インタビュー/「成城学園」新理事長 宮島 和美 氏(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

思いもよらぬ「人生三毛作」 「個性を育む」母校に恩返し

2023年6月号 LIFE [リーダーに聞く!]

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1950年生まれ(73歳)。成城大学文芸学部卒業。73年ダイエー入社。創業者・故中内㓛氏の秘書を22年間務め、取締役秘書室長など歴任。2001年ファンケル入社(創業者・池森賢二氏は義理の兄)。取締役社長室長を経て社長、会長など歴任。22年4月成城学園理事に就き、今年4月1日より現職。

――1973年大学卒業から50年の歳月を経て、母校の理事長に選任されました。

宮島 2020年に前前任の渡文明理事長(成城学園中学校・高等学校卒業、元新日本石油会長、元日本経団連副会長)が急逝され、21年に打診を受けた時は、全く思いもよらないことでした。「学校経営は全くの素人ですから」とお断りしましたが、学園内を流れる仙川や正門前のいちょう並木は、日々の散歩道になっています。この職責は母校への恩返しであると共に、私の人生にとって二毛作ならぬ「三毛作」の経験の場を与えられたのだと考え直しました。

――成城大学時代の思い出は?

宮島 「70年安保」の頃でしたから、のどかな当学園でさえデモをやっていました。マスコミュニケーション学科に入った私は、社会心理学を専門とする石川弘義先生のゼミに入り、先生の勧めで「ファッション研究会」を創り、「衝動買い」を研究テーマに選び、発表した思い出があります。

――石川ゼミからダイエー入社ですね。

宮島 創業者の中内㓛さんの秘書を22年間務め、会社の成長期に様々な経験をしました。福岡ドームの計画から建設まで携わり、球団経営に参画し、リクルートのM&A、マラソンやバレーボールなどの企業スポーツのマネジメントも担いました。また、流通科学大学創立(1988年)の大学案内を作成する際、在校生のイラスト満載の手作り感溢れる成城学園案内をモデルにすることになり、私自身が母校の学生課を訪ね、教えを請うたことがありました。その後、ファンケルに転じて、社長、会長を経験し、最後に同社を将来に託すために創業家の株式をキリンHDに譲渡して、「二毛作」のビジネス人生を終えました。

幼稚園から「英語一貫教育プログラム」

――ファンケルの社長、会長時代を通じて「従業員は幸せでなければならない」を、自らの経営理念のトップに掲げていました。

宮島 従業員の幸せを目指すのが経営者の役目だという趣旨ですが、これは経験しなければわからないと思います。私はダイエーが衰退していく姿を目の当たりにしました。企業は凋落が始まるとあっという間に破綻がきます。流通革命を牽引した中内さんでさえ、それを止められませんでした。優良子会社のローソンやOMCカードを次々に売却し、本社を移転して1千人もの希望退職を募りました。会社は成長し、ステークホルダー、取引先、世の中への貢献を実践し、最後にベースアップや福利厚生といった形で従業員に恩恵が巡ってきます。言い換えれば、従業員が幸せであることは、会社が全て順調に進んでいる証になるわけです。今はもう一歩進んで、ステークホルダー、取引先、社会貢献、ESG、SDGsなどと従業員の幸せを同時並行で実践する経営が求められていると思います。

少子化を迎える厳しい世の中でも「学生や生徒、そして教職員は幸せでなければならない」という思いは変わりません。「成城学園で学ぶ者、働く者、皆が幸せでいられる状況」をいかに創出し、持続させていくか――。卒業生やお子様を通わせているご家族も同様です。私の人生三毛作目は、甚だ微力ながら「成城学園を基点として皆が幸せでいられる」という状況を互いに支え合いながら創っていきたいと思います。

――成城学園の魅力、強みは何ですか。

宮島 文部次官、東北・京都両帝国大学総長などを歴任した学祖・澤柳政太郎先生が「本当の人間の教育をできるところは小学校である」という思いに突き動かされ、1917年に誕生した成城小学校が、本学の始まりです。第一に「個性尊重の教育」を掲げた同校は1921年に「学校劇」発表会を行い、これが日本の小学校の「学芸会」の起源になりました。往時から低学年の伝統的な科目として「遊び」や「散歩」があり、担任の先生の机が教室にあるため職員室はなく、ご家族はいつでも授業を参観できます。

何より当学園の特色は個性を育む教育と自由な校風です。卒業生に「楽しかった」「いい教育を受けた」という実感があるようで親子2代、3代にわたって選んでくださるファンがいることは嬉しい限りです。

もう一つの特色は幼稚園から大学・大学院までの総合学園である点。幼稚園から初等学校、中学高校まで15年間の「英語一貫教育プログラム」を導入したのは当学園だけです。更に幼稚園から大学・大学院までワンキャンパスに集い、共にかかわりあいながら学ぶアットホームな環境と、先生方との密度が濃い関係も魅力です。外国人留学生が幼稚園や初等学校を訪ね、子どもたちと触れ合う光景は、本学ならではです。

渡さんが遺した「第2世紀プラン」

――未来へ向かう成城学園の課題は?

宮島 当学園は1925年に雑木林ばかりだった武蔵野(東京府砧村)に移転し、当時としても珍しい学園を中心にした街づくりが行われ、2017年に創立100周年を迎えました。2012年に渡理事長(当時)の強力なリーダーシップのもとで「第2世紀企画委員会」が発足し、当学園の未来を創造するための指針であり、羅針盤となる「成城学園第2世紀プラン」を、3年がかりで練り上げました。

実はワンキャンパスにありながら幼稚園から大学院までバラバラの方針や計画はあったものの、全学園で共有する確固たる計画はありませんでした。渡さんが百年の計と銘打った第2世紀プランの三つの柱は「国際教育」「理数系教育」「情操・教養教育」――。大学各学部、大学院各研究科、中学校・高等学校、初等学校、幼稚園は各々、この三つの柱に沿った自らの使命(ミッション)と、進むべき方向性と将来像(ビジョン)を策定し、教育改革に乗り出しました。先の「英語一貫教育」や、そのICT版である「情報一貫教育」は、渡さんが成し遂げた画期的なプラン策定の成果なんです。

当学園の悩みと言えば理数系の学部がないこと。少子化時代の学部新設は難しく、国内外の大学や研究機関との提携が軸になります。現在、小・中学生にiPadを1人1台持たせて様々な授業で活用しており、ICTやAIと融合した形の学部や学科の再編も必要だと思います。

当学園というより教育界全体の問題としては「ブラック職場」のレッテルをはられた教員のなり手が減少していることです。とりわけ小・中学校の教員不足は国全体の教育水準の低下を招きかねない。当学園では今、幼稚園から高校まで教員の「働き方改革」を鋭意進めています。まず先生方の心身が健康で健全でなければ良い教育はできません。これが喫緊の課題です。

(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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