新連載 大塚耕平 「α世代」に託す日本 

α世代は真っ白だ。AI(人工知能)と共存する彼らの才能や可能性を最大限に引き出す社会を創りたい。

2020年12月号 BUSINESS [三耕探求①]
by 大塚耕平(参議院議員)

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ネット高校「N高」のVR入学式でゴーグルを装着する新入生

α(アルファ)世代は、現在の子供、及びこれから誕生する子供たちを総称している。生まれた時からインターネット、スマホ、SNSは空気のような存在であり、AI(人工知能)と共存する世代である。

α世代は真っ白だ。過去の成功体験と無縁であり、ジャパン・アズ・ナンバーワンの呪縛もない。就職氷河期のトラウマもない。イノベーションにも順応できる。

α世代の才能や可能性を最大限に引き出し、彼らが自由に活躍できる社会を創る。それが今後の日本にとって重要なことだ。

α世代に対して、ベビーブーマー(団塊世代)やヴォーゲル世代が悪影響を与えてはならない。

「チャイニーズドリーム」追う中国Z世代

バブルが崩壊したにもかかわらず、日本がまだその余韻に浸っていた1991年、米国でダグラス・クープランド著『ジェネレーションX』がベストセラーになった。

X世代とは、ベトナム戦争の頃に若年期を過ごし、厭世感が広がった世代の総称として著者が命名した。戦後ベビーブーマーの次の世代であり、しらけ世代、ミージェネレーションとも言われる。

以来、米国では世代のネーミングが定着し、次の世代はジェネレーションYと呼ばれるようになった。Y世代は若年期に世紀の変わり目を迎えたため、ミレニアル世代(ミレニアルズ)とも言われる。

インターネット普及前に生まれ、9.11に直面した。ITバブル崩壊やリーマンショックによる不況と失業増も経験したロストジェネレーションである。

この時期、グローバリズムやインターネットの影響が世界に広がり、米国のみならず、日本の同世代も同じような環境と向き合った。日本のY世代は就職氷河期や非正規雇用急増という社会状況に遭遇し、米国と同様、やはりロスジェネと呼ばれる。

Yの次はZである。Z世代にとって生まれた時からインターネットは自然な存在であり、PCよりスマホを日常的に使いこなす世界共通のスマホ世代(iGen)、最初のデジタルネイティブ世代である。

Z世代の勢いを日本と欧米諸国、急成長した中国と比較すると、少々違いがある。

イノベーションに親和的な欧米のZ世代は、日本のZ世代と比べるとネットやデジタルの発展に順応している。日本と欧米の社会体質の違いが影響しているかもしれない。

Z世代がそれ以前の世代と比べて劇的に進化し、自信を得たのは中国。その背景には、中国の国情を反映している。

2000年頃から国策として大学入学者、大卒者が激増した中国。彼らの多くは生き残りをかけて海外、とくに米国に留学し、競争に勝ち残るために必死に勉強し、米国で職を得ようとした。卒業後に満足できる職が得られなければ、躊躇なく起業した。つまり、ハングリーなのである。

01年にWTO(世界貿易機関)に加盟し、中国のZ世代は資本主義に急速に順応した。

Z世代の登場前に、今や米国GAFAと並び称される中国BATHが相次いで起業している。テンセントは1998年、アリババは99年、バイドゥとファーウェイは2000年である。

バイトダンスのチャン・イーミン(左)、滴滴出行のチェン・ウェイ(右)ら中国起業家の「第2世代」を仰ぎ見てチャイニーズドリームを目指す子供たち(天津市静海区)

Photo:Avalon/Jiji Press(中央)

BATH経営者層を中国起業家の「第1世代」とすると、Y世代の中から「第2世代」が次々と誕生した。米国の標的となっているTikTokを生み出したバイトダンス、タクシー配車サービス滴滴の創業者はいずれも1983年生まれである。

「第2世代」に続き、Z世代からも続々と起業家が生まれている。中国Z世代には日米欧に対する劣等感や気後れはない。

1年間の大卒者が約900万人に及び、日本の大学生全体の半分近い人数が米国に留学し、BATHの成功に自国への自負を感じ、それに続く「第2世代」起業家を仰ぎ見て自分もチャイニーズドリームを目指す。それが中国Z世代だ。

対して、日本のZ世代はどうか。

前世代であるY世代の就職氷河期、非正規雇用急増、GAFAに席巻され、BATHにも追い抜かれる産業や企業の勢いの差、そうした空気に馴染んでいる日本のZ世代。残念ながら米欧中ほどの勢いはない。ハングリーさにおいて、日本と米欧中、とりわけ中国との差は大きい。

