2025年2月号
POLITICS
by 牧原秀樹(前法務大臣)
北関東比例ブロックの次点に沈む
2024年10月28日未明、現職の第109代法務大臣として臨んだ、第50回総選挙で落選しました。全国の選挙区でほぼ開票作業が終了する中、埼玉5区の開票作業は遅れ、日をまたいだ28日未明に開いたさいたま市北区の約1万票のほとんどが相手に入り、一気に惜敗率が落ち、北関東比例ブロックのぎりぎりの次点で落選するという予想さえしない衝撃的な結果でありました。
現職の衆議院議員の大臣が落選するのは民主党政権時の2012年総選挙以来のことで、大臣に任命してくださった石破茂総理をはじめ、期待をして下さいました7万8250人もの埼玉5区の有権者の皆様、法務省の皆様など、関係者の皆様に対し大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
法務大臣執務室で
その直前の自民党の総裁選挙では上川陽子候補の推薦人代表として、2回にわたって公務で不在だった候補に代わり論戦に参加をし、その後法務大臣就任。意気揚々として臨んだ選挙での落選。まさに波瀾万丈の2か月間でした。
しかし、民意は民意です。落選直後から感謝の気持ちが溢れ出て止まりません。20年にわたって選挙を戦い続けてきた枝野幸男元立憲代表をはじめ、今回出馬をされた他候補の皆様、私に罵声を浴びせた皆様も含め、すべての皆様にただただ感謝しかありません。
私は、2009に1度目の落選を経験致しました。その際、感じた心境と今回感じたそれとは全く異なるものでした。1度目の落選時は、悔しさと悲しさで押しつぶされそうで、対人恐怖症となり、しばらく外を歩く事さえできなくなりました。民主党政権誕生に手を貸し、私に投票しなかった有権者を恨むと同時に、それを支えたマスメディアにも嫌悪感を抱くようになり、心がささくれていました。すべてを受け入れ、次を目指す揺るぎない覚悟を決めるまでに数か月要しました。
その際、当時の小泉純一郎元総理に次のように報告をしたことを思い出します。「私は次を目指します。それは①自分がいなくてもこの国がきちんと回ると感じた場合、②政治を目指すのがお金や名誉、権力などのためと自分が堕落した場合、この二つ以外は草を食べ、岩をかじることになっても次を目指す」と。小泉さんはこう仰って下さいました。「本当はほかを目指したほうが幸せだと思う。でも自分で決めたなら信じた道を行けば良い」と。
浪人中は複数頂いた年収数千万円のオファーもすべて断り、ガソリン代も払えないような状況でしたが必死に次を目指しました。その結果、2012年に国政に復帰し、環境大臣政務官、厚生労働副大臣、経済産業副大臣、そして法務大臣を歴任し、とにかく仕事に邁進する日々を送ることができました。皆様のお陰です。
今回の落選には様々な理由があると思います。しかし、私はその一切を全面的に受け入れ、すべて運命の導きだと感じています。今回は何かのせいにしたり、恨んだりする気持ちは全くありません。正直申しますと、自分の中で政治が少しマンネリ化し、初出馬時や再選時のようなフレッシュな気持ちではなく、政治家であることが「普通」になり始めていたのではないか。誰よりも勉強を重ねるという誓いは守ってきたつもりであるが、やはり永田町や霞が関の内側に寄りすぎて外の世界とずれができてきたのではないか。心身に余裕が少しなくなっていたのではないか。そんな自己反省もあります。
初出馬から19年強、身内に政治家やお金持ちや有名人が全くいるわけでもない、普通のサラリーマン家庭で育った私が、自民党が最も弱い地盤で、最も強い相手に戦い続ける為に、毎朝駅に立ち辻に立って頭を下げ続け、ありとあらゆる地域のイベントに顔を出し、とにかく地域の声を聞き、要望に応え、結果を出し続けるという猛烈なプレッシャーと向き合い続けなくてはなりませんでした。それをこなして心身とも相当タフになり、国や地域の為に多大な貢献をしてきたという自負もあります。
しかし、自民党は選挙後、まず2回連続比例復活の場合の重複比例劣後を決め、埼玉県連は公募手続きを決めました。その決定に対して、選挙が終わって最初に決めることがこれか、本当に分かっていないな、という百年の恋も覚める感じがしたことは否めません。
また、政治には難しい時代にもなりました。SNSの普及は情報発信や伝達に多様性ができ便利になった反面、正しくない情報でも一度発信されると一瞬で伝播し、落選運動に直結するようになりました。マスメディアは販売数や視聴者数、広告も減り、取材力や発信力を失い、むしろ一部週刊誌の方が取材力も破壊力も上になると同時に、ネット社会の中でいかに早く第一報を打つかの勝負となっているようにさえ感じます。政治を良くしようなどという高邁の思想の全く無い世界の中で、政治家は一方的に攻撃されると、後に真実ではなかったと証明できたとしても、取り返しのつかない信用ダメージを受ける事になります。
政治家や官僚は発言や活動に極めて臆病にならざるを得ず、表現の自由すら全く感じない息苦しい状況に陥っています。
国会審議とは、本来、中身のある骨太の議論を重ねるはずの場であるにもかかわらず、ネット支持やマスコミ報道を意識して週刊誌的スキャンダルを取り上げる場に変わり、質疑のレベルは劇的に低下したと感じます。
国会の中で、その議論を重ねる事が、この国にとってどんなメリットがあるのか、と絶望感を感じる日々でもありました。このような状況の中では、有為な次の世代に政治家を目指して欲しいと激励することもためらわれます。
実際、国会議員は、収入も待遇も一部民間企業と比較しても、さほど優位ではありません。今後、叩く事を続ければ、他の世界ではあまり通用しない人や、資産家で名誉を得たいだけの人しか目指さない世界になる気さえ致します。
やはり政治家を目指すことが憧れの対象で、国民の中でも最も良い人材が選ばれる状況にしたい、お金がなくても思いがあれば誰でも目指すことができる環境整備が重要だと強く思うのです。
そうした思いが全て積み重なり、埼玉県連主導の公募手続きには応じないことを公表致しました。むろん、日本や国民、その未来を思う気持ちはいささかも揺るがないので政治活動そのものを辞めるわけではありません。その上で、これまで大手渉外事務所(弁護士、NY州弁護士)、ジュネーブの世界貿易機関(WTO)、ワシントンDC最大のロビーイングも行う法律事務所、NYの法律事務所、経済産業省、ダボス会議選定のヤング・グローバル・リーダー、そして20年近くの政治家人生などなどこれまで経験してきたことの集大成として、新会社「株式会社 Dream Platform」を設立し、同志の皆様とともに「あらゆる夢を実現する」ためにコンサルティングやロビーイング、リーガルアドバイス、海外との連携も含めた総合的なプラットフォームを立ち上げました。
まだ、全く先もわかりませんが、多くのことを実現できるという期待感に自分自身ワクワクしています。
「意志あるところに道がある」――。自分が大学を落ちるなどと夢にも考えていなかった事態に真っ暗になっていた高校3年生の3月、Z会からいただいたテレフォンカードに書いてあった言葉でした。以来、その言葉に支えられ、人生の指針として今日まで波乱に満ちた人生を歩んできました。
人生には良いときもあれば悪いときもあります。大切なのはそれらをすべて受け入れることだと思います。そして、そこから「意志」を自らに問いかけ、その意志に従って道を切り拓いていくこと!
どうぞ今後とも牧原秀樹の道に乞うご期待下さい。