「令和の風雲」/ニヒリズムを超え「谷垣自民」に学ぶ/寄稿 山岸一生・衆議院議員

2024年3月号 POLITICS [「令和の風雲」]
by 山岸一生(衆議院議員 )

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山岸一生(やまぎし いっせい)1981年川崎市生まれ、42歳。東大法学部卒。朝日新聞記者として自民党、民主党、沖縄政治などを取材。2019年参院選に惜敗。21年に衆院初当選(東京9区=練馬区)。立憲民主党政調会長筆頭補佐、衆院予算委員。

2024年の通常国会の最大の課題が、自民党の「パーティー券裏金事件」の全容解明と責任追及そして再発防止策であることは言うまでもない。ただ私は、立憲民主党の一年生議員として地元、東京・練馬区の多くの有権者と語る中で、実は自民党の問題と同等かそれ以上に、問われていることがあると思えてならない。

それは、私たち立憲民主党をはじめ野党が、本気で政権交代する覚悟と用意こそ、求められている、ということだ。

「とにかく政権からどいてくれ」

毎朝の駅頭のお見送りや、地域の集会でお話をさせていただくと、異口同音にこのような意見をいただく。

「山岸さん、自民党政治ではもう無理だ。だけど、立憲ももっと頑張ってよ」

こうした思いは、支持政党や属性を問わず、多くの方に共通している。日頃から野党を応援して下さっているリベラル系の方はもちろん、地域社会を支えてきた穏健保守層の方からもよくこうしたご意見をいただく。

特に地元東京9区(練馬区西部)は、3年前に自民党議員が「政治とカネ」で事件を起こし辞職した選挙区だ。カネに汚れた政治家への視線はいっそう厳しいものがあるし、有権者の政治そのものへの失望も強い。有権者の最大公約数的な思いをまとめれば、こうだろう。

「自浄作用のない自民党政治はもういらない。とはいえ、野党政権もまだ現実味がない。与党はひどい、野党は弱い、だから政治に期待が持てない」――。

政治にあきれ果てた有権者の、透徹したニヒリズムを感じる。そして無力感やニヒリズムは、実は、私たち政治家の中にもある。

「そうはいっても、政権交代は、時間かかるからね……」

「旧民主党政権の負の印象は、まだ強いから……」

こうした言葉を、党内でも時折聞く。もちろん、謙虚であることは大事だ。自民党のおごりがもたらした今回の事件を見れば、それは間違いない。だが、行き過ぎた謙虚さは、かえって自縄自縛をもたらす「呪いの言葉」になってしまう側面もある。

例えば、このようなことがあった。

立憲民主党は、2月4日の党大会で、今年の活動方針を決定した。そこでは「自民党を超える第一党となる議席の確保を全力で追求する」と、次期衆院選で政権交代を目指すとうたった。

実は当初案では、このくだりはより慎重だった。「次期総選挙でそこそこ勝利し、次々回で政権交代に挑む」と読み取れる、従来の「二段階論」に沿った内容だった。

確かにそれは平時においては、合理性な作戦かもしれない。だが、今は政治的非常事態だ。自民党政治の崩壊が明らかな今、「とにかくいったん、政権からどいてくれ」と迫ることこそ、立憲民主党の役割ではないのか。

私は、党内の会議でそのような指摘をさせてもらった。おそらく仲間からも同様の声があったのだろう。最終案で、より明確な表現になった。若手の意見も取り入れてくれた執行部には感謝しつつ、「だったら最初から言おうよ」との思いもある。「いつか政権交代できたらいいな、まあ難しいよね」という、野党の内なるニヒリズムこそ、超えていかなければいけない壁だと、改めて感じた出来事だった。

対照的に、よく思い出すことがある。それは民主党政権時代(09~12年)、野党自民党の谷垣禎一総裁の取材をしていたころのことだ。

私はもともと朝日新聞で政治記者として働いてきた。当時「番記者」として回ったのが、谷垣総裁やその周辺だった。「谷垣自民党」は、それはもう、すごかった。なにがなんでも政権を奪回する、という執念があった。

