特別寄稿 小泉・宮内「特区」誕生秘話/政策アドバイザー・藤原豊

一部地域に限定する「特区」制度は「セカンドベスト」。ただしその分、改革は「深くて、速い」。新事業のアイデアがあれば、政府窓口に提案すべし。

2023年6月号 BUSINESS [特別寄稿  規制改革のススメ]
by 藤原 豊(政策アドバイザー)

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総合規制改革会議に臨む小泉首相と宮内議長(左、2002年4月)

Photo:Jiji Press

「特区? 地域に限った規制改革? 改革は全国一律で、正面から正々堂々とやるべきでしょう。特区なんて邪道だと思いますよ」

小泉政権誕生とほぼ同時に発足した「総合規制改革会議」も2年目を迎えた2002年4月――。議長を務めていた「ミスター規制改革」こと宮内義彦氏(現オリックス・シニア・チェアマン)は当時、会議の事務局員だった私にそう言った。にわかに持ち上がった「特区」構想を、ご説明に上がった時のことである。

反対する宮内氏に、私はこう訴えた。

「議長。これから医療・福祉・教育・農業などの分野で、より難しい規制改革を行っていくことになります。そのためには『セカンドベスト』かも知れませんが、敢えて『地域限定』という形で、まずは岩盤に穴を開ける仕組みが、どうしても必要です。もちろん、いったん開けた穴は速やかに『全国展開』、すなわち改革の成果は全国に拡大します」

その後も、やり取りは続いた。

宮内 しかし、特区制度の対象になるのは、そうした『岩盤規制』に限られないでしょう。

藤原 はい、もちろんそれ以外もあります。その場合は、地域に限定される分、通常の全国規模の規制改革よりも『数段速いスピード』で改革が実現できるような制度にします。

宮内 特区での改革は、通常より『深く』ないし『速く』やるということですね。分かりました。

この直後から、私は「構造改革特区」の制度設計に着手した。また、その約10年後の第二次安倍政権では「国家戦略特区」を担当することになるが、この時の宮内議長との「約束」、すなわち「特区での改革は、地域を限定する分、通常の全国規模の改革よりも『深い』か『速い』ものにしなければ意味がない」ということを、常に肝に銘じてきた。

そして、宮内義彦氏はと言えば、あのやりとりから約20年が経ち御年87歳になった今でも、現在の日本の政治・経済情勢を憂い、「改革の旗」を大きく振られている。宮内氏には、本誌4月号に掲載された私の特別寄稿(「崩れゆく『規制改革』の基盤」)についても、「行政官として規制改革を長年経験してきた人が、こうした発信をすることは大事ですね」と仰っていただいた。

なぜ「特区」構想が必要だったのか

しかし、宮内氏の言う通り、ある意味「妥協的」な手段である「特区」という仕組みが、なぜ必要だったのか――。

当時「特区」構想に異を唱えていたのは、宮内議長ばかりではなかった。総合規制改革会議の委員のうち特に急進的なメンバーは、ことごとくこの構想に反対していた。彼らからすれば「規制改革に妥協はない」のであって、「地域限定」などというものはもってのほか。まさに「邪道」だったのだ。

「特区」構想が登場した理由――。それは、規制改革を巡る状況が、小泉政権になってから、それ以前とはかなり違ってきたからなのである。しばし話を小泉政権1年目の2001年に戻そう。

宮内議長率いる総合規制改革会議は発足直後から、医療・福祉・教育・農業など、これまではほとんど手を付けてこなかった分野にも改革が必要だと提唱。規制改革は既に、「小泉改革」の重要な要素となっていた。

圧巻は、その年の11月9日に行われた小泉総理主宰の経済財政諮問会議での出来事だった。規制改革がメインテーマだったこともあり、宮内議長が初めてゲストとして諮問会議に出席した。今では考えられないが、出席する各大臣や民間有識者らによる忌憚ない討論を担保するため、この会議には役人の出席が一切認められず、議事も当面非公開とされた。文字通りの「政治主導」の舞台だったのだ。

その前日、私は宮内議長の側近のスタッフから、その会議に議長が提出する資料を作成して欲しい、と内々に依頼された。徹夜で作成した資料のタイトルは「我が国の構造改革を推進する規制改革」――。それは、これまで長年議論しても実現できずにいた40以上にも及ぶ「岩盤規制改革」について、一部解説も含めた「項目リスト」であった。

宮内議長がこの資料を事務局に送ったところ「規制を担当する各省庁の大臣たちが大騒ぎするので、この資料は出さないで欲しい」と強く要請された。しかし、議長はそれを拒否。万が一に備え、議長自ら資料のコピーを何部も持参して会議に臨んだのだ。

会議の前に、宮内議長と当時の諮問会議の担当である竹中平蔵大臣、そして小泉総理の間で入念なすり合わせがあったのだろう。会議の最後に小泉総理は、目の前の机を叩きながら「このリストの中で一番抵抗の強い『医療機関・大学・農業への株式会社参入』から規制改革を断行する」旨の発言をされた。

これは岩盤規制中の岩盤規制である。小泉総理が吠えたのは良いが、こんなことを全国一律で実現することなど到底不可能であった。ある意味、何らかの「妥協的な仕組み」が必要だったのだ。

ここで登場したのが、「地域限定」の「プロジェクトベース」で規制改革を行う枠組み――。まさしく「特区」の発想だった。そこから「特区」構想が走り始めたのである。

提案から実現まで初めて「ルール化」

かつての面影なし。看板倒れの規制改革推進会議(22年12月22日、首相官邸HPより)

