新薬販促のため製薬会社は多額の金銭を医師にバラまき、国や保険者、患者に余計な負担を強いる。
2019年12月号
LIFE [特別寄稿]
by 尾崎章彦(乳腺外科医)
Aさんは地方都市の総合病院に勤務する内科医だ。その日はX大学のB教授が都内のホテルで講演会をする日である。B教授は同分野における権威であり、A医師は診療を終えると、待たせてあったタクシーに乗って最寄りの駅へ向かった。タクシー券を渡して駅に駆け込むと予約していた新幹線にはギリギリ間に合った。1時間ほど新幹線に揺られると、会場となるホテルに到着した。会場は超満員で立ち見も出ており、壇上ではまさにB教授が講演を始めようとしていた。B教授の語り口はいつになく熱い。話題の中心は新薬のCだ。「Cの時代がやってきました、もう一度言います、Cです」――。
講演会が終わると、係りの者に隣の部屋に通された。そこではビュッフェ形式の懇親会が始められようとしており、MR(医薬情報担当者)に取り囲まれたB教授や馴染みの医師が並んでいる。「先生、今日はありがとうございます!」そう言いながら、馴染みのMRがビールを片手に近づいてきた。「新発売のC、よろしくお願いいたします!」。A医師は、MRや他の医師との交流を楽しんだ後、すぐにホテルに向かった。今日は妻に小言も言われることもなく、ぐっすり眠ることができそうである。
この話は私の見聞きした話を元にしたフィクション。医師であれば誰もが同じような経験をしたことがあると思う。実は、A医師が使ったタクシー券も新幹線のチケットも懇親会の準備も宿泊の手配も全て製薬企業が行ったものだ。そのように言えば、医療業界に詳しくない読者は驚くだろうか。
B教授の講演会を装った今回の催し、実はA医師らを対象とした集団接待だったのである。傍目から見れば過剰にも見えるような製薬企業による医師へのもてなしであるが、もちろん違法ではない。これは業界団体である日本製薬工業協会が定めたガイドラインに則って「適切に」運用されているものだ。実際、製薬企業が主催するこのような講演会は、週末になると様々なホテルや会議場で開催されている。
では、そもそもなぜ一参加者であるはずのA医師を製薬企業は接待する必要があるのだろうか。ここでポイントになるのが、A医師には「処方権」があることだ。製薬企業の収益の大部分は、薬局で自由に購入できるOTC医薬品ではなく、医師が患者に処方する医療用医薬品に依存している。今年5月に史上最高額3500万円で保険収載されたノバルティスファーマのキムリアをはじめとして、医療用医薬品の特徴は一つ一つの医薬品の薬価が高いことである。そのため、医療用医薬品の処方が増加すれば、その分製薬企業の売り上げは大幅に増加する。つまり、製薬企業が医師に働きかけて、自社の製品を処方してもらうことができれば、売り上げを大幅に増加させることができるのだ。なぜならば、処方権により、医師は自らの懐を痛めずに、税金や保険者、患者のお金を使って、理論上無限に医療用医薬品を患者に処方することができるからである。例えば、A医師が100人の担当患者にCを継続的に処方したとしたら、今回の講演会は製薬企業としては元が取れるばかりかお釣りが出るだろう。そして、そのような製薬企業の販売促進活動の中心に据えられているのが、冒頭で紹介した、製薬企業が主催する講演会というわけである。
また、A医師が接待を受けていた理由を考える上でもう一つ重要な点が、実際に、医師にこのような講演会や勉強会に参加してもらうことで、特定の製薬企業を利するような形で処方量が増加することである。多くの方に馴染みがあるような降圧薬や脂質異常症治療薬をはじめ、高額な生物学的製剤や分子標的薬など影響は多岐にわたる。その説明になるのが心理学において「返報性の法則」と呼ばれている現象だ。簡単に言えば、人は何かをしてもらったら、何かお返しをしなければ申し訳ないという心理作用が働くと言われている。製薬企業から至れり尽くせりの営業を受けたA医師は自然と新薬Cを処方したくなるというわけである。
もう一つが、おそらくこの効果の方が大きいと私は考えているのだが、製薬企業にとっては単に薬の名前を覚えてもらうことに大きな意味がある。B教授が新薬Cの名前を連呼していたのを思い出してほしい。また、私の診察室にもしばしばMRさんが訪れるが、一通り私の専門領域の薬剤を紹介した後に、診察室を出る直前に「名前だけでも覚えておいてほしい」などと言って、専門領域外の薬に関するパンフレットを半ば無理矢理に残していったりする。日常の外来においては患者の診察に忙殺され、一つ一つの薬剤の効果を丁寧に確認する暇がない。そのような時に、製薬企業が紹介してくれた薬剤の名前を思い出し処方をすることになれば、製薬企業と医師双方にメリットがある。すなわち、製薬企業も売り上げが増加し、医師もスムーズに外来診療を進めることができるというわけだ。
自己紹介が遅れたが、私は、福島県の一般病院において乳がん治療に従事する卒後10年目の医師だ。現在、製薬企業と医師の金銭にまつわる問題をライフワークとして取り組んでいる。そのきっかけは、乳がんに関するある臨床試験の存在だ。その試験は、日本と韓国においてそれぞれの国を代表するような乳がんの治療医が中心となって実施されたCREATE¦X試験である。この試験は、再発リスクが高い乳がん患者において、中外製薬が販売する抗がん剤ゼローダの再発抑制効果を明らかにし、2017年にニューイングランド医学誌という超一流医学雑誌に結果が掲載された。しかし、論文掲載後まもなく、私はこの試験に二つの重大な金銭的問題が存在することに気がついた。一つは中外製薬から試験に対して実施された数億円規模の資金提供の存在が論文上で適切に申告されていなかったこと(図表1)、
もう一つは試験で使用された最低でも1億円を超えるゼローダの費用が公的保険に不正に請求されていたことである(図表2)。
