特別寄稿/評論家・中野剛志/高インフレ対策は「資金の制約ではなく実物資源の制約を見よ」

2022年12月号 BUSINESS [MMTの要諦]
by 中野剛志(評論家)

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最近のインフレの高進を見て、「やはりMMT(現代貨幣理論)は間違っていた」などと小躍りする愚かな経済学者が現れるのではないかと思っていたら、案の定、山のように出てきた。予想されたこととはいえ、あまりに分かりやす過ぎてうんざりする。

改めて、MMTの要点を簡単に説明しておこう。MMTは、貨幣とは国家が創造したものであるという理解から出発する。政府は、通貨(円やドルなど)を法定する。次に、国民に対して、その通貨の単位で計算された納税義務を課す。そして、政府は、通貨を発行し、その通貨を租税の支払い手段として定める。その結果、通貨には、納税義務の解消手段としての需要が生じるようになり、国民は通貨に額面通りの価値を認めるようになる。そして、その通貨を民間取引や貯蓄の手段としても利用するようになる。こうして、通貨が流通するようになるのである。

この場合、国民は納税を行なうためには、事前に通貨を保有していなければならない。その通貨を発行するのは政府である。政府が通貨を発行し、それを支出して、国民に供給しなければ、国民から税を徴収することはできない。財政支出が先であり、徴税は後なのである。すなわち、税は、財政支出の財源ではないのだ。これは税に関する通俗観念を覆すものであり、それゆえ多くの人々はMMTに強い抵抗感を覚える。しかし、これは、財政支出の財源(通貨)は政府が自ら創造していることから導かれる当然の論理的帰結に過ぎない。

「機能的財政」に依拠するMMT

財政支出には予算の制約はない(霞が関の財務省)

もっとも、政府の通貨供給には、固定為替相場制という制約が課されている場合がある。固定為替相場制の下では、政府は、自国通貨との交換の要求に応えるために外貨を常に準備しておかなければならない。つまり、自国通貨の発行量には外貨準備という制約が課されている。しかし、自国通貨と外貨との交換比率が固定されていない変動為替相場制の下であれば、そのような制約はないので、政府は、無制限に自国通貨を発行する能力をもつことができる。変動為替相場制の下においてであれば、自国通貨を発行する政府は、財政破綻(債務不履行)に陥ることはない。そして、日本政府は、変動為替相場制の下で自国通貨を発行している。だから財政破綻はしないのだ。

自国通貨を発行する政府にとって、予算均衡を目指す健全財政は無意味である。では、財政はどのように運営されるべきか。MMTは「機能的財政」に依拠すべきであると主張する。それは、財政支出、課税あるいは国債の発行は、それらが失業率、金利、物価など、経済社会に与える影響によって判断すべきだとする考え方である。

機能的財政によれば、財政支出の規模や支出先の判断は、国民経済をどのような姿にしたいかを基準とすべきであって、予算の均衡や財源の制約を考慮する必要はない。例えば、防衛力の増強が必要であれば、必要なだけ防衛費を拡大すればよいし、教育や福祉を充実させたければ、必要なだけ教育費や社会保障費を支出すればよい。政府が通貨を創造している以上、資金の制約はないのだ。したがって、課税や国債の発行も、政府が資金を調達するために行なうのではない。課税や国債の発行は、例えば、格差を是正するために累進課税を導入したり、金利を調整するために国債を売買したりといったように、経済を望ましい姿へと調整するための政策手段である。財源確保の手段ではないのだ。

ただし、重要なのは、自国通貨を発行する政府の財政であっても、資金以外の制約はあるということである。その制約とは、実物資源の供給制約である。

政府であれ民間企業であれ、経済主体は、通貨を支出して財やサービスを購入したり、労働者を雇用したりすることで、実物資源を動員している。特に政府は、民間主体と異なり、いくらでも通貨を創造し、供給できる。しかし、通貨によって動員される実物資源の方は、いくらでもとはいかない。実物資源の賦存量は有限であるから、その供給能力には、当然、限界がある。

したがって、政府には資金の制約がなく、財政破綻もしないからといって、政府支出を野放図に拡大し続けると、いずれ、実物資源の供給制約にぶつかる。例えば、公共事業をやり過ぎると、建材や建設労働者が不足して、いくら予算を積んでも執行できないという事態になるであろう。それゆえ、政府支出は、実物資源の制約に達するまでしか拡大できない。財政支出には、予算の制約ではなく、実物資源の制約が課せられているのだ。

