インタビュー/元農林水産事務次官 奥原 正明 氏(聞き手/編集長 宮嶋巌)

食料安全保障の基本は輸出できる農業の実現

2022年7月号 POLITICS [エキスパートに聞く!]

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1955年生まれ。東大法卒。1979年農林水産省入省。大臣秘書官、食糧庁計画課長、農業協同組合課長、大臣官房秘書課長、水産庁漁政部長、消費・安全局長、経営局長などを経て、2016年農林水産事務次官。2018年退官。

――「プーチンの戦争」は、日本の食料供給にどんな影響を与えますか。食料は「輸入すればよい」という時代は終わったのではないですか。

奥原 ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナの農産物の生産・輸出に支障をきたすだけでなく、ロシアに対する経済制裁によってロシアの輸出にも影響しています。既に、食料の国際価格は大幅に上昇し、インドは小麦輸出を禁止するという事態になっています。

日本でも小麦等の輸入価格の急騰が消費者の食卓にまで波及していますし、肥料や飼料(とうもろこし)の価格高騰は農業生産に大きな打撃を与えています。今後は、価格だけでなく数量の面でも影響が出てくるかもしれません。

しかも、ウクライナ侵攻で第2次大戦後の国際秩序は根底から崩壊しましたから、これは一過性の問題ではありません。安全保障戦略の見直しの一環として「食料」の安全保障についても真剣に考えなければいけません。

高齢化が構造改革のチャンス

――日本の食料自給率はわずか37%(令和2年度)です。国内世論、マスコミ論調を含め、エネルギーに比べ食の確保への危機感が小さすぎませんか。

奥原 戦後の食糧難から脱した後の日本は、食料供給に不安を感じたことはほとんどなく、安い農産物をいつでも輸入できると思って、飽食をむさぼってきました。しかし、国際秩序が崩壊した以上、これからは何が起こるか分かりません。食料について危機感を持って、戦略的に対応していくことが必要です。

ドイツも、日本同様に農産物の輸入額は大きいですが、輸出額も大きいので、自給率は86%あります。これに対し、日本が輸出に取り組み始めたのは最近のことで、まだ1兆円にすぎません。このうちコメはわずか60億円です。このため、日本の自給率は先進国で最低水準です。

――なぜ、日本は農産物の輸出が少ないのですか。

奥原 戦後の農地改革は、多数の零細農家という生産性の低い農業構造を作り出しました。この農業構造では輸出競争力を持つことはできないと諦めてきたということが根底にあります。

欧米は、農産物の生産が国内需要を満たすようになった段階で、輸出を真剣に考えるようになり、1970年頃から輸出を大きく伸ばしてきましたが、日本は、国内需要に合わせて生産を縮小するという措置を取りました。いわゆる生産調整ですが、これではじり貧になるだけで、競争力も自給率も向上しません。

農産物貿易交渉でも、欧米が輸出補助金の廃止に反対する中で、輸出に関心のない日本は廃止に賛成し、輸入規制と国内補助金の維持に固執してきました。保護主義的な政策を続ければ、競争力が向上するはずはありません。

――日本の現状は不安この上ないですね。

奥原 スピードは遅いですが、日本の農業構造もかなり変化してきています。農業者の平均耕作面積は3haですが、既に10ha以上を耕作する農業者が全農地の5割以上を利用しています。零細な兼業農家の数が多いので、平均値は小さくなりますが、平均値では日本農業の実像は見えません。

家族経営から法人経営に切り替えて経営を拡大しているところも急速に増えています。そして儲かっている経営には必ず後継者もいます。こうした農業者が能力をフルに発揮できるようにしていけば、日本農業の競争力は向上し、輸出を含めた成長産業になっていけると思います。

――いま必要なことは何でしょうか。

奥原 農業者が高齢化しているということは、農業構造を変えるチャンスということです。リタイアする人の農地を、意欲と能力のある農業者のところに集め、まとまった面積を耕作できるようにしていくことが基本です。これが進めば、農地の大区画化などの土地改良もやりやすくなりますし、スマート農業技術も効率的に使えるようになり、生産性は向上します。そして、規制や統制を極力排除して、農業者がその創意工夫で自由に生産し、販売できるようにしていくことが重要です。

農業団体・食品関連企業等が輸出を本格的に進めれば、国内需要だけを見た生産調整は必要なくなります。ニュージーランドのフォンテラは、酪農家の協同組織ですが、世界的な乳製品輸出企業になっています。日本でもその気になればできるはずです。

腰を据えぶれずに取り組む覚悟

――それは、農業政策の基本方向を変えるということですか。

奥原 1999年に「食料・農業・農村基本法」が制定されています。この法律は、旧基本法の価格政策・補助金中心の保護主義的・統制経済的な政策では農業は発展できなかったという反省を踏まえて、作られました。6年もかけて国民各層の議論を積み重ね、農業界の都合ではなく国民経済的視点に立って、農業政策の基本方向を整理しています。その趣旨は、農業を競争力のある強い産業にすることで食料の安定供給を図ろうということですから、この方向は間違っていません。 

問題は、今なお農業界に旧基本法の発想が根強く残っていることで、この発想を払拭して、新基本法を踏まえた政策運営を徹底していくことが重要です。それには経済界もマスコミも農業界の動向を注視することが必要です。食料安全保障は国民全体の課題ですから、農業界任せではいけません。

――食料安全保障のための特効薬的な政策はありませんか。

奥原 ロシアのウクライナ侵攻に端を発する現在の緊急事態については、意欲と能力のある農業者の経営を安定させる適切な政策が必要だと思いますが、食料安全保障は一朝一夕に確立できるものではありません。腰を据えてぶれずに取り組むことが必要です。

消費者にも現在の食生活を見直していただく必要がありますが、何と言っても、日本農業を輸出できる強い産業にしていくことが基本です。予算を確保すればよいのではなく、農業を強くするための予算でなければいけません。また、官と民の役割分担もきちんとしなければいけません。輸出にしても、国がやれるのは旗を振り支援体制を整備することまでで、輸出そのものは民間が本気で地道な努力を積み重ねなければ成果は上がりません。

結局、食料安全保障のための政策とは農業政策そのものです。競争力強化のためのメリハリのついた政策を加速して実行していく以外に方法はありません。補助金バラマキのポピュリズム政策をとれば自給率が上がるわけでもありません。それは戦後の農政が証明しています。

(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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