悪辣! 損保ジャパンが三井住友海上に「責任転嫁」

延べ37人の大量出向者の役割と行状は――。在職中に不正を見聞きし、関与したことはなかったか解明すべきだ。

2024年1月号 BUSINESS [責任転嫁]
by 大西康之と本誌金融取材班

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櫻田謙悟SHDグループCEO(写真/堀田喬)

ここに2通の報告書がある。1通はSOMPOホールディングス(SHD)が10月10日に発表した「自動車保険不正事案に関する社外調査委員会」の中間報告書。もう1通は三井住友海上火災保険株式会社調査委員会が12月1日に発表した報告書である。どちらも弁護士などの調査委員会がビッグモーター(BM)による保険金水増し請求事件の真相に迫ったものだ。二つの報告書には随所に「差異」がある。そこに焦点を当てると、全ての責任を事業会社の社長に押し付けて逃げ切りを図ろうとする「損ジャのドン」の正体がくっきりと浮かび上がる。

「抜け駆けしようとした事実」はない

東京・新宿区の損保ジャパン本社ビル

まず三井住友海上が報告書を作成した経緯を説明しなければなるまい。BMによる不正請求の実態調査の開始に伴い、損保大手3社は2022年6月に、揃ってBM修理工場への入庫を止めた。ところがSHD傘下の損害保険会社である損保ジャパン(SJ)だけが7月に入庫再開に踏み切った。

中古車販売大手のBMは自動車の自賠責、任意保険の販売でも全国屈指の代理店であり、年間200億円近くの取扱保険料がある。中でも親密なSJは、その6割に当たる120億円の保険料を得ていた。BMとSHD、SJの関係に重大な関心を持った金融庁は報告徴求命令を出した。SHDは前述の中間報告書をベースに金融庁に報告書を提出し、この中でSHDは「2022年7月6日の会議でSJ社長の白川儀一がBMへの入庫再開を決めた」と結論付けた。白川自身もその事実を認め、社長を辞任すると表明している。

白川が入庫再開の判断に至った背景として、SHDの中間報告書は「他の損保会社の担当者から抜け駆けとも受け取れる発言がなされた」「BMが自賠責保険を他の損保会社と同じグループ傘下の会社で発行する方針である」という情報を得た白川らが「BMとの取引を他社に取られまい」と、入庫再開を焦ったというストーリーを展開していた。ここで言う他の保険会社とは三井住友海上を指し、同じグループ傘下の会社とはMS&ADグループのあいおいニッセイ同和損保を指す。そこで金融庁は反面調査として「(BMとの取引で)抜け駆けしようとした事実はあるか」と三井住友海上に報告徴求命令を出したのである。結論から言うと、三井住友海上の報告書は「当社役職員は、一貫してBMに対し強固な姿勢で改善を申し入れており、損保ジャパン及びBMに対し、これと異なる姿勢を示したという事実は認められなかった」と主張している。SHDが中間報告書で指摘したような「抜け駆けしようとした事実」はない、と断言している。

どちらかが嘘をついているわけだが、ある金融庁幹部は意に介さず、こう言い切る。

「重要なのは7月6日の入庫再開や、そこに至る意思決定のプロセスではない。SJとBMの長年にわたる歪な関係と、それを可能にしたSHDのガバナンスが、果たして適切だったのか、という問題だ」

「3人の出向者」が生々しい証言

SHDへの立ち入り検査の「越年」を決めた金融庁

実は、その疑問を解く鍵が、二つの報告書の中に隠れている。

三井住友海上の報告書には、2017年4月から22年11月までの5年半に同社からBMへの全出向者、3人の証言が5ページにわたって詳述されている。全34ページの報告書の15%を3人の証言に割いたのは、外部から招聘された調査委員会のメンバーが、BMの内部で一部始終を見ていた出向者の肉声こそが、何より真実を語っていると考えたからだろう。

創業者の兼重宏行が優れていたのは、BMを単なる中古車販売店ではなく、買取、車検、損保販売の代理店、修理、リースなど、クルマに関する種々のサービスを受けられる「ワンストップ」体制を構築したことだ。クルマを買った客は自動的に自賠責保険に加入するし、大半は任意の保険にも入る。販売台数が増えるにつれ、自動車保険の代理店としての存在感が増し、2013年度に80億円だった取扱保険料が22年度には200億円に跳ね上がっている。そこで始まったのが損保大手からBMへの人的支援、すなわち出向である。三井住友海上が最初に出向者を出したのが2017年。不正請求の疑いで引き上げた22年まで、常時1人か2人が出向しており、延べ人数は3人。全員が事故の損害調査業務を担当するアジャスターだ。

彼らの証言は生々しい。最初の出向者A氏は出向してすぐBMが業務連絡に使っていたLINEグループに入り、BMが他の保険会社に対して行った不適切又はその疑義のある保険金請求(水増し請求)を知った。2019年には後から送り込まれたB氏と行ったプレチェックという業務において、三井住友海上が顧客に紹介した5つの修理工場で、提出した見積書の記載と実際の修理内容に乖離がある事案を発見した。新品未使用の部品が廃棄されている事実も見つけ、現場に注意している。B氏も同じような場面に出くわした。だがBMの板金部長がLINEで再発防止の注意喚起をしていたことなどから、組織的、恒常的に不正が行われているという認識には至らなかった。

