本誌表紙絵 /日本画家「澁澤星」が新境地/金箔眩い「睡蓮の水面」描く!

2024年10月号 LIFE
by 深山朔次郎(評論家)

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人気作品の「≒.≠」(2021年)

新天地は人をこうも大胆にさせるのか。本誌の表紙を10年近く担当する日本画家の澁澤星さんと数年ぶりに都内で再会し、そんなことを思った。

その独特で幻想的なタッチの作品が人気となっている澁澤さんが今春、岡山県倉敷市の倉敷芸術科学大学芸術学科の准教授に就任した。帰省中の8月、澁澤さんは、巨大な和紙を前に過去に描いたことのない私流の睡蓮に挑戦してみたい――という構想を打ち明けた。

念頭には巨匠モネの名作「睡蓮」の連作があるのかもしれない。その表情は意欲に満ち満ちていた。繊細、儚さ、可憐……。これまで抱いていた澁澤さんの印象が変容した瞬間だった。

恩師・高橋秀画伯との邂逅

縁あって芸科大にポストを得た澁澤さんにとって、初めて住む倉敷は、今に続く画家人生に不可欠な覚醒と突破口をもたらした場所でもある。その僥倖の元となったのが芸科大名誉教授の美術作家、高橋秀さん(1930年~)との邂逅だった。

生命感あふれる有機的なフォルムの作品などで知られる高橋さんは1961年に画壇の登竜門といわれる安井賞を受賞。その後、63年にイタリア政府招聘留学生としてローマに渡り、2004年に帰国するまで、イタリアを拠点に作家活動に専念した。幅広いジャンルで精力的に活動し、池田満寿夫監督の映画「エーゲ海に捧ぐ」では美術監督を担当した。

高橋さんは帰国後、外から日本を見つめ直し、新たな日本を感じて新鮮な創作活動を応援したい――との熱い思いから、コラージュ作家の藤田桜夫人とともに「秀桜基金」を設立。そこに当時、東京芸術大大学院博士後期課程に在籍中だった澁澤さんが応募し、第7回(12年)秀桜基金留学賞に見事選ばれた。

「当時はモチーフや色合い、マチエール、質感などを組み合わせて絵を作ろうと、延々とアイデアを練り続ける癖がついていました。描けども描けども絵が変わらなくて、やはり何か違うことをしなくては、とトライしたのが秀桜基金でした。(留学中に)描かない時間を無理やり設けたことで、純粋に作品や風景を観て感じて感動することの大切さに気付きました。絵(表現)がもっと自由になった気がします」

こう振り返る澁澤さんにとって、留学がまさに突破口になったというわけだ。

2024年 10月号掲載「UNION」( 2015年)

フランス・トルコ留学の成果が2024年10月号の表紙を飾る「UNION」(15年)。この絵に込めた想いについて、澁澤さんはこう口にした。

「モザイクに彩られた世界に住む、様々な柄のスカーフを纏ったムスリムの女性と三つ編みの女性の融合を描きました。色合いや三つ編みなどは、色合いが美しかったフランスにいた時の影響が強いと思います」

「イスラムの文化は、揺らめくようなモザイクの交錯で、彼らの宇宙観と精神性を体現する独特の装飾世界を生み出しました。この作品でも、色やマチエールなど、現象の交錯によるイメージの越境を試みました」

「また、コーランでは女性が家族以外の男性に髪を見せることは禁止されています。しかしトルコでは共和国になった際に、近代化と世俗化でスカーフを外すことを推奨したため、個人の信仰や地域によって、スカーフの扱いも様々です。時代や個人の価値観の融合として、この作品を制作しました」

留学によって、表現者としての深化・成熟が感じられる作品に仕上がったといえよう。

日本画家・澁澤星への期待感も高まっている。秀桜基金に携わった審査員たちの座談会の議事録にこんな発言がある。

「(20世紀前半に)ヨーロッパへ出て、帰ってきたら(洋画家から)日本画になる人が多かったが、その逆の人も出たり。(中略)澁澤星さんみたいな日本画の人が外へ出たのも興味深く、今後も見ていきたい」

新境地を開拓し続ける澁澤さんの代名詞のような人気作品が、右のページにある睡蓮の絵「≒・≠」(2021年)。

「深い緑の中に見える、水面の光を描きたいと思いました。鮮やかな色と、黄金色の水面の光がはっと心に焼き付いた瞬間を思い出そうと描き始めました。『私の軀、楽園と庭と植物園、明確な境界がないことに気付く。小宇宙にも見える』とは三越の個展で綴った一文ですが、そんなイメージです」

ちなみに芸科大の教員紹介ページにも、他の教員たちが自身の顔写真を載せる中、澁澤さんは睡蓮の絵を掲載している。

瀬戸内の美術館の壁面に

新天地での生活は、前向きな性格の澁澤さんをさらに前向きにさせているようだ。

「学生の頃は、今の自分が描きたい表現を問い続ける時間で、それが生活の全てでした。それだけでは生活できませんが、今は給料をいただいているので、本質的な表現を深めることにもっと時間を割けると思い、思い切りやってみたいという心境になりました」

実際、この夏休みには、イタリアで美術館や景色を見てインスピレーションをたっぷり受けてきた。海外での滞在制作を視野に入れての渡航でもあった。

「高橋先生は自由でありながら、絵を描く上で一番大事な本質的なことをいつも気付かせてもらう存在」と話す澁澤さん。芸科大着任後に手紙で近況を報告し、その後面会した時に「先生の後輩になりました」と挨拶すると「そうかそうか」と94歳の画家は目を細めたという。

その高橋さんは自らの創作手順についてこう述懐したことがある。「時代の流れ、己の命の一番深いところから、今何を願い、欲しているのか、そのメッセージ、イメージを、無意識の蠢きの中から組み上げる作業といえようか」と。

モネの睡蓮といえば、パリのオランジュリー美術館にある連作「睡蓮の間」がとりわけ有名だ。360度の大パノラマで壁一面の睡蓮が堪能できる空間は圧巻の一言に尽きる。今の澁澤さんなら、金箔が眩(まばゆ)い巨大な睡蓮の連作を瀬戸内海の美術館の壁一面に咲きほこらせるに違いない。

2024年1月号掲載作品「face in profile」( 2019 年)

著者プロフィール

深山朔次郎

評論家

   

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