日本労働組合総連合(連合)会長 芳野友子氏(聞き手/編集長 宮嶋巌)

「連合」組合員増やし「女性比率」を40%超に

2022年1月号 BUSINESS [トップに聞く!]

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1965年東京生まれ。高校を卒業し工業用ミシン大手「JUKI」入社。同労組委員長、産別労組「JAM」副会長、連合副会長などを歴任。2021年10月より現職。

写真/河崎貴一

――初の女性会長として「2022春闘」にどう臨みますか。

芳野 コロナ禍を受け、非正規雇用の約7割を占める女性労働者の雇用の不安定さや生活面への影響が大きい。男女間賃金格差がより拡大し、固定化しています。これまで以上に取り組みを強化すると闘争方針で強調しました。私はこれまで「全ての活動にジェンダーの視点を」と訴えてきましたが、会長就任以降、産別労組からも「ジェンダー平等」を叫ぶ声が上がり、闘争方針の冒頭に明記されたのは画期的なことです。

――「新しい資本主義実現会議」のメンバーに選ばれ、女性の科学人材育成を求めました。

芳野 義務教育終了段階では比較的高い理数リテラシーを持つ女性生徒が約40%にもかかわらず、高校、大学と進むにつれて少なくなっている。これは「女性は理数系に向かない」というバイアスや職業選択の幅の狭さが原因です。大学、研究機関などのあらゆる分野においてポジティブアクションの取り組みを行う必要があると、提言に盛り込むべきだと申し上げた。

――労働組合における活動が36年間と、非常に長いですね。

芳野 私は高校を卒業した1984年に工業用ミシン主力の「JUKI」に入り、翌年20歳の時に労組専従となりました。88年に同労組の中央執行委員になりましたが、それまでは全役員が男性。私が入って19対1になりました。JUKIは男性中心のメーカー。男女雇用機会均等法の施行(86年)以前は結婚・出産退社が当たり前の企業風土でした。

私が最初に問題提起し、取り組んだのは育児休業制度の導入です。会社に要求書を出し、89年に実現しました。当時社長であった山岡建夫さん(81)は「恩人」と言っても過言ではなく、連合会長就任の際も「よかったね。頑張りなさい」と励まされ、現在の清原(晃)会長、内梨(晋介)社長も「何でも相談しなさい」と仰ってくださいます。私は労組の諸先輩だけでなく、経営側からも多くを学び、育てられ、「ガラスの天井」を破ることができたと感謝しています。

――次は来夏の参院選です。

芳野 衆院選は自民党が単独で絶対安定多数を獲得。二大政党的体制の実現に至らず、極めて残念な結果に終わりました。

それ以上にショックを受けたのは、当選した議員に占める女性の割合です。3年前に男女の候補者の数が「均等」になることを目指す法律が施行されたのに、候補者に占める女性の割合は17.7%、女性の当選者は前回を下回る9.7%でした。75年前に初めて女性が参加した衆院選における女性の当選者は8.4%でした。日本という国は100年経っても変われないかも……。

――我が国の労組の組織率は下がり続け、約17%。連合の加盟組合員(704万人)の女性比率も36%にとどまっています。

芳野 日本の非正規雇用者比率は約4割で、その7割を女性が占めています。春闘では男女間に加え雇用形態間の賃金格差の是正に力を入れ、多様な就労形態の抱える課題に取り組みます。私の在任中に連合の組合員を増やし、女性組合員比率を40%以上にしたいと思います。

(聞き手/本誌編集長 宮嶋巌)

   

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