「私と歌謡曲」いかにこころをつかむか
2020年9月号
LIFE [世は歌につれ⑪]
by 田勢康弘(政治ジャーナリスト 作詞家一般社団法人「心を伝える歌の木を植えよう会」代表)
TV報道番組で弦哲也氏のギターで「北の旅人」を歌う筆者
私の名刺の裏には音楽プロデューサー・歌手と小さく書いてある。そうなのです。ときどき頼まれたらステージで歌うのです。カラオケ大会の審査員を頼まれることもある。素人なのでプロ歌手のようにはいかないが、だからといって聴く人をがっかりさせてはいけない。どうすれば聴く人を魅了させられるか。私たちが展開している「歌謡曲ルネサンス」という国民運動も、結局は「こころをつかむ歌」の追求なのである。
小学6年生だったか、母親に半ば強制的にピアノを習わされた。そのころ住んでいたのは青森市郊外の久栗坂という漁村だった。この地域におそらく一台しかない小学校のピアノで教えてくれるのは音楽のK先生。家では紙の鍵盤で練習した。母親はできれば音楽の道へ進ませたかったようだ。
*
それより数年前、山形県の米沢市に住んでいたころ近所に歌の上手な青年がいた。毎週のようにのど自慢大会に出ては賞品の家具などを小型トラックに積んで戻ってくる。その青年歌手の追っかけをした。青年はコロムビアの全国歌謡コンクールで優勝し、「山形英夫」という名前でデビュー、1956年の紅白歌合戦に「港の人気者」という曲で出場している。この歌手と島倉千代子がデュエットで「新庄ばやし」という歌を歌い、その曲を作曲したさいとう久が、友人の若草恵(作曲家)の父親というのも因縁を感じる。
いくらか歌がうまいのかもと自覚したのは青森の小学校のころNHKの「声くらべ腕くらべ子供音楽会」に学校から推されて出演してからだ。小学唱歌「日本アルプス」(作詞作曲者不詳)を歌ったけど賞には選ばれなかった。父親の急死で生きていくのが大変な状態になりピアノはあえなく断念、音楽の道は早くも閉ざされた。中学1年で島倉千代子の歌に影響され、歌謡曲を聴くようになり、自分でも口ずさんだ。まだカラオケなどという言葉さえないころである。子供のころのボーイ・ソプラノのまま大人になってしまったようで、キーが高い。そのせいか、初めは小林旭の歌を中心に歌っていた。高校生のとき、友人が応募して八王子市の市民のど自慢のようなイベントに出た。真山一郎の「王将」(作詞藤間哲郎、作曲桜田誠一、村田英雄の王将とは別)を歌ったが、生バンドで出だしを間違え沈没した。
本格的なステージで歌ったのは新聞社の特派員で赴任した米国ワシントンでの「日本航空カラオケ大会」である。日航がワシントン便就航記念で開いたもので近隣から団体バスで聴衆が押しかけるほどだった。まだいまのようなカラオケがない時代で、出場者のテープ持ち込みだった。森進一の「命あたえて」(作詞川内康範、作曲猪俣公章 はなれていました長いこと おんなひとり寝眠られず)。この大会で優勝してしまった。2位はアメリカ人で日本演歌を見事に歌っていた。
歌は好きだが一度もならったことがない。自分の歌をテープで聴き直すこともあまりない。どうせがっかりするに決まっているからだ。『島倉千代子という人生』(新潮社)を書いているとき、コンサートで「ヨコハマ・ビギン」(作詞作曲中山大三郎)という歌を島倉千代子とデュエットで何回か歌った。男性歌手を呼ぶとギャラを払わなければならないが、私だとタダで済む。「私より目立たないで」とよく叱られた。私がキャスターをしている報道番組テレビ東京「田勢康弘の週刊ニュース新書」という生放送の番組でぶっつけ本番で歌ったことがある。その日のゲストは作曲家弦哲也。リハーサルが終わったとき、彼は私を手招きした。「1番を歌って。ところでキーは?」私は「森進一と同じキー」「へッ、高いな」とつぶやいたところで本番。ギターの名手であり若い頃は歌手だった彼のギターが石原裕次郎の最後の曲「北の旅人」(作詞山口洋子、作曲弦哲也)の前奏を奏でる。「たどりついたら岬のはずれ 赤い灯が点くぽつりとひとつ…」。歌はもちろん知っているがカラオケでも一度も歌ったことがない。「夜の釧路は雨になるだろう」と1番を歌い終わりバトンタッチ。冷や汗なのか照明の熱さか汗びっしょりになった。
歌が好きでよくカラオケで歌うという人に尋ねたい。「歌詞を見ないで歌えますか」。歌を覚える時私は歌詞を何度も読む。声を出して読む。作詞家が誰かを確める。そしてこの詞の中で一番作者が言いたいのはどこだろうと考える。それから歌手の歌を何度も聴く。それから自分で口ずさんで覚える。カラオケなしのアカペラでもメロディ通り歌えるかどうかを試してみる。
前奏が始まったら静かに頭を下げる。ゆっくりと深く頭を下げゆっくりと起き上がる。起き上がった時、会場を見渡してみる。ここで聴衆と自分が一人ひとり糸で結ばれているような雰囲気になれば成功だ。歌い出しが勝負である。私は高い声が持ち味なのでその特長を活かすような曲を選ぶ。したがって歌い出しがサビのような歌も多くなる。選曲は重要である。好きな曲がその人に向いているとは限らない。顔の輪郭が似ている歌手の曲が合うことが多いともよくいわれる。
*
カラオケで聴く人をちょっと感心させるためには、あまり知られていない歌手、知られていない曲を選ぶのもひとつの方法。少し間違っても気づかれないし、これは誰の歌だろうと考えさせれば成功だ。マイクは基本的に口の正面にマイクの頭が口に入りそうな形で持つ。声は腹式で腹の底から出し、語尾は長く伸ばす。サビで大きな声で歌ったら、そのあとは引く。この引いたり抑えたりすることで歌が立体的になる。私がステージなどでよく歌う歌は「それは恋」(森進一)、「うしろ姿」(矢吹健)、「ある女の詩」(美空ひばり)、「あんた」「情炎」「と・も・子」(吉幾三)、「落日」(小林旭)、「恋」(松山千春)、「夢一夜」(南こうせつ)、「おはん」「汽笛」「細雪」(五木ひろし)、「母のいない故郷」(鳥羽一郎)、「北へ帰ろう」(徳久広司)、「忘戀情歌」(清水博正)などである。