財政支出が実物資源の供給制約を超過すれば、高インフレが引き起こされる。高インフレとは、実物資源の供給がその制約に達したことを示すサインである。つまり、高インフレは、政府支出が実物資源の供給制約の限界に達したということを意味する。MMTが「高インフレにならない限り政府支出を拡大できる」と主張するのは、そのためである。MMTの機能的財政とは、財政運営を、予算の制約ではなく、実物資源の制約によって規律しようというものだと言ってもよい。

野口悠紀雄名誉教授の甚だしい誤診

世界唯一のマイナス金利政策を取る日本銀行

さて、以上がMMTの概略であるが、ここで重要なのは、インフレの問題である。MMTは、確かに、財政支出の上限は高インフレであると主張したが、インフレには、大別して、二つの種類がある。「デマンドプル・インフレ」と「コストプッシュ・インフレ」である。

高インフレは、需要が実物資源の供給制約を超えた場合に発生する。需要が実物資源の供給制約を超えた原因が、需要の増大の方にある場合は「デマンドプル・インフレ」とされる。例えば、景気が過熱して、消費や投資が急増し、実物資源の供給が追い付かなくなった場合がデマンドプル・インフレである。

他方、需要の増大ではなく、実物資源の供給制約がより厳しくなったことに起因するインフレは「コストプッシュ・インフレ」とされる。具体的には、一九七〇年代の石油危機のように、産油国が原油の輸出を制限したために、エネルギー価格が高騰してインフレになった場合が、コストプッシュ・インフレに該当する。

さて、MMTは、財政支出の上限は高インフレであると主張したが、この場合のインフレがデマンドプル・インフレを意味することは明らかであろう。財政支出による需要の増大が実物資源の供給制約を超えることで起きるインフレは、デマンドプル・インフレである。しかし、コストプッシュ・インフレが起きている場合は、それは、財政支出の過剰のせいにすることはできない。

さて、二〇二一年から二二年にかけて世界的に起きているインフレは、コロナ禍による労働者不足、ロシアのウクライナ侵攻を契機とする食料やエネルギーの供給制限、経済安全保障の強化、脱炭素、アメリカの利上げによる通貨安、あるいは少子高齢化による生産年齢人口の減少など、さまざまな事象に起因している。しかし、いずれも実物資源の供給制約をより厳しくするものである。したがって、このインフレは、コストプッシュ・インフレの性格がより強い。財政支出が膨張したせいではないということだ。

ところが、一橋大学名誉教授の野口悠紀雄は、MMTは「最近のインフレ高進で化けの皮が剥がれたようだ」などと凱歌をあげたのである。野口はMMTについて「自国通貨で国債を発行できる国は決してデフォルトしない。だから、税などの負担なしに、国債を財源としていくらでも財政支出ができるという主張」とした上で、「こうした財政運営をすればインフレになることの危険を軽視」していると批判した。そして実際にインフレになったではないかと勝ち誇ったわけである。(*1 https://diamond.jp/articles/-/307887

だが、「最近のインフレ」は主にコストプッシュ・インフレなのであり、「いくらでも財政支出ができる」という財政運営をしたせいではない。例えば、ロシアのウクライナ侵攻に起因する食料価格やエネルギー価格の高騰は、言うまでもなくプーチンのせいである。それを日本の財政運営のせいにするなど、誤診も甚だしい。「最近のインフレ高進で化けの皮が剥がれた」のは、インフレにおけるデマンドプルとコストプッシュの区別すらできないことが露呈した経済学者の方であろう。

インフレ圧力を緩和する積極財政

野口は、MMTについて「税などの負担なしに、国債を財源としていくらでも財政支出ができるという主張」だとするが、この理解からして間違っている。MMTは、「国債を財源としていくらでも財政支出ができる」と言っているのではない。そもそも、自国通貨を発行する政府にとっては、税も国債も財源ではなく、経済を調整するための政策手段であると主張するのがMMTである。野口は、MMTをよく理解もせずに批判しているわけだが、この種の手合いは主流派経済学者には特に多い。

多くの経済学者がMMTに猛反発しているが、「自国通貨を発行する政府の財政には、資金(自国通貨)の制約はない」などというのは、MMTに固有の主張ではなく、単なる当たり前の事実に過ぎない。より重要なのは、MMTが、財政支出を制約するのは資金ではなく、実物資源の供給であると強調していることだ。MMTは、資金の制約がない政府といえども、実物資源の供給には制約されるから「いくらでも財政支出ができる」わけではないと言っているのである。

