「復興」のノドに刺さった骨 1Fの処理水「海洋放出」/東日本国際大学教授 田部康喜

2021年12月号 BUSINESS [浜通りを歩く]
by 田部康喜(東日本国際大学教授)

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「汚染水排出反対」の看板

東日本大震災による巨大地震と津波、福島第1原子力発電所(1F)のメルトダウンに襲われた、福島県には「三つの国がある」といわれる。東北地方第2位の人口を誇る中核都市、いわき市から沿岸の「浜通り」を歩いた。総選挙の街宣車のスピーカーの音を遠くに、また近くに聞きながら――。ちなみに、もう二つの国は「会津」と、県の中央を通り抜ける国道4号線沿いの「中通り」である。

浜通りを貫いて仙台に至る国道6号線沿いには、背後の海を守るように「汚染水排出反対」の看板が所々に立っている。総選挙期間に入って、野党が争点化を狙ったのか「トリチウム 汚染水 海洋投棄」の文字が際立っている。「反対」の文字がつい先ごろまであったが、総選挙のポスターで覆われていた。しかも、文字がかすれていた。問題の解決がいかに遅れてきたかを物語る。

福島県は「野党統一候補が3勝2敗」

事は2013年3月に汚染水から放射性物質を取り除く多核種除去装置(ALPS)の試運転に遡る。1Fの処理水の問題は浜通り、なかんずく、東日本大震災の被災地の「復興」のノドに刺さった骨である。廃炉に向けて、燃料棒が溶けたデブリなどを処理する施設を建設するためには、1千基を超えるタンクを撤去しなければならない。そのための海洋放出である。タンク内の処理水は、再処理して放射性物質をさらに取り除く。水の形で存在するために、除去できない「トリチウム」については希釈して、世界保健機関(WHO)が安全とする基準値よりも三桁低い水準にすることが可能である、という。

政府と東電は、廃炉の工程を睨みながら、処理水の海洋放出は23年春からの実施を計画している。自由民主党総裁の岸田文雄首相は、総選挙の公示日である10月19日、第一声の場所として、福島市の土湯温泉を選んだ。「原発の廃炉や処理水、心のケアなどまだまだやらなければならないことがたくさんあると痛感した」と演説した。その2日前には1Fを視察した。富岡町で開いた記者会見では、地元記者をはじめとして「処理水」の問題に質問が集中した。「(海洋放出について)予断を持って申し上げることは控えます。地元の皆さんの理解は大事であるということで、科学的に、そして国際原子力機関(IAEA)の協力も頂きながら、しっかりと安全性、透明性をもっと説明していく、理解に努める、これが重要であると思います」と、答えた。実質的に回答を避けた。

福島県は、小選挙区1区から5区までの全区で、野党が統一候補を立てて、自民党に挑んだ。投開票の結果は、野党統一候補の3勝2敗だった。「会津」において、野党統一候補は勝利して自民党から議席を取り戻した。他はいずれも前職が当選した。いわき市と1Fの周辺自治体で構成する、5区は野党統一候補の共産党新人が敗れた。地元の人々は、今も毎日数千人規模が、1Fの廃炉に向けた作業に従事している。福島産の農林水産物に対する「風評被害」もよく知っており、政治家の言葉を見抜く力に長けている。

福島県最大の漁港である、いわき市の小名浜港は、サンマやカツオなどの遠洋漁業ばかりではなく、アンコウやヒラメなどの沿岸漁業の水揚げ港である。「常磐もの」は、かつて東京・築地市場の最高級品ブランドだった。

福島県は東日本大震災の直後から試験操業を続けてきた。20年2月以降、国が出荷制限を課す魚介類は皆無である。それでも、買い叩かれる。

江名港の旧家、加澤喜一郎さん

小名浜港に近い江名港で、江戸時代から漁業を営む、旧家の当主である「合資会社多七商店」の社長・加澤喜一郎さんを訪ねた。

加澤さんは語る。「海洋放出はもちろん、断固反対です。国も東電も『安全』だという。しかし『安心』つまり『心』の問題なのです。消費者が安心してくれないと、風評被害によって漁業従事者は大きな痛手を被るのです」

初の震災遺構となった「旧・請戸小」

加澤さんは、「全国さんま棒受網漁業協同組合」(本部・東京都港区)の副組合長を務める。1Fのメルトダウンの直後、漁協幹部が集結した。民主党政権は、1Fから半径20キロ圏から住民の退避、20~30キロの住民に屋内退避を勧告。米軍は日本在住の米国民に対して、半径50マイル(約80キロ)離れるように勧告した。幹部たちは、米軍の基準にならうことを決めた。この年、さんまの価格は平年並みだった。「ところが翌年、例年の半値ぐらいまで暴落してしまったのです」。この風評被害を加澤さんは忘れない。

初の震災遺構となった「旧・請戸小学校」

浜通りの人々は、文字通り「海」とともに生きてきたのである。そのことを象徴する「震災遺構」が、総選挙中の10月24日に浪江町に設けられた。大津波に襲われながらも、生徒と職員の計約95人全員が、1.5キロも離れた小高い山に逃れて助かった「旧・請戸(うけと)小学校」である。