Z世代自身の責任ではない。過去の成功体験やジャパン・アズ・ナンバーワンの呪縛に囚われ、コストダウンを経営戦略とはき違え、就職氷河期や非正規雇用急増という事態を招いた先行世代の責任だ。各界を担った人々は、すべからく自問自答が必要であろう。

「日本は大丈夫」という無意識の楽観

現在の50歳代、60歳代は、米国流に言えばXとYの間の世代。物心ついた頃には日本は先進国であり、1979年のエズラ・ヴォーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』に遭遇し、バブル期の経済力を実感した世代。言わば「ヴォーゲル世代」である。

各界ヴォーゲル世代は、Z世代を鼓舞し、彼らが自信を持てる社会を創ることに全力を傾注しなければならない。

Zに続く世代はアルファベットがなくなったので、ギリシャ文字を借りてα世代と呼ばれている。

2010年代に物心がつき始めた世代であり、現時点で20歳前後より若い世代、及びこれから誕生する世代である。

日本のα世代に、Y世代やZ世代と同じ経験をさせてはならない。現時点では真っ白のα世代の可能性と未来を最大限に発展させ得る日本を創ること、それが現在の各界の中心であるヴォーゲル世代に課された責務だ。

1960年、西ドイツ(当時)は名目GNPで英国を抜いて世界2位になった。日本がその西ドイツを抜いて2位になったのは68年、敗戦から23年目であった。敗戦国西ドイツと日本の面目躍如である。

2010年、今度は中国に名目GDPで抜かれて3位になった日本。人口が10倍以上の中国に規模で後塵を拝することはやむを得ない。しかし、その後も中国の成長が加速する一方、日本は構造的低迷が続き、1人当たりGDPの優位性も安泰ではなくなりつつある。

格差が大きい中国では、既に人口の約2割は日本人より所得が高い。中国の人口の2割と言えば、日本の人口の倍。それだけの人数が日本人よりも豊かであることが、コロナ禍前の中国人インバウンド激増の背景である。

実質GDPを見ると、90年比で米英は40~50%増加しているが、日本は20%程度。韓国、台湾は3倍増、中国は10倍増である。

また、過去20年で日本の実質賃金は約10%減少している。これでは、日本のY世代やZ世代が自信を喪失し、守りに入るのもやむを得ない。彼らの責任ではない。

中国は2035年にGDPを現在比で倍増させる計画を発表した。実現すれば、1人当たりGDPでも日本は中国の後塵を拝する。

その35年頃の中心がα世代である。

戦後75年が経過した。その間を経済の変遷で区切れば、戦後復興、高度成長、ジャパン・アズ・ナンバーワン、バブル経済、失われた30年の5つに分けるのが適当だろう。

戦後復興と高度成長に対する自負、ジャパン・アズ・ナンバーワンの呪縛、バブルの幻想と崩壊後の萎縮。それらの心理が輻輳し、激動する内外情勢に的確に対応できなかったことが失われた30年につながった。

各界指導者の潜在意識には、日本はアジアで唯一の先進国、産業や企業は一流、業績はやがて回復する、合理的根拠のない「たぶん大丈夫」という無意識の楽観があった。いわゆる「正常化バイアス」である。

労働力を単なるコスト調整弁と考え、技術革新が猛烈に進む中で人材の育成・登用、投資判断、企業戦略に失敗した。

IT化もコスト削減と捉え、非正規雇用や外国人労働者の低賃金に依存した業績回復を企業戦略と錯覚し、世界の構造変化やデジタル革命に対処できていなかった現実が、コロナ禍によって白日の下に曝された。

国際情勢への対応も同様である。米中対立、ロシア復権、ブレグジット、東南アジア・アフリカへの中国の影響力拡大など、国際社会が劇的な変貌を遂げつつある中で、主体的な外交安保戦略を展開できていない。

米中両国は表面上の対立とは異なり、深層では技術的、経済的に密接不可分の関係にある。軍事的にも、ある意味では共存共栄関係だ。外交安保に関しても「日米同盟があるから心配ない」「たぶん大丈夫」という根拠のない「正常化バイアス」に陥っていないか。

