特別寄稿 中野剛志 米軍は「撤退」中国が「東アジア」覇権

誰が大統領になろうが、アメリカ覇権の凋落と中国の台頭という「構造」は変わらない。日本にとっては悪夢。

2020年12月号 BUSINESS [米大統領選後の行方]
by 中野剛志(評論家)

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勝利宣言するジョー・バイデン

今回のアメリカ大統領選には大きな注目が集まったが、大統領選後のアメリカの行方を予測するのは、大統領選の結果を予測するよりもはるかに容易である。なぜなら、アメリカが向かう方向性は、大統領という「主体」ではなく、国際政治経済の「構造」によって決まっているからだ。

それは、アメリカ覇権の凋落と中国の台頭という「構造」である。この構造を理解する上では、国際政治経済学における「覇権安定理論」という理論の助けがいる。

「覇権安定理論」を唱えたのは、国際政治経済学の権威ロバート・ギルピンである。ギルピンは、1981年に『戦争と世界政治における変化』を著し、こう論じた。

リベラルな国際政治経済秩序は、その国際秩序を守護する覇権国家を必要とする。十九世紀であれば大英帝国、二十世紀の西側であればアメリカが覇権国家である。

ところが、覇権国家に支えられた国際政治経済秩序は、その成功ゆえに、いずれ崩れる運命にある。その理由は次の通りだ。

ポスト冷戦「リベラリズム戦略」の失敗

世界各国は、覇権国家が守護する安定的な国際政治経済秩序の恩恵を受けて繁栄する。ただし、そうした恩恵によって国力を向上させた国々の中から、新興大国が台頭し、既存の覇権国家に挑戦するようになる。言わば、覇権国家は、自らの手でライバルを育ててしまうのである。その結果、パワーの不均衡が生じ、秩序は不安定化する。

パワーの不均衡を解消するのは、「戦争」である。すなわち、既存の覇権国家と、それに挑戦する新興大国が激突するのである。これが「覇権戦争」である。

実際、十九世紀の大英帝国の覇権が支える国際秩序の下では、アメリカとドイツが新興大国として台頭し、大英帝国の地位を脅かすようになった。イギリスに対するドイツの挑戦は、第一次世界大戦へと発展した。そして二度の世界大戦を経て、アメリカが、イギリスにとって代わって覇権国家となった。

政治学者グレアム・アリソンは、こうした覇権をめぐる戦争を、古代ギリシャのアテネとスパルタの覇権戦争を描いた歴史家トゥキディデスにちなみ、「トゥキディデスの罠」と呼んでいる。アリソンによれば、過去五百年間で覇権争いは16事例あったが、うち12事例は戦争に至った。現在、国際政治経済の専門家たちが懸念しているのは、もちろん、東アジアにおけるアメリカと中国の覇権戦争である。というのも、国際情勢は、ギルピンの理論通りに推移してきたからだ。

冷戦終結とソ連の消滅により、アメリカは、世界の単独の覇権国家になったと信じ、その比類なきパワーによって、リベラルな国際政治経済秩序を建設しようと企てた。このポスト冷戦のアメリカの戦略は、国際政治経済学で言う「リベラリズム」という理論に基づいていた。

リベラリズムとは、自由貿易など経済的な相互依存を深化させ、国際的なルールや国際機関を通じた国際協調を推し進めれば、平和で安定した国際秩序が実現するという理論である。例えば、自由貿易により各国の経済的な相互依存関係が深まれば、国家は、戦争を引き起こすインセンティブを失うだろう。戦争によって自由貿易が困難になれば、経済的な打撃を受けるからである。これがリベラリズムの論理である。ちなみに、戦後日本の外交理念は、一貫してリベラリズムである。

冷戦後のアメリカは、このリベラリズムに則って、外交戦略を展開した。例えば、世界貿易機関(WTO)の設立を主導しただけでなく、中国の加盟に協力したのは、リベラリズムの理論通りである。中国をリベラルな国際経済秩序に組み入れ、自由貿易の恩恵を享受させる。そうすれば、中国は、リベラルな国際経済秩序を尊重するようになり、戦争によって国際秩序を破壊するなどという愚行には及ばなくなるであろう。アメリカと中国は、自由貿易を通じて互いに利益を得るので、すすんで協調するであろう。中国は国富を増やすであろうが、平和的に台頭し、アメリカの覇権に挑戦するようなことはないであろう。リベラリズムの理論を信じたアメリカは、そう考えていた。だが、このアメリカのリベラリズムに基づくポスト冷戦の戦略は、ものの見事に失敗したのである。

