2024年11月号
LIFE [シン鳥獣戯画]
by 松田裕之(日本生態学会元会長)
複製・寺本英
吾輩は黒鮪(くろまぐろ)である。正月には一尾数百万円の値が付く、高級魚である。ディズニーランドの隣、葛西臨海水族園では群れを成して泳いでいる。餌はイワシやイカなどであり、吾輩は海の最上位捕食者である。
我々のボディは流線型で、ウナギのようにくねくね泳ぐことはなく、尾びれを振って力強く泳ぐ。よく食べ、よく泳ぎ、体温は水温より高く30度程度になることもある。ある環境活動家は、「鮪は温血動物」と宣伝してくれた。どうやら、温血動物といえば愛護対象になるらしい。
黒鮪の群れ(葛西臨海公園HPより)
卵は1ミリ程度で、餌のイワシの卵と同程度だ。親はイワシよりずっと大きく、数日ごとに千万粒単位で産卵するといわれる。1ミリから1年で50センチ程度にまで成長する。
日本人の乳児死亡率は、戦前は15%くらいあったが、今は1%未満、つまり99%以上が生き残る。他方、我々の幼生は万に一つも生き残らない。それも環境次第で大きく変わる。だから、環境の良い年は爆発的に増え、悪い年は激減し、資源の増加率は年により大きく変動する。熊は子供3頭かゼロかを気にしていたが、我々は百万かゼロかだ。
投資金利と同様に、この変動幅の大きさをボラティリティ(揮発性)という。しかし、半年も育てばそれほど死ななくなり、人間に獲られさえしなければ、ほとんど天敵に食われることもなく、成長軌道に乗る。
人間や哺乳類は成人すると身長が伸びなくなる。昆虫も羽化後は成長しない。しかし、我々は成熟後も成長を続ける。これを無限成長という。動植物を見渡せば、無限成長する生物のほうが多い。これは、一度に卵を生むと、その年の環境が悪いと子孫が全滅する恐れがあるからだ。つまり、我々は「リスクヘッジ」を行っている。
養殖鮪の水揚げ(長崎県五島市、NHKHPより)
吾輩の行動圏は広く、各国の領海や遠洋の公海にまたがる「高度回遊性魚類」である。夏に境港沖や南西諸島周辺などで産卵し、冬には津軽半島などに行く。さらに、広く太平洋全体を回遊する。
人間は最上位捕食者の我々を容赦なく獲る。1952年には西太平洋に限られていた鮪類などを獲っていた延縄(はえなわ)漁場は、すぐにほとんど獲れなくなり、1964年には大西洋やインド洋にも拡大した。遠洋漁船は七つの海を巡り、我々を追いかけた。
延縄百針あたりの釣果数をCPUE(単位努力量当たり漁獲量)という。漁場が拡大する間に、CPUEの平均値が9割減った。それを根拠に「鮪9割減少説」が唱えられた。だが、もともと西太平洋以外に我々がいなかったのではない。単に日本近海でたくさん獲れたので、漁船が遠くまで行かなかっただけだ。9割減少は大げさである。
人間のマスコミと一部の海洋学者は極端な話が好きらしい。その後も、2048年にすべての水産資源が枯渇するという説が出された。この説は、生物多様性条約関係の文書にも載り、「四十八漁〇」という居酒屋チェーン店の店名にもなった。2010年頃には、吾輩の近縁種である大西洋の黒鮪は「あと5年で枯渇する」と言われ 、ワシントン条約で禁輸措置が提案された。禁輸措置が合意されていたら、その後の資源管理の成功はなかっただろう。
しかし、我々が乱獲され、減ったことは間違いない。禁輸措置は合意されなかったが、国際的な絶滅危惧種(レッドリスト)と判定され、30キログラム以下の小型魚を獲る量を減らすなど、それなりに保護された。それから5年も経たないうちに、大西洋の資源は順調に改善した。少し遅れて、我が太平洋の黒鮪も回復し始め、漁獲量の増枠が国際合意された。
