待ったなしの労働市場改革。小泉進次郎氏には再度、論点を整理し体制を整えた上で、捲土重来を期待したい。
2024年11月号
BUSINESS [捲土重来!]
by 藤原豊(政策アドバイザー)
一敗地に塗れた小泉進次郎氏(写真/本誌宮嶋巌)
「労働市場改革の本丸、解雇規制を見直します。(中略)来年法律を提出します」
小泉進次郎氏の自民党総裁選への出馬会見を聞きながら、私は、「小泉氏は23年前の父・純一郎氏の時代から続くこの議論に、今まさに決着をつけようとしている」と感じていた。
「解雇規制改革」を巡っては、政府内ではこれまで2度の大議論があった。2001年からの小泉政権と、2012年からの第2次安倍政権の時代である。本稿では、その両方の機会に行政官として立ち会った筆者が、当時の現場の状況を振り返りながら、この改革の重要性と難しさを解説してみたい。
23年前に岩盤規制に立ち向かった奥谷禮子氏
2001年7月24日――。当時からタブー視されていた「解雇規制改革」が政府内で初めて取り上げられ、公式文書の中に明記された。小泉政権が発足してから僅か3カ月後である。
その内容は、次の通りだ。
「解雇そのものは、(中略)判例法で規制されているが、解雇の基準やルールを立法で明示することを検討するべきである」
この内容は、翌年3月末に、そのまま正式に閣議決定された。当時、この問題を取り上げたのは、宮内義彦氏(現オリックス・シニア・チェアマン)が議長を務める「総合規制改革会議」であったが、とりわけ積極的に議論をリードしたのは、委員の一人である奥谷禮子氏(ザ・アール元社長)だった。
その頃、総合規制改革会議の事務局員であった私は、奥谷氏から、よくこんな話を聞いたものだ。
「これから金融機関の不良債権処理が一層進む中で、企業がやむにやまれず整理解雇に踏み切るケースも増えてくる。解雇を巡る労使間のトラブルをできるだけ減らすために、明確なルールをスピーディーに作る必要がある」
我が国の解雇規制は、昭和の時期に確立した2つの「判例法理」、すなわち裁判所の判断の蓄積に基づいている。詳しくは後述するが、これらは「解雇権濫用法理」と「整理解雇4要件(法理)」と呼ばれ、「法律」で定められていないため、労使には必ずしも十分に周知されていない。奥谷氏は、こうした古い法理ではなく「時代に合った新しいルール」が必要だ、と考えていた。
奥谷氏は、解雇規制改革の重要性を粘り強く主張し、厚生労働省との交渉を重ねた。そして、労働組合や弁護士会などの関連団体、さらにはマスコミからの大バッシングを受けながらも、着実に議論を前に進めた。
さらに翌2002年は、「解雇の金銭解決制度」についても会議で取り上げられるようになった。諸外国でも導入されているこの制度は、補償金額の水準を定めることにより恣意的な解雇を防止できるため、本来は労働者の利益に繋がるものである。しかし、労働組合などは、これが導入されると使用者側からの解雇申し立てが増えるのではないかと懸念し、慎重な姿勢を崩さなかった。
しかし、2年近くにわたる宮内議長、奥谷委員らの尽力により、2003年3月には、これら2つの改革項目、すなわち「解雇ルールの明確化」と「解雇の金銭解決手段の導入」が、次の国会に提出される労働基準法の改正法案で措置されることが、正式に閣議決定された。
ところが、閣議決定に基づいて2003年の春の国会で成立した法案の内容は、落胆せざるを得ないものであった。
そこには「解雇の金銭解決制度」に関する規定が無かった。労使間の調整が難航し、制度設計が間に合わなかったのである。
また、肝心の「解雇ルールの明確化」についても、法案には規定されたものの、その内容は、前述の「2つの判例法理」の一つである「解雇権濫用法理」のみを法律に書いたものであった。それが次の規定である。
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」
実際、企業は経営不振で人員整理を行う場合、もう一つの判例法理である「整理解雇4要件」(①人員削減の必要性、②解雇回避努力義務の履行、③被解雇者選定の合理性、④解雇手続の妥当性)を満たさなければならない。
しかし、この「4要件」は法案に盛り込まれなかった。これでは解雇を巡る労使間トラブルが裁判になったとしても、この規定が「裁判規範」(裁判所の判断基準)として十分に機能することはなく、トラブルの防止・解決には繋がらない。なお、改正法案には当初、この規定の前に、「使用者は、(中略)労働者の解雇に関する権利が制限されている場合を除き、労働者を解雇することができる。ただし、」という規定が置かれていた。しかし、この部分は、労働組合や弁護士会の強い反対を受け、国会の与野党協議の中で法案修正・削除に至った。
読み方によっては「解雇の難しさ」だけが強調されたとも見える、この「骨抜きの条文」の創設をもって、小泉政権での解雇規制改革は2003年春、幕を閉じたのだった。
次に改革の機運が高まったのは、10年後の2013年秋――。私は再び内閣府で規制改革の仕事に携わっていた。第2次安倍政権の目玉政策である「国家戦略特区」の法案を、間近に迫った国会に提出すべく、盛り込むべき規制改革項目を大急ぎで準備していた。