完全に崩れた米中「軍事バランス」

中国が誇る空母「遼寧」艦隊

2001年にWTOに加盟した中国は、2000年代、年率10%以上の成長率でGDP(国内総生産)を拡大させ、10年には日本を抜いて世界第二位の経済大国となった。だが、その間、中国の軍事費は、GDP成長率を上回る比率で膨張し続けたのである。他方、08年のリーマンショックにより大きな打撃を受けたアメリカは、10年から17年まで、軍事費を削減し続けた。その結果、中国の軍事費は、2000年にはアメリカの11分の1程度しかなかったが、12年には約5分の1、19年には約3分の1にまで迫った。その結果、東アジアにおける軍事のパワーバランスは、完全に崩れた。「覇権安定理論」の通りとなってしまったのだ。

「アメリカの軍事費は、まだ中国の3倍もあるではないか」と安心する者は、地政学を知らないのだろう。第一に、アメリカはヨーロッパや中東などグローバルに戦力を展開しなければならないが、中国はアジアに集中できる。第二に、アメリカは太平洋を越え、あるいはグアムや沖縄など点在する基地から戦力を投射しなければならないが、中国は自国の周辺に戦力を展開すればいいだけである。第三に、アメリカは東アジアを守るために常時、制海を続けなければならないが、中国はアメリカの攻撃に対する反撃の用意だけでよい。そして第四に、アメリカにとっての最重要地域は西半球であるが、中国にとっての最重要地域はアジアであるから、アメリカよりも中国の方が、高いリスクとコストを負う用意がある。以上を勘案するならば、米中の軍事費は5対1でも、東アジアでは十分拮抗と言える。それが、現在では、3対1しかないのだ。

米国防総省の今年の年次報告は、中国の軍事力は、すでにいくつかの点においてアメリカを凌駕していると指摘した。例えば、中国は約350隻の戦艦・潜水艦を有し、アメリカの296隻を上回っているという。また同報告は、中国が経済発展によって軍事力を強化する戦略をとっていると指摘した。しかし、時すでに遅しである。

2010年、米海軍大学教授のトシ・ヨシハラとジェームズ・ホームズは著書『太平洋の赤い星』の中で、中国の戦略家たちが、鄧小平の「改革開放」以降、アメリカの戦略家A・T・マハンの強い影響を受けていると指摘した。彼らは、国家の経済発展には制海権の掌握が不可欠であるというマハンの「シーパワー」の概念を解釈して、中国の経済発展と海洋進出のためには、海軍力の強化が必要だと考えたのだ。 

ヨシハラとホームズは警鐘を鳴らした。「今日の西側の研究者たちは、地政学に注意を払わず、グローバル化と相互依存の時代には、絶望的に時代遅れで無関係なものとみなしている。彼らは、国際政治における地理の役割を軽視し、その過程で、自分たちの世界観を他の大国にも当てはめる。しかし、中国の学界の大多数は、まさに正反対の方向に向かっているのは、文献から明らかだ」

在日米軍海兵隊の軍用飛行場「普天間基地」

Photo:Jiji Press

しかし、アメリカは、2010年以降も、リベラリズムの戦略を維持したどころか、軍事費を削減してきた。他方、中国の軍事的脅威に直接さらされているはずの日本は、この決定的な十年間に、何をしてきたか。「自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値を共有する国々とのルール作りは、安全保障上の大きな意義がある」などとリベラリズム丸出しの論理を掲げて、TPP(環太平洋経済連携協定)の締結に邁進する一方で、財政健全化を理由に防衛費を抑制してきたのである。もちろん安倍前政権は、日米同盟を強化すべく、集団的自衛権行使容認の法整備なども確かに行ってきた。しかし、問題は、そのアメリカがもはや頼れる存在ではなくなっていることにあるのだ。

アメリカは東アジアから手を引く?

リベラリズムに基づくポスト冷戦戦略が、中国の軍事的台頭を招いたのである。だが、失敗は、それだけではなかった。2016年、著名な経済学者デイヴィッド・オーターは、共同研究者らと共に「チャイナ・ショック」という論文を発表し、1999年から2011年の間に、中国からの輸入によって、アメリカの雇用が240万人以上、失われたと推計した。経済学の貿易理論によれば、自由貿易は貿易当事国双方に恩恵を与えるものとされていたが、オーターらの実証分析はそれを否定したのだ。この頃、同様の実証論文はいくつも出されている。

ドナルド・トランプは、中国に雇用を奪われていると訴えて、2016年の大統領選に勝利したが、この点に関して彼の主張は間違いではなかったのだ。実際、ピューリサーチセンターの世論調査によれば、12年を境として、米国民の反中感情が親中感情を上回っている。昨今の米中貿易摩擦は、トランプ個人が引き起こしたというよりは、構造的な問題から生じた必然の結果なのである。16年の大統領選では、トランプやサンダースのみならず、クリントンまでもがTPP交渉からの離脱を表明し、結局、アメリカは離脱したが、それも当然だったというわけだ。