かつて評論家、山本七平(1921~91年)が指摘した「空気の論理」を彷彿とさせる。山本は著書『「空気」の研究』の中で、日本社会の「空気的判断」に警鐘を鳴らした。

全体の雰囲気に異を唱えない、違和感があり、気づいていても、周囲の「空気」を無意識に気遣い、あえて発言も指摘もしない。

山本に先立ち、日本社会の体質を「無責任の体系」と称した政治学者、丸山眞男(1914~96年)の分析とも通底する。

「正常化バイアス」と「空気」と「無責任の体系」を自覚し、そこから脱する覚悟と行動が問われている。

「対立の迷路」「同調の悲劇」に陥る社会

α世代に託す日本を創生するために、議論と決断が必要である。しかし、どの意見が「正しい」のか。「正しい」とは曖昧なものであり、絶対に「正しい」ことは存在しない。議論の落とし所を見出さなければ「対立の迷路」に陥る。事実を探究せず、何となく好感できる意見に賛同し、異論を排すれば「同調の悲劇」に陥る。日本は「対立の迷路」と「同調の悲劇」に陥り易い社会だ。だからこそ、異論を排せず、現実的な改革を模索する中道の重要性を痛感する。

中道とは足して二で割ることではない。持論に固執せず、異論を排せず、現実的な改革を実践するための議論と思考の作法である。社会保障、経済、外交安保、技術革新など、あらゆる分野で難局に直面し、具体的な改革が急務となっている日本にとって、「対立の迷路」に迷うことなく、「同調の悲劇」を招かないために、改革中道が重要である。

生産的な議論を行うためにソクラテスに端を発する哲学者が説いた「弁証法」。対立する意見を戦わせ、弁論を行い、自説の補強と修正を行う。4つの重要なポイントは、①議論を噛み合わせること、②どちらか一方が絶対に正しいという前提に立たないこと、③質問は論理的であること、④質問には真摯に回答すること。果たして日本は、政治においても、経営においても、生産的な議論を行い得ているか。

「弁証法」に重きを置く哲学者はソフィストの「弁論術」を批判した。ソフィストは人名ではない。議論のテクニックを教授する職業名である。「弁論術」は議論を深化させるものではなく、生産的な結論に至らない「詭弁」とほぼ同義に扱われた。

日本の国会論争には「弁論術」的不毛さを感じるうえに、二項対立と二律背反の弊害も見受けられる。

二項対立の中で、どちらか一方を正しいと結論づけようとすれば議論は収斂しない。二律背反は両立し得ないふたつの命題なのだから、結論は存在しない。二項対立に終始し、二律背反で硬直し、中間領域の結論や合意に至ろうとしない場合は「対立の迷路」と「同調の悲劇」に陥る。そうならないための議論と思考の作法が改革中道である。

現実と向き合う「改革中道」の重要さ

「三耕探究」というタイトルは筆者の造語である。ある時「学有り、論優れども、心貧すれば、任に能わず」という表現が脳裏をよぎり、「学を耕し、論を耕し、心を耕す」、つまり「耕学」「耕論」「耕心」で「三耕探究」という造語に到った。

生産的な結論を得るためには、事実を共有し、議論のルールを守ることが必要である。そのうえで、現実的な落とし所を見出すには、論者の心、議論に向き合う姿勢、すなわち改革中道が重要であることを痛感する。以来、そのことを自らの肝に銘じ、誓いを込めて「三耕探究」を反芻している。

「事実を確認し、共有する」ことすら十分でない日本。ここ数年、その傾向は顕著であり、憂慮せざるをえない。是非や賛否は別にして、まず事実を開示、共有することなしに、生産的な結論は得られない。

事実を開示せず、持論を強弁し続ける国会論争を目の当たりにすると、日本の未来が不安になる。「正直な政治」「偏らない政治」「現実的な政治」が日本に最も欠けている。それなくして内外の諸問題に対処できない。現に欠けていたからこそ、現在の窮状がある。

事実を客観的に捉えることも、実は難しい。事実か否かを確認する段階で個人の先入観が影響するからだ。2018年に邦訳が出版されたハンス・ロスリング著『ファクトフルネス』は、事実を確認することの重要性を指摘し、ベストセラーになった。

ロスリングは「人間には本能的な先入観があり、データや事実を基に理解することを邪魔している」と指摘した。この「先入観」は世界共通である。しかし、日本人及び日本社会の「先入観」は相対的に強く、それに加えて「正常化バイアス」と「空気」と「無責任の体系」が影響している。

折しも米国大統領選挙はバイデン勝利となったが、混迷がどのように収斂し、日本の今後にどのような影響を与えるか見通せない。

同盟国米国がこのような状況だからこそ、ヴォーゲル世代は「正常化バイアス」と「空気」と「無責任の体系」の呪縛を逃れ、冷徹に事実を確認し、日本の現実を見据えることが必要である。

α世代に託す日本の現実を直視し、戦略を練り、実行しなくてはならない。

著者プロフィール
大塚耕平

大塚耕平

参議院議員

日本銀行を経て参議院議員。現在、国家基本政策委員長、早稲田大学客員教授(早大博士)。藤田医科大学客員教授。著書に『「賢い愚か者」の未来』(早大出版)など。仏教研究家としても活動している。

   

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