天然の鮪稚魚ヨコワ(三重県HP)
我々が絶滅危惧種に指定されてから、養殖も増えた。ヨコワと呼ばれる天然の鮪稚魚が生け捕りにされて生け簀で育てられる畜養のほか、養殖の親が産んだ卵から育てられる近畿大学産の完全養殖もある。
ブリの場合、養殖のほうが天然より高値で売れる。鮪の場合、養殖は天然に値段で勝てないらしい。完全養殖はまだ費用が掛かり、畜養で調達するヨコワは資源保護のために漁獲枠が少なく、天然資源が回復すれば、養殖は売り負ける。天然鮪が減る前提で多くの企業が養殖鮪に参入してしまい、養殖業者の経営は苦しいらしい。「あと5年で枯渇」を信じた養殖業者は、こんなに早く我々が数を増やすとは思っていなかったのだろう。
乱獲を防ぐために、国連海洋法条約では、領海と排他的経済水域(EEZ)内の魚を持続可能に利用するため、漁獲量の上限(漁獲可能量)を定めることが政府の義務になっている。我々はEEZを越えて移動するから、太平洋全体での漁獲枠を国際的に定めている。
我々に対して2010年頃から漁業管理が徹底され、国際合意の下で日本の漁獲量が配分され、それをさらにまき網、延縄、定置網などの魚種ごと、地域ごとに配分されている。魚価も質も季節により、獲る漁法により大きく違う。夏の暖流域にいる産卵期には脂も乗らず、まき網で獲られると魚体が痛み、安値で売られてしまう。冬の寒流域に一本釣りや延縄で獲られると超高価である。正月には我々の仲間がニュースに出る。北海道南部の噴火湾の定置網でもそれなりに高い。
しかし、未だに魚価の安いまき網に多くの漁獲枠が配分されている。先月は青森県知事が地元の漁獲枠を増やしてほしいと農水省に陳情した。2017年頃には、産卵期に獲る漁業に対して抗議するデモまで起きた。定置網は鮪を狙って獲るのではなく、サケやブリに混ざって我々もかかってしまう。16年頃、北海道の定置網に、漁獲枠を大幅に超えて我々がかかってしまった。枠を融通する仕組みはなく、その後は我々を獲らないために定置網の操業全体を止めるか、かかった鮪を放流せざるを得ない。
最近は、小型魚の漁獲枠を大型魚に振り替えることができるようになり、以前よりは融通が利くようになった。
我々マグロは、特に雌雄に待遇格差はない。雄が産卵期に縄張りをもち、その中には雄が大きいなど、外見で区別できる魚種もいるが、我々の雌雄は人間には外見で区別できないだろう。それでも、子孫を残すうえで重要なのは雌である。産卵期に億単位の卵を持っているからと言って、子孫を残すうえで冬の1億倍の貢献があるわけではない。
たとえば冬の鮪を1万尾獲れば、その分だけ子孫が減る。冬から産卵期までの自然死亡率がたとえば1割程度なら、産卵期の鮪9千尾獲るのと同じ影響がある。産卵期に獲ることが、冬に比べてけた違いに子孫を減らす影響があるとは言えない。しかし、産卵期の、特にまき網は魚価が低く、人間にとって、資源を有効活用しているとは言えない。また、産卵期には産卵場に密集するので、文字通りまき網で一網打尽にされてしまう。神聖なる受精の場を襲われるのは勘弁してほしい。しかし、夏と冬で獲る漁業者が違うので、漁業者の間で利害は一致しない。そして、政府は、持続可能な利用の枠内で、価値の高いときに獲ることや、資源への影響が少ない年齢や季節に獲ることを優先するのではなく、何か別の思惑で漁獲枠を配分してきた。資源学者は国際管理で漁獲量の総枠を計算するだけで、枠の国内配分は役人が案を決める。国際管理が合意されないと、各国が競って取り合う「共有地の悲劇」に陥る。サンマやサバが深刻だ。諸外国が獲り初める前に、日本主導でブリやイワシの国際管理も進めればよいのだが、日本の役人は事態が深刻化しないと腰を上げないらしい。