バイデン新政権がTPPに復帰するのかどうかは分からないが、民主党内でサンダースら左派の勢力が強くなっているようなので、復帰の可能性は高くないのではないか。もっとも、仮に復帰したとしても、それが日本の安全保障には何の関係もないことに変わりはない。いずれにせよ、中国のWTO加盟とグローバル化は、中国の経済力を飛躍的に増大させ、アメリカの経済力を弱体化させるという結果に終わり、米中の協調どころか対立を引き起こしたのである。

では、米中の覇権戦争は不可避なのであろうか。先ほどのギルピンは、覇権戦争を回避するには、「共存」「同盟」「撤退」の三つの選択肢があると論じている。

「共存」とは、既存の覇権国家と新興国家が共存するという戦略だが、これは最も難しいとギルピンは言う。実際、オバマ政権は米中の共存を目指したが、失敗した。

「同盟」は、覇権国家が同盟諸国と協力して、新興国家を封じ込めるというものである。しかし、「同盟」も容易ではないとギルピンは言う。なぜなら、同盟諸国は覇権国家にただ乗りしようとするし、覇権国家は同盟諸国が引き起こす紛争に巻き込まれるリスクを負わなければならないからだ。実際、アメリカはすでにヨーロッパ諸国や日本など同盟国の負担が軽いと不満を述べている。特に、アジアにおけるアメリカの同盟関係は、中国に経済的に依存している国が多い、日韓のように歴史問題の対立を抱えている、地理的に離れすぎている等の問題があって、中国の脅威に対して有効に機能しにくい。

さて、「共存」も「同盟」も失敗するとなると、残る選択肢は「撤退」である。すなわち、アメリカは東アジアから手を引くということである。

無意味に過ごした十年間が致命的

「国慶節」を祝う軍事パレード(天安門前)

国際政治学者クリストファー・レインは、かねてより「撤退」を主張してきた。中国は、東アジアにおける覇権国家、いわゆる「地域覇権」を目指しており、そのために東アジアからアメリカを追い出そうとしている。アメリカが東アジアにとどまる限り、両国の衝突は不可避だ。しかし、アメリカが東アジアから撤退しても、自国の安全保障が脅かされるわけではないし、その方が自国の国内問題に集中できてよい。そうすれば、米中は、太平洋を挟んで共存できる。習近平もそういうメッセージをアメリカに送っている。国力の低下したアメリカにとって、東アジアからの「撤退」は、戦略的に合理的な選択肢なのだ。実際、ユーラシア・グループの昨年の調査によると、「近年の中国のパワーの著しい増大に対して、米国の対中政策はどうあるべきか」という問いに対し、「アジアの軍事プレゼンスを削減すべき」という回答が57.6%となり、特に民主党支持者が多かった。

このままでは、アメリカが撤退し、中国が東アジアの地域覇権国家となるのは、時間の問題である。国際政治学者のジェニファー・リンドは、「日本は、中国の地域覇権を受け入れるか否か、決断すべきだ」と言っている。ただし、東アジアにおける清朝や帝国日本、東欧におけるソ連のように、地域覇権は、周辺国を軍事力や経済力で脅かし、国内政治に介入し、文化にまで影響を及ぼすものであり、中国はすでにそうしようとしている。しかも、中国の日本に対する歴史的な恨みは深い。そういう中国の地域覇権の下で生きていくということで日本はよいのか。それが嫌ならば、日本は安全保障政策を抜本的に転換して、防衛力を抜本的に強化するしかない。アメリカはもはや単独で中国に対抗する能力はないし、その意志すらないのだから。リンドはそう問いかけている。

以上が、今日の国際政治経済の「構造」である。この「構造」は、アメリカの大統領に誰がなろうと、変わるものではない。バイデン新政権がかつてのリベラリズムに回帰するのに期待する者もいるが、愚かである。それは、アメリカの凋落と中国の台頭を加速させるだけだからだ。したがって、バイデン新政権の下でも米中対立は続くだろう。だが、アメリカとその同盟諸国が中国の封じ込めに失敗すれば、アメリカは、戦争を回避すべく東アジアから撤退する。その時、東アジアに中国を覇権国家とした国際秩序が成立する。日本にとっては悪夢だ。

要するに誰がアメリカの大統領になろうが、日本がかつてなく厳しい状況に追い込まれることに変わりはない。長年にわたってアメリカ覇権に依存し、リベラリズムに安住し、自国の防衛力の強化を怠ってきたツケを払う時がいよいよ来たのである。とりわけ、2010年代の十年間を無意味に過ごしたことは、致命的であった。後世の歴史家は間違いなくそう評するだろう。(敬称略)

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中野剛志

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