狙いだったが、その効果はひ孫世代にも及ぶ。

新浪氏は「信忠氏から『信宏を次の社長に育ててもらいたい』と頼まれた」(24年12月13日付の 産経新聞)と明かしている。

サントリーはトップを巡る骨肉の争いとは無縁。創業者の知恵はいまも光彩を放つ。

   

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