21年4月から出向したC氏も未使用新品部品の転売などを見聞きした。車両の損傷していない箇所に、修理をしたことを示す付箋を貼る行為も目撃している。内部告発を受け、損保大手各社の求めに応じていた自主検証が始まってからは、その業務に関わった。不要な修理作業を実施した証拠が次々と出てきた。

BMのBP本部部長、加治英之はこれらを「悪意のないヒューマンエラー」と釈明した。アジャスターで保険金の支払い業務には関わっていない3人は、不適切な事象について適宜、三井住友海上に報告していたが、同社としても「組織的又は恒常的な不正が行われているという認識には至らなかった」と報告書は説明している。出向者がアジャスターという専門職だったため、損害調査という「木」は見えても不正請求という「森」までは見えなかったというわけだ。

一方のSHDの中間報告書はどうか。SJは2011年度から22年度までの11年間に延べ37人もBMに出向させている。出向開始は三井住友海上より6年早い。20年度には16人の出向者がBMに在籍しており、14人が営業部門、2人が板金塗装部門である。同じ出向でも、三井住友海上のケースとはかなり意味合いが違う。三井住友海上からの出向者はアジャスターという専門職で、BMの板金工場で工場長らを指導していた。一方、SJからの出向者は営業部門が大半を占めていた。アジャスターよりはるかに経営に近い。

BMの急成長支えた人材リソース

BMが日本興亜や損保ジャパンから出資や出向を受けたのは、急激な規模拡大に会社の体制が追いつかなかったからだろう。1976年に山口県岩国市で板金工場の兼重オートセンターとして始まったBMは、90年代半ばから積極的なM&Aを開始。あれよあれよという間に全国屈指の中古車販売会社にのしあがった。2015年には関西中古車販売の雄で上場企業のハナテンを買収している。

告発本『クラクションを鳴らせ!』を出した香川県出身の中野優作は高校を中退し、建設会社を経てBMに入社し「1年半で店長になった」と明かしている。その後、営業本部の部長や買収した子会社の役員を任されている。現社長の和泉伸二も入社3年目に店長、7年目には子会社の社長になっている。

創業者の兼重は学歴不問で腕っぷしが強い若者を集め、体育会系のノリで会社を急成長させた。やり場のない力を持て余していた彼らにとって兼重は活躍の場と望外な報酬を与えてくれる「神様」だった。だが店舗網が全国規模になり、上場企業まで傘下に収めるとなると、それ相応の資本政策やマネジメントが求められる。その隙間を埋めたのがSJからの出資であり、延べ37人に及ぶ出向者だ。彼らこそ、BMの急成長を支える得難い人材リソースだった。

であるならば一連の不正請求についても、まずは彼らから事情を聞くのが筋である。

ところが、だ。SHDの中間報告書に出てくる出向者はアジャスターのB3氏ただ一人だ。B3氏も三井住友海上からの出向者と同じく、BM内で不正請求が行われていることを知り、SJの上司に報告している。さらにB3氏は内部告発があった後、BMがまとめた自主調査シートが、加治の指示で改ざんされたことまで報告している。だがB3氏からの情報は、当時の首都圏営業担当役員、中村茂樹(現在はSJ常勤監査役)のところで止まり、SJ社長の白川には上がっていなかった。白川は皮肉なことにBMによる不正請求の事実を、業界トップの会合でライバル会社の社長たちから聞かされ、中村らに事実関係の確認を求めている。

「BMへの入庫再開を決めたのは白川」と、白川一人に責任を負わせるSHDの中間報告書は、何も知らされず昇格した新米社長の白川には、あまりにも酷でないだろうか。

何より気になるのは、中間報告に書かれていないB3氏を除く延べ36人の出向者。中でも営業部門からの出向者たちが、BM社内でどんな役割を担い、立ち回りをしていたかだ。報告書は、それらの事実に一切触れていない。SHDは三井住友海上と同様に出向者全員の肉声を聴き取り、在職中に不正を見聞きし、関与したことはなかったか解明すべきだ。

11月24日付でBMの損害保険代理店の登録を取り消す行政処分を下した金融庁は、所見をこう述べている。「一連の保険金不正請求を端緒とする保険会社出向者の引き上げにより、体制整備に必要な知識を有する人的リソースを喪失した(ため)……再建への道筋は極めて困難である」と、BMの体制を支えてきたのは大量の出向者だと断じているのだ。

そしてSHDの中間報告が一切触れていないのが、出向が連綿と続いた10年間にSJ社長、会長を経てSHDグループCEOへ上り詰めた「損ジャのドン」櫻田謙悟の行状である。「悪いのは全部、白川」と決めつける中間報告の最大の目的はドンを守ることだったのか。二つの報告書を読み比べると、中間報告を書かせたあざとい目論見が透けて見える。(敬称略)

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大西康之と本誌金融取材班

   

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