本誌表紙絵/儚くも可憐な 「澁澤星ワールド」

本誌の表紙を彩って来た日本画家の澁澤星さんは、何と『論語と算盤』の栄一翁の玄孫。一族のオンリーワン。

2022年7月号 LIFE
by 深山朔次郎(評論家)

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「実り」(2016年)

その作品は、都心の聖路加国際病院(東京都中央区)1階の壁に掛けられ、往来する人たちを静かに見守るように佇んでいた。作品名は「実り」――。幅3メートルを超える日本画の大作の真ん中には、アンニュイな面差しを浮かべる女性2人が何かを見つめるように腰かけ、周りに果実が描かれている。所々に金箔を施し、幻想的な雰囲気を醸し出すこの日本画は、ことさら自己顕示が強いわけではないが、静謐な空間に溶け込み、得もいわれぬ光彩を放つ。

思想と白昼夢の境を探す

「≒・≠」(2021年)

この絵を描いた澁澤星さんは、2015年5月号から本誌の表紙を彩ってきた日本画家だ。春夏秋冬の興趣尽きないモチーフは、時に金箔を大胆にあしらった金木犀で驚かせたり、青い空と緑の海波と白き灯台をシンプルに描き、遠き日の夏休みの記憶を思い出させてくれたりもする。

澁澤さんが憧憬するモチーフは、現実と幻想の共存だ。

「私にとっての理想の空間とは、人智を越えた遠い存在ではなく、感動を凝縮し形象化した、現実と近似していながら特別性を持つ空間です」。言い換えると、思想と白昼夢の境目を探し、表現することだともいう。単なる写実でも幻想でもない、儚く可憐な雰囲気の画風を観れば得心がいくだろう。

澁澤さんは1983年、東京都生まれ。東京芸術大学で日本画を学び、同大学院で博士号(美術)を取得。21年3月まで約3年間、研究助手も務めた。この間、サロン・ド・プランタン賞、台東区長賞、有芽の会法務大臣賞などを受賞。奨学金を得てトルコやフランスへも留学した。

現在はフリーだが、独特の色彩と空間把握、物憂げな女性像が人気を博し、新進の日本画家として注目されている。

澁澤さんの人となりを知る上で興味深いのは「日本資本主義の父」と呼ばれる大実業家、澁澤栄一翁(1840~1931年)の玄孫に当たることだ。

「一族の中で画家は、私だけかも知れません」と、澁澤さんは控えめに話す。父親の寿一さんは農学博士で環境NPO「共存の森ネットワーク」理事長。かつて長崎「ハウステンボス」の役員として企画・運営に携わった。お陰で星さんも幼少期を長崎の豊かな自然の中で過ごした。その体験が画想に大きな影響を与えたという。

「長崎は私にとっての原風景です。住んだところは田舎で自然も豊か。植物が好きでよく観ていました。また、長崎はオランダや中国などの異国の景色がまざりあった独特の雰囲気があり、今の自分の世界観に大きく影響していると思います」

日本画でありながら、妖しい異国情趣が漂う女性画の源流は長崎の原体験に行きつく。得意とする植物画についても「人工的に管理されたものではなく、かといって人の手が入らず放置されたものでもないものを選びます」と話す。それは紛れもなく、幼い日に見た自然と人とが調和する在りようだった。

幼い頃から美術館によく通い、いつしか画家を夢見るようになったが、両親は当初賛成はしなかった。

「高校生になって初めての反抗でした。後悔したくなかったので覚悟を決めました」(澁澤さん)。『論語と算盤』の末裔にとっても、最難関の芸大の壁は厚く、「浪人の辛酸を舐めました」と打ち明ける。

芸大の助手時代は制作の追い込みがかかると、研究室のソファーでそのまま横になり朝を迎えることも珍しくなかったという。

卒業制作『萱草に寄す』

「12月」(2014年)

20代の頃、大きな影響を受けたのが、空間と人体との連続的な繋がりを装飾的な特徴とするウィーン分離派のエゴン・シーレ(1890~1918年)。「シーレのドライな質感は、自分と正反対でとても新鮮に映り、それを試みたい」と思うようになったという。

最近では、シーレに大きな影響を与え、日本でも人気の高いグスタフ・クリムト(1862~1918年)の作風と似ていると評され、澁澤ファンから「和製クリムトを目指せ」という声が聞かれるようになった。

「昔はそう言われるのが嫌でしたが、最近は『それもありかな』と思うようになりました」と目を細める。絵画の醍醐味を「作者と観る人のコミュニケーション」と捉える澁澤さんにとって、ファンの声援は新たな創作の原動力になるはずだ。

澁澤作品で忘れてはならない作品は、芸大卒業時に描いた「萱草(わすれぐさ)に寄す」(2009年)だろう。

「馴染み深いカフェバーを舞台に、バッハの音楽が流れ、大好きな詩集を読んだり、さまざまな幻想と戯れたり……」。そこに描かれたモチーフこそ、澁澤作品の原点である。

澁澤さんは夭折した立原道造(1914~39年)の詩集『萱草に寄す』を耽読し、そこから立ちのぼるイメージを、自らの心象と重ね合わせた。そして自ら愛する詩の一節をくちずさむ。

〈一人はあかりをつけることが出来た/そのそばで本をよむのは別の人だった/しづかな部屋だから低い声が/それが隅の方にまでよく聞えた(みんなはきいてゐた)〉

卒業作品のタイトルは、立原の詩集の『萱草に寄す』そのものである。現実と理想、実在と幻想、過去と未来……。そのあわいを往還し、越境する旅人よ。それが澁澤ワールドの原風景である。

「Golden afternoon」(2022年)

著者プロフィール

深山朔次郎

評論家

   

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