福島県初の「震災遺構」となった校舎は遠洋漁業が盛んだった地域にちなんで、クジラの姿を思わせるデザインになっている。校舎に近づくにつれて、磯の香が強くなる。海はすぐそこだ。

大津波は2階部分まで達した。1階部分は破壊されたまま保存された。残された黒板に救援に来た人や同窓生の激励が白いチョークで書いたメッセージが残されている。宮城県石巻市の旧・大川小学校において、生徒と教職員84人が亡くなった「悲劇」とは、別の「教訓」を浜通りの人は後世に残そうとしている。

「小名浜ディクルーズ」から見た工業地帯

「復興」は、遅々としながらも、進んでいる。運営会社の経営が、震災によって行き詰まり、今夏から復活した「小名浜ディクルーズ」に乗ってみる。いわき市は14市町村が合併して誕生する直前、「中通り」の郡山市とともに「常磐・郡山」として、「新産業都市」の指定を受けた。小名浜港は、埠頭が整備され、工場地帯も再建されている。夜のクルーズでは、工場群の幻想的な風景が見られる。

復興に必要なのは「資金」である。浜通りには、都市銀行の支店や、東北地方の有力地銀の支店網がほとんどない。地元に根差した、信用金庫と信用組合が支えている。

いわき信用組合(本部・小名浜)は15年に「磐城国地域振興ファンド」を設立して、地域金融業界を驚かせた。起業する人を支援する、総額3億円のファンドを立ち上げたのである。専務理事の本多洋八さんは語る。

「震災地の地域金融機関の役割は、実はIターンやJターンをして、東京などで培った技術や人脈を生かして、地元のために起業しようとする人を支援することです」

ファンドの融資先で、日本製の樹木を原材料にした高級箸メーカーは、グッドデザイン賞を受賞した。野菜の収穫をコンピューター管理して、最も市場価格が高い時期に合わせて出荷する農業法人もある。

「災害パラダイス」――。大災害が起きると、被災地に起業の大きなうねりが起きる。米国の南東部を2005年に襲った、ハリケーン・カトリーナの被災地は、いまやシリコンバレーとならぶベンチャー地帯となっている。

厚生労働省の「雇用保険事業年報」から推定した「起業率」をみる。震災直後の13年度の都道府県の起業率のランキングで、1位の沖縄7.6%に次いで、2位に宮城県6.1%、6位に福島県5.6%である。

「なりわい」が大きく変化する懸念

東電出身の石崎芳行さん

「浜通りのおせっかい爺さん」を自称する、一般社団法人「ならはみらい」の顧問を務める石崎芳行さんを楢葉町のオフィスに訪ねた。石崎さんは東電出身。副社長などの要職を歴任した。楢葉町にある福島第2原子力発電所の所長も務めた。また、東電が1Fの所在地である、双葉町に新設した「福島復興本社」の初代代表でもあった。東京に自宅はあるが、ほとんどは楢葉町で暮らしている。「浜通りとの関係は、かれこれ25年になります。(1Fのメルトダウンの)ご迷惑をかけたわけですから、人と人とをつなげて、地元のためになることをしていきたいだけです」という。

この日は朝から、富岡町で赤ワイン用のブドウの取り入れを手伝ってきたという。川内村にある第三セクターのワイナリーに運び込むためだ。東電の後輩の社員が退職して、浜通りでワインづくりに取り組みたい、と石崎さんに相談してきたのが始まりだった。川内村の商工会のトップや、村長を紹介すると、第三セクターのワイナリーの設立にまでこぎつけた。

翌日は、県外のスポーツイベントの会社とサーフィンのイベントができないか、相談する。地元のサーファーたちは、石崎さんが2Fの所長時代に知り合った関連会社の人々だ。

内田広之いわき市長

浜通りのリーダーであるいわき市の市長が9月末に交代した。文部科学官僚出身の内田広之さんである。地元の名門高校から東北大学、東京大学大学院修士のエリートは、地元の震災ボランティアの体験を経て、故郷に帰る決断をしたが、立候補表明後から「よそ者」扱いを受けたと言う。

選挙が政治家をつくる――。いわき市は中山間地から市街地、沿岸地帯まで、香川県と同規模の広大な面積がある。津々浦々で漁業従事者の本音に触れた。処理水問題の認識を語る。「政府と東電は、漁協の幹部ばかりではなく、漁業従事者の一人ひとりに説明して、納得して欲しいと思います」

福島の人々の頭の片隅には、10年の年月を経ても常に1Fがある。そして、「処理水」の行方によっては、自らのなりわいが大きく変化する懸念を抱いている。「処理水」問題はどのような決着点を見い出せるのだろうか。

著者プロフィール
田部康喜

田部康喜(たべ こうき)

東日本国際大学教授

福島県会津若松市出身。東北大学法学部卒業、朝日新聞論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長。研究者としてのテーマは1F事故後の周辺地域における起業と観光政策、農業振興など。

   

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