その中で、福岡市や大阪府から具体的に提案されていたのが「雇用特区」であった。ベンチャーや外資系企業が、活性化した労働市場から優れた人材を確保しやすくするため、「有期雇用」や「労働時間」の例外を設けるとともに、「解雇ルールの明確化」も行ってほしい、という要望内容だった。
私たちは、提案を受けてすぐに制度設計を始めたが、前述の10年前の経験から、「整理解雇4要件」などの「ルールそのもの」を法律に書くのは難しいことは分かっていた。
したがって今回はそれに代わり、特区内のベンチャーや外資系企業に限り、「個々の労使間で決めた契約内容」をオーソライズする、という制度を考案した。具体的には、政府が作成したガイドラインに適合している契約条項であれば、それに基づく解雇は「判例法理」を超えて有効なものとする、という「仕組み」を設けることを考えたのである。
これに対して、またしても慎重派からの猛反対が押し寄せた。特にマスコミは、「解雇特区」などと「レッテル貼り」して、批判を繰り返した。
私たちは記者会見を開き、また大手新聞社を訪ね、今回の仕組みは解雇を含む雇用ルール全般を契約で明確化するもので、むしろ労使間トラブルの防止・解決に繋がるということを、丁寧に説明して回った。しかし、野党・マスコミの反対は収まらず、厚生労働省は最後まで、この仕組みを認めなかった。
こうした中で、私たちは次善の策として、労使からの個別の相談に専門家がきめ細かく対応し、トラブルの防止に繋げていく「組織」を、各特区に設立していくことにした。それが、弁護士や社労士などが常駐する「雇用労働相談センター」である。今では福岡市を始め全国7箇所に設置され、労使双方からの多くの相談に日々応えている。
またしても解雇規制改革は実現できなかったが、「一歩前進」の形で、解雇を巡る「個別」のトラブル防止・解決には一定の貢献が果たせた。これが、第2次安倍政権における結末だった。
なお、「解雇の金銭解決制度」についても、安倍政権では当初積極的に検討が進んだが、反対勢力の強い抵抗により、結局は断念せざるを得なかった。
話を冒頭の小泉進次郎氏に戻そう。強い覚悟を感じた小泉氏の出馬宣言であったが、私には気になる点が2つあった。
1つ目は、小泉氏が「4要件」のうちの2番目の要件、すなわち「解雇回避努力義務の履行」について、リスキリングや生活支援・再就職支援を企業に義務付けることで代替しようとした点であった。あるべき方向の一つだとは思うが、前に述べたように、4要件は「判例法理」であって、そもそも法律には定められていない。したがって、仮に要件を変更する場合、まず、そもそもの現在の4要件を法律に明記するという議論から始めなければならない。
小泉政権時代の「解雇権濫用法理」の法定化の経緯は前述したが、同様に「4要件」を法定化し、さらに要件変更まで行った法案を「来年の国会に提出する」ことは、さすがに非現実的と捉えられる可能性が高い。
気になった2点目は、出馬宣言当日の報道番組に出演した小泉氏が、自分の主張を「金銭解雇の話ではない」と言い切ったことだ。労働市場の活性化のためには、「あらゆる改革手段」を「総合的に」講じていく必要がある。会見の中で同時に打ち上げた「労働時間規制の見直し」はもちろん、有期雇用制度や定年制度の見直しなどに加え、やはり小泉政権時代からの長年の積み残しである「解雇の金銭解決手段の導入」についても、併せて早期実現が本来は必要である。
ところで、解雇規制についてではないが、実は小泉氏には既に、「労働市場改革」に関して大きな成果を挙げた実績がある。
前述の「雇用特区」の翌年の2014年秋、小泉氏は内閣府政務官として国家戦略特区を担当し、私の上司となった。因みに、その時の担当大臣は石破茂新総理だ。
私が今でも鮮明に覚えているのは、着任後すぐに、小泉政務官が兵庫県養父市を視察した時のことである。農業の現場を訪れた際、そこには笑顔で生き生きと働いている高齢者たちがいた。その多くは、「シルバー人材センター」から派遣された方々であったが、彼らは小泉政務官と私に、口を揃えて言った。
「私たちはまだまだ元気なので、週40時間働きたいのですが、規制があるらしく、20時間しか働けないのです」
この声を受けた小泉政務官は、帰京後直ちに厚生労働省と自ら進んで折衝し、瞬時のうちに特区法の改正に漕ぎつけた。この「高齢者の働き方に関する規制改革」は、今では特区を超えて全国に広がっている。
当時私は日に何度も小泉政務官に呼ばれ、多くの規制改革の議論をしたが、小泉氏の改革ニーズを吸収する力や実行力・発信力には、いつも感服していた。
今回、敗れたとは言え、小泉氏が総裁選で打ち出した「解雇規制改革」への強い覚悟は、「従来からの古い判例法理を新しい時代に合った形に見直していく」という点で、23年前の奥谷禮子氏の思いと共通する。
長年の時を超えて、労働市場改革は、今や待ったなしの最優先課題である。労働分野を中心に「聖域なき規制改革」を謳い上げた小泉進次郎氏には、今一度、解雇規制改革についても論点を整理し、戦略的に体制を整えた上での捲土重来を期待したい。