では、MMTは、コストプッシュ・インフレ対策については、どうあるべきと主張するのであろうか。実は、これまでMMTの論者たちは、コストプッシュ・インフレについては十分に論じてはこなかった。MMTを批判するとすれば、この点かもしれない。しかし、MMTの洞察を応用することで、コストプッシュ・インフレ対策は、次のように導き出すことができる。

コストプッシュ・インフレの原因は、実物資源の供給制約にあるのだから、その対策は、実物資源の供給制約を緩和することとなる。具体的には、エネルギーの供給に制約があるのであれば、短期的には省エネルギーの徹底や既存の原子力発電の稼働、長期的には新たなエネルギー源の開発が必要になる。食料の供給に制約が生じたのならば、短期的にはフード・サプライチェーンの効率化、長期的には食料生産の拡大が対策となる。労働力の供給制約であれば、労働者の技能の向上や機械化・自動化によって、生産性を上げることが求められる。長期的には、交通、通信、電力などのインフラの整備、研究開発、人材の育成なども必要となろう。

これらの政策はいずれも、政府による投資や民間投資の支援が必要になる。

それは、投資一般を拡大するのではなく、例えばエネルギー源の開発や食料生産など、目標を特定した上で投資を行うこと(targeted investment *2 https://www.levyinstitute.org/pubs/ppb_157.pdf)を意味する。いわば、総需要管理のための財政政策よりは、的を絞って大規模かつ長期的に資金を投入する、ある種の産業政策(*3 https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sokai/pdf/028_02_00.pdf)が必要になるのである。

ちなみに、二〇二一年九月、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者十七人が公開書簡(*4 https://www.epi.org/open-letter-from-nobel-laureates-in-support-of-economic-recovery-agenda/)を発出し、インフラ整備やクリーン・エネルギー開発、研究開発や教育などに対する財政支出の拡大を支持した。その公開書簡には、こうした積極的な公共投資こそが「長期のインフレ圧力を緩和する」と書かれている。ここで言う「長期のインフレ圧力」というのがコストプッシュ・インフレを意味することは、明らかである。この公開書簡に名を連ねた十七人の経済学者は、もちろんMMTの支持者ではない。にもかかわらず、彼らは一致して、長期のインフレ対策として、積極財政を支持したのだ。

ただし、財政支出の拡大は投資需要を拡大するものであるから、実物資源の供給制約が厳しい状況の下では、インフレを一時的に悪化させるリスクはある。しかし、一定期間の後、投資した設備やインフラ等が完成し稼働すれば、供給能力の拡大によって、インフレは鎮静化する。それだけではなく、経済成長の実現すら望めるだろう。

これが、コストプッシュ・インフレ対策のあるべき姿である。ただし、政府がこのような政策を実施するにあたっては、言うまでもなく、巨額の資金が必要となる。そこで、MMTの洞察が活きてくる。すなわち、自国通貨を発行する政府の支出には、資金の制約はないのである!

「化けの皮」どころか真価を発揮

MMTの根底にある基本的な命題は、自国通貨を発行する政府の財政支出は、資金には制約されないが、実物資源の供給には制約されるということだ。したがって、日本政府は財政破綻にはならず、実物資源の供給制約の限界まで、財政支出を拡大できる。「財政運営にあたっては、資金の制約ではなく、実物資源の供給制約を見よ」というのがMMTの要諦なのである。

ただし、その実物資源の供給制約は、供給能力を強化することによって緩和することができる。供給能力の強化には投資が必要である。その投資に必要な資金を、日本政府はいくらでも供給できる。その投資の結果、実物資源の供給制約が緩和されれば、日本政府の財政支出の余地はさらに大きなものとなる。

そして、現下のインフレは実物資源の供給制約に起因するコストプッシュ・インフレである。したがって、その対策は、実物資源の制約を緩和すべく、供給能力を拡大することだ。そのための投資に必要な資金を、日本政府はいくらでも供給できるのだ。

ところが、健全財政論者は、日本政府に対して、ありもしない資金の制約(財政規律)を課そうとしている。政府による資金供給を無意味に制限し、コストプッシュ・インフレ対策に必要な供給能力の強化のための投資を妨げているのだ。

「資金の制約ではなく、実物資源の制約を見よ」──。そう教えるMMTは、最近のインフレの高進によって化けの皮が剥げたどころか、その真価をより発揮するのである。

著者プロフィール
中野剛志

中野剛志(なかのたけし)

評論家

 1971年神奈川県生まれ。東大教養学部卒。通商産業(現経済産業)省に入り、英エディンバラ大学大学院で博士号取得。『富国と強兵―地政経済学序説』『日本経済学新論』『TTP亡国論』など著書多数。

   

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