たとえば、閣僚の追及だけを目指すチームがあった。週2回ペースで会議を開き「次は誰をやるか」と相談し、徹底的に調査した。そして国会で執拗に攻撃し、次々に閣僚を辞任に追い込んでいった。手法はともかく、戦う姿は鬼気迫るものがあった。

「だけど、谷垣さんは総理になれなかったよね」――。先日この話題を同僚議員と話した時、こう言われた。その通りだ。谷垣総裁は、野田総理に解散をほぼ約束させ、政権交代を視野に入れたにもかかわらず、2012年秋の総裁選に再選出馬すらできず、安倍氏に明け渡した。安倍氏は総裁復帰からわずか3カ月で、総理に返り咲いた。

戦い抜いた谷垣自民党の、いわば「あぶらげ」をかっさらった「トンビ」が安倍政権であり、清和研だった、と評価することもできるだろう。「たられば」は禁物と承知の上であえて言うが、谷垣政権なら、ここまでの腐敗はなかったかもしれない。私は、谷垣自民党はもっと思い起こされて良いし、私たち野党も研究すべきだと思う。

国民が主役の「政権とりかえ」

私たち立憲民主党も、政権交代を正面から掲げて、戦い抜き、解散総選挙に追い込むしかない。あの時、土壇場で谷垣政権にはならなかったように、確かに今、「誰が総理になるのか」「どことどこが組むのか」は自明ではない。しかしそれは、そもそも平時に相談して決まるものではなく、大きなうねりが起こって初めて現実味を帯びるものだろう。

「政権交代www」とどれだけ笑われようとも、私たちが言わなくて、他に誰が言うのか。今のままの自民党政治でよいと思っている有権者など、いない。それなら、私たち立憲民主党が先頭を切って「政権をとりかえよう」と言うしかないだろう。

ここで私は一つ提案をしたい。確かに「政権交代」の四文字は、09年から早15年が経ち、手あかのついた言葉になってしまった。新しい旗が必要だ。私は、「政権とりかえ」と呼びたい。

単に言葉の言い換えではない。主語が違う。「政権交代」の主体は、あくまで「民主党」だった。自民党から民主党に、官邸の主が交代する。そうではなく「政権とりかえ」の主役は、国民一人一人、「あなた」だ。あなたが、主権者として、政権をとりかえる。政治家や政党はそのための道具となる。これこそが、次に起こる政権交代の原点でなければならない。

なぜならば、自民党の裏金事件は、国民不在の政治の姿を暴いたからだ。

政治家は、パーティー券を売れば売るだけ、配るカネが増え、出世できる。一部の業界団体は、パーティー券を買えば買うだけ政治家にモノが言え、政策を有利に変えられる。政策をカネで売り買いしてきたのが、自民党政治だった。文字通りその「宴」の中に、国民はいない。

どれだけ頑張っても給料の上がらない勤労者、結婚や出産を望んでもあきらめざるをえない若者、物価高に低年金で切り捨てられるシニア――。私たちはみな、古い自民党政治の犠牲者だ。

かつて「日本を取り戻す」という言葉があったが、その内実は「日本を、自民党の集金システムに、取り戻す」にすぎなかった。今度こそ「日本を、国民の手に、取り戻す」ことが必要だ。主権者である国民が、いわば使用人である政権を、とりかえる。政治家の雇い主は、国民なのだから。これが、国民が主役の「政権とりかえ」の意義だ。

そして、実行手段として、幅広い野党が力を合わせる。立憲民主党は触媒として、その大きな輪のど真ん中に立つ。立憲の中では、私たち若い世代のしがらみのない議員が、幅広い連帯の先頭に立つ。私は決意を込めて、皆さんに呼びかけたい。

「今年こそ、政権を、とりかえよう」と。

※「令和の風雲」は、各政党・会派の最若手の国会議員が筆を競い、「とっておきの持論」を述べる連載企画(不定期)です(編集部)

著者プロフィール

山岸一生

衆議院議員

1981年川崎市生まれ、42歳。東大法学部卒。朝日新聞記者として自民党、民主党、沖縄政治などを取材。2019年参院選に惜敗。21年に衆院初当選(東京9区=練馬区)。立憲民主党政調会長筆頭補佐、衆院予算委員。

   

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