株主総会で物議! 美術財団に居残る損ジャのドン「櫻田」/前途多難の奥村CEO

当局のお墨付きを得たかっこうの奥村氏の前に立ちはだかるのは、やはり「ドンの壁」だ。

2024年5月号 DEEP

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櫻田謙悟代表理事

「損ジャのドン」ことSOMPOホールディングス(SHD)の櫻田謙悟会長が3月末で引責辞任し、奥村幹夫氏がCEO(最高経営関者)の座を引き継いだ。HD社長になり2年が経つ奥村氏だが、櫻田氏の影に隠れて存在は薄かった。「第二の創業」を託されたものの、重用されてきたドンと袂を分かち、旧悪を払拭できるかが最大の課題。ドンは依然として威を振るおうとしており、前途多難と言う外ない。

奥村氏のバリバリの体育会系は、つとに有名だ。筑波大学体育専門学群時代にブラジルのプロチームに留学。ケガでプロを断念したが、「サッカー愛」は、今も健在だ。

1989年に旧安田火災海上保険に入社。4年目の93年から97年までブラジルのサンパウロに駐在。日本企業向け保険の営業や新商品開発に携わった。サッカーチーム『大和』を結成し、現地の草チームと試合をしたという。

奥村氏は、今はやりの「アルムナイ」採用の走りでもある。いちど投資銀行のフィンテックグローバル社に転身し、そこで取締役を務めたが、リーマン・ショック後の不振もあり、3年で損保ジャパン(SJ)に出戻りした。

奥村幹夫新CEO(写真/堀田喬)

「MYパーパス」を突き進む姿勢が櫻田氏に認められ、出世街道を歩き、16年には櫻田氏の注力で始めた介護事業の会社、SOMPOケアの社長に大抜擢された。

「櫻田の腰巾着」と揶揄された奥村だが、昨秋ごろから「脱・櫻田」へと豹変する。それが金融庁の伊藤豊監督局長の目にとまった。東大野球部(主将でキャッチャー)出身の猛者・伊藤氏と豪傑タイプの奥村氏が容易に意気投合したことは想像に難くない。「櫻田の子飼いを全員排除したら、後を継ぐ役員がいなくなる」という伊藤氏の判断から、奥村CEOが決まった。当局のお墨付きを得たかっこうの彼の前に立ちはだかるのは、やはり「ドンの壁」だ。櫻田氏がゴッホの「ひまわり」を所蔵するSOMPO美術館を運営する「SOMPO美術財団」の代表理事に居残ったからだ。同ポストはSJ会長の二宮雅也氏が22年まで座っていたが、西澤敬二社長が会長に、白川儀一氏が社長に就任した際、櫻田氏は同ポストを召し上げ、自ら兼務するようになった。

財団は今年4月から1年間の「事業計画」を公表。櫻田氏は、何とここでもお得意の「パーパス」をぶち上げた。中長期的な目標である財団パーパスとして「安心・安全で信頼される美術館として芸術文化で心豊かな社会をつくり芸術文化を未来へつなぐ」と謳った。

櫻田氏は今後、財団を「根城」に威勢を振るう目論みのようだ。ビッグモーターとの取引再開を決めた際、白川氏に「他社が甘い囁きをしている」と吹き込んだ当時専務の中村茂樹常勤監査役が、財団の理事に就くという仰天情報もある。中村氏は櫻田氏の「一の子分」とされ、「彼を通じてドンは全て事情を知っていた」(関係者)という噂が社内に流れたほどだ。

財団はSJ本社ビルの目の前に鎮座する。丸みを帯びた建物は見る方角によってサッカーボールのようだ。本場で鍛えた奥村氏の「キック力」が試される。

   

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