2022年1月号 連載 [コラム:「某月風紋」]
「彼は『外交と金融とはその性質を同じうする。いずれもクレディット(信用)を基礎とする』という言葉が好きだった」
彼とは、戦後の体制を作った吉田茂である。高坂正堯氏の『宰相吉田茂』(1968年)は洛陽の紙価を高からしめた。
のちに首相となる池田勇人が、吉田派から分かれ創設した「宏池会」は、自民党の最古の派閥である。岸田文雄によって、宮澤喜一以来、実に28年ぶりに宰相を送り出した。
「所得倍増・経済成長」を掲げた、池田首相に新聞は冷たかった。岸田首相に対してもメディアに冷めた視線がある。
山本七平氏は往年の名著『田中角栄の時代』のなかで「政治家とは、その知識の広さと洞察力の深さによって、自分が生きている社会の欲求をはっきりと正確に感じ取り、できるだけ衝撃や苦痛を避けて、社会の到達すべき―あるいは少なくとも到達できる―目標に導く最善の手段を発見する方法を知っている人」である、と定義する。
「新聞の報道は完全な『政略の報道』であり、『政策』の報道は皆無である。…所得倍増計画を実施した場合、将来どのような問題が生じるかといった視点が全くなくても当然である」と、同書で山本は断じる。召集された臨時国会における、岸田首相の「所信表明演説」に掲げられた政策についても、もっと吟味されるべきである。
「新しい資本主義」は、総裁選に向けて出版された首相の著書のなかで、新自由主義に抗する姿勢を鮮明にしたものだ。「デジタル田園都市国家構想」もしかり。池田が首相になる前から「所得倍増・経済成長」を唱えていた系譜に連なる。高坂の著書『宰相吉田茂』を再び引きたい。「彼は私が商人的な国際政治観と呼んだものを持っていた。すなわち、彼は国際政治において、経済のつながりを持つ意味をきわめて重視した」。吉田の嫡子たる池田の血が岸田の中にも流れている。
(河舟遊)