配分しても、定置網が超過した分だけ、まき網から枠が売り買いされれば、定置網で獲るほうが魚価も高いことだし、放流されることはないだろう。魚種は違うが、ニュージーランドではこのような枠の取引を行う市場がある。ITQ(譲渡可能個別割当量)と呼ばれるこの制度は温室効果ガスの排出権取引の手本となり、環境問題全般に応用される。
もともとの配分に不公平感があれば、さらにその枠を買うことへの抵抗は強いだろうが、獲った魚を捨てられることはなくなり、人間にとって損も少ないだろう。しかし、日本という国は、これがなかなかうまくいかないようだ。もともとの枠の配分の正当性がないと、政府も売買を認めることは難しいのかもしれない。同じまき網漁業者同士なら、枠の売買でなく無償で枠を融通することはできる。いかにも日本らしい互助関係ともいえる。
20年、世界初のMSC認証を取得した黒鮪(臼福本店HPより)
水産エコラベルという認証制度がある。持続可能な漁業などを国際的に認証する制度だ。北東大西洋の大西洋黒鮪漁業について、日本の漁業者が世界初のMSC認証とMEL認証を取得した。
西洋人は水産エコラベル付きの食品を好むようだが、日本人は鮮度と値段を優先するだろう。天然の水産物は均質な商品ではなく、日により品により原産国により質が違う。魚屋でもスーパーでも、鮮度や値段を見て選ぶ人が多かろう。その際に、エコラベルの有無に目が行くかは微妙だ。
しかし、取引するスーパーやレストランは事情が違う。現代では、乱獲した水産物を扱うと投資家から疎んじられる恐れがある。マクドナルドのフィッシュバーガーはエコラベル付きだ。豊洲市場の卸売業者も、鮮度と値段などとともに、エコラベルなど乱獲の有無や企業の不正の有無を参考に魚を調達するようになりつつある。
いずれにしても、我々鮪が人間に好まれるようになったのは、氷点下50度といった冷凍技術の進歩の賜物かも知れない。牛肉や豚肉以上に鮮度が味の決め手らしい。しかし、最上位捕食者は数が少ない。鮪ばかり食べるのはやめてほしい。我々から見れば、イワシ類も十分美味く、マイワシとカタクチイワシは同時に増えることなく、10年以上時を経て交互に資源を増やす「魚種交替」が生じるが、どちらかは常に資源が豊富で、吾輩の好物だ。我々の餌を横取りされるのは困るが、我々自身を狙われるよりはましである。
注)まぐろ9割減少説について:
資源量密度が不均一なら、1網当たり漁獲量(CPUE)と資源量は比例しない。上記の表のように日本近海の高密度海域の面積が低密度海域の1割しかなく、乱獲される前のそれぞれの鮪の個体数密度が10:1だったとする。全体の資源量は19で、漁獲努力は高密度域に集中して日本近海の1割を漁獲すれば、漁獲量は1で、CPUEは10である。乱獲後は日本近海の密度が低密度海域より低くなれば、他の海域で操業するだろう。漁獲量は0.1に減り、CPUEも1になる。全体の資源量は19から9.9に48%減ったが、9割も減ったたわけではない。実際の鮪の資源量はこれほど単純ではないが、9割減少説は否定されている。
[謝辞] 原稿執筆にあたり、東京大学北川貴志教授、水産教育研究機構井嶋浩貴博士、ユスップ・マルコ博士の助言を参考にしました。
また、原稿執筆にあたり、参考とした情報を個人サイト
https://ecorisk.web.fc2.com/FACTA-Froricking-Animals.html
に掲載しています。