その1年後の2002年秋、「構造改革特区法」は臨時国会で成立した。法案作成に際しては、規制担当省庁に加え、法案を審査する法制局までも(後に撤回したが)、当初は「特区法案は憲法違反ではないか」などと足を引っ張る局面もあった。抵抗サイドとは他にも多くの対立点があったが、私たちは異例のスピードで、それらを乗り越えていった。

また、これも今では信じられないことだが、同法が施行される03年4月を待たずに、改正法案が閣議決定され、特区法は更にパワーアップされた。法律に予め用意された多くの「規制改革メニュー」(規制の特例措置)の中に、1年前のあの経済財政諮問会議で小泉総理が指示した「医療機関・大学・農業への株式会社参入」も盛り込まれたのである。 

制度設計を行う中で、宮内氏や私が最も拘ったのは、特区法を「通則法」にするという点である。すなわち、事業者の「提案」から改革の「実現」までの一連のプロセス・手続きを、各省ではなく「内閣」の窓口に「一本化・共通化」して法律に定めることであった。これに対して、抵抗サイドは、幾つかの関係する法律を単に「束ね法」として国会に提出することをもって、特区法の「やったふり」をしようと画策していた。

事業者が幾つかの事業を同時に行う時や、あるエリアを一定のコンセプトの下で開発する時、それは一つの規制改革項目を実現すれば済む話ではない。幾つもの分野における複数の規制改革を「総合的・一体的・同時」に実現しなければならない。

例えば「環境・エネルギー特区」を構想している事業者がいるとする。当然、関係する複数の規制改革が必要となる。しかし、特区法が「束ね法」では、せっかく特例措置が認められても、環境省所管のA法と経産省所管のB法について、各々の役所の窓口を訪ね、別々の手続きを踏まねばならない。実現時期も大幅に異なってしまう恐れもある。

一方、「通則法」であれば、A法とB法の規制改革を個々にではなく「丸ごと」進めることができる。「構造改革特区法」は、まさに内閣主導の下、通常の全国規模の規制改革にはない、日本で初めての「規制改革推進のための法制度」となったのである。

「改革潰し」に騙されず、屈しないために

前回4月の寄稿については、宮内氏以外にも多くの方々から御賛同をいただいた。その中で、私にとって驚きだったのは、未だにたくさんの企業や自治体が、規制改革や特区制度に大きな関心を持っていることだった。日本経済におけるイノベーションの潜在力を肌で実感できたことが、とても嬉しかった。

しかし、その一方で「規制改革の重要性はよく分かった」としながらも、いざ規制改革や特区の提案をしようとすると「政府から色々と注文を受ける」、「同業他社から『事を荒立てるな』とクレームを受ける」など、提案するに当たっての「高いハードル」も、少なからず聞こえてきた。

前回も触れたが、規制改革の「提案」をしようとすると、抵抗サイドはあの手この手を使って、それにストップをかけようとしてくる。その手口は極めて巧妙であり、実はもっともらしい理屈に隠された「嘘」も多い。また、本来は提案者サイドに立つべき窓口の内閣府まで、時として提案を抑制する動きに加担することもあり、相当な注意が必要である。

そこで、提案者が提案を諦めざるを得ないような事態を防ぐため、「抵抗サイドの嘘」の代表例を、ここで幾つか紹介しておきたい。

まず、「特区では、事業実施の『予定地域』が決まっていなければ提案できない」――これは嘘である。前述した通り、特区はセカンドベストの手段。予定地域が決まっていなければ、「全国で実施したい」と堂々と提案してもらえばよい。その上で全国一律と特区内のどちらの改革とするのかは、むしろ政府内、最終的には規制担当省庁の判断となる。

次に「提案に当たっては、経済効果を数字で示すなど、提案者側が改革の合理性や効果を立証する必要がある」――これも全くの誤り。前回も述べたが、イノベーションがどこからどう起こるかなど誰にも分からない。だからこそ新しいアイデアの提案は全て尊重されるべきで、むしろ改革による弊害があると言うなら、規制担当省庁がその弊害を立証しなければならない。このことは特区の「基本方針」でも政府決定として明確化されている。

最後は「思い切った新提案をしたいのだが、それは業界の古い体質・慣習を壊すことにつながってしまう。同業他社から村八分とされたくないので『匿名』で提案したいと言ったが、政府からダメと言われた」――ダメというのは全くの嘘。提案者の身の安全を守るため、民間有識者にさえ提案者の名前・素性を伏せ、当面は議事も非公開にした上でのヒアリングなども、政府はこれまで幾度も行ってきている。

上記については全て、冒頭の「特区誕生期」にルール化されたものである。しかし、こうした「規制改革の常識」は、抵抗サイドによる粘り強い反対運動によって、放っておくと「改革潰し」「提案潰し」の方向に流れていく。

これらの「嘘」や「誤解」を払拭するためにも、政府には、新たな制度の整備を求めたい。例えば、特区のみならず全国規模の規制改革も含めた一元的な手続きを規定する「規制改革推進法」(特区法の発展的解消)を検討するのも一案だろう。また「提案者の保護」を強化する仕組みも必要である。

そして何より、新しいアイデアを持つ事業者の方々には、こうした「改革潰し」に屈せずに、思い切った「特区提案」をし続けてほしい。「特区」はセカンドベストではあるが、あの日宮内氏と約束した通り、岩盤規制をスピーディに打破する仕組みなのだから――。

著者プロフィール
藤原 豊

藤原 豊(ふじわら ゆたか)

政策アドバイザー

東大経済学部卒。経産省退官後は、楽天グループをはじめ、セブン&アイ・ホールディングスやフロンティア・マネジメントなどの企業、財団、自治体のアドバイザーや社外役員を務める。

   

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