一連の調査は、学生時代から指導を受けていた医療ガバナンス研究所の上昌広理事長らと実施した。上氏らと様々なメディア媒体や学術論文等でこの問題を追及する中でわかってきたのは、製薬企業と医師との非常に密接な関係性である。なんとかしなくてはならない。そのような問題意識を持っていた時に、上氏を介して18年はじめに出会ったのが*ワセダクロニクル(note参照)の編集長渡辺周氏である。彼から、製薬企業から医療者に支払われた謝金データを統合し、データベースを構築しようとしていると話を聞き、またとない機会であるとその活動に参画することを決意した。
このデータベースから改めて明らかとなったのは、製薬企業が販促活動の一環で多額の金銭を医師に支払っている実態である。日本製薬工業協会に所属する71の製薬企業のデータにおいて、16年に医師個人への謝金として支払われたのは総額で256.7億円だった。84.2%の216.2億円が講師謝金として医師を中心とする医療者に支払われていた。なお、1回あたりの講演で支払われる謝金の相場はおよそ5~10万円(元製薬企業社員)と言われている。加えて、この点が重要であるのだが、A医師が参加した講演会の例を考えるならば、B教授が10万円を講師謝金として受け取っていたとして、講演会全体では「」を製薬企業が負担しているわけだから、実際に動いていた製薬マネーははるかに大きかったであろうことは想像に難くない。実際に、私たちの調査によると、「顎足枕(あごあしまくら)」の総額は800億円と莫大な金額を計上していた。
とは言え、私自身も医学部時代には製薬企業から「餌付け」されていた身だ。貧乏学生だった当時、アメフト部員だった私はいつも腹を空かせていた。製薬企業が高級ホテルで主催する講演会に参加し、普段の生活ではありつくことができないような食事に舌鼓を打っていた。また、大学の医局で行われる薬の説明会で振る舞われた高級弁当を食べ、余った弁当を家に持って帰って次の日の朝ごはんにしていたりもした。そのような講演会がどのような目的で実施され、私たちが処方する薬剤にどのような影響を及ぼしているか理解し、参加をためらうようになったのは、CREATE¦X試験をきっかけにこの問題に取り組むようになってからである。本当に恥ずかしいばかりだ。
*note ワセダクロニクル:早稲田大学ジャーナリズム研究所のプロジェクトとして2017年に発足したジャーナリズムNGO
製薬企業と医師との金銭的な関係には処方への影響以外にも批判されるべき理由がある。一つは国や保険者、患者に余計な金銭的負担を強いることだ。例えば、製薬企業が販売する新薬には既存薬と効果や安全性が同等であるものも多い。しかし、彼らはあの手この手で新薬を宣伝して医師に処方してもらおうとする。これまでの莫大な投資を回収する必要があるからだ。その割を食うのがその代金を支払うことになる国や保険者、患者である。19年4月に、医療用医薬品の販売情報提供活動ガイドラインが施行されたが、その背景には製薬企業による販売促進の一部が薬価に上乗せされているという懸念があったと言われている。
もう一つは、そのような講演会への参加が「時間の無駄」であること。考えてほしい。A医師はわざわざ1泊2日の行程で新薬Cの宣伝に動員されるために東京まで赴いた。果たしてこのような講演会に参加することで、A医師の患者のケアの質が向上するだろうか。これは他の参加者や有名教授Bにも同じことが言えるが、製薬企業が主催する講演会に参加するくらいであれば、患者を診る時間を増やし、その記録をまとめ、自分の診療を振り返ったり、論文などにまとめたりするほうがはるかに有意義であるだろう。また、院内で開かれる勉強会などはその科の部長とMRの付き合いで開かれることも多く、若手医師は参加を強要されるようなこともある。このような慣習は、製薬企業と医師が一緒になって時間を無駄にしているようなものだ。
以上説明してきたような製薬企業と医師の伝統的な付き合い方には負の側面が多いように感じられるが、なぜ駆逐されないのだろうか。最大の理由は、製薬企業が主催する講演会において講師を務めたいような医師がたくさんいるからだ。
私たちがワセダクロニクルと作成したデータベースによると、年間1千万円以上の謝金を受け取っている医師が約100名いた。1回10万円として、単純計算で年間約100回以上、週2回以上、製薬企業と仕事をしていることになる。その多くが講演会や説明会での講師であるため、週に2回は診療に穴を開けていることになる。診療そっちのけでこの活動にこれだけ精を出しているということはそれだけ旨味があると考えるのが自然だろう。考えてみてほしい。製薬企業の提灯持ちをするだけで、同じ専門分野の医師に自身の診療や研究について話す機会を得ることができ、相当の謝金を受け取ることができる。結果として、その領域において名を売って出世にも繋がる。また、MRや同分野の医師からチヤホヤされて自尊心も満たされるだろう。誰がこのような美味しい役割を断るだろうか。
実際、現在、医学界において教授や学会理事などの要職にある医師はこのような慣習に恩恵を得てきた方々である。自分の権威を形作ってきた慣習を何とかして維持しようとするのは権力者の常であり、人類の歴史上、様々な領域、様々な世界で繰り返されてきた。いずれにしても長い歴史の中で、この悪しき慣習は現在の日本の医学界の様々な部分に根を下ろしている。その慣習をほぐし、あるべき方向に進んでいくにはもう少し時間がかかりそうである。
もちろん、このような活動をしているとハレーションも生じる。例えば、CREATE¦X試験の金銭問題を追及していた時には、「こんなことをしていると業界で働けなくなるよ」などといった、貴重な「助言」をくださる先輩医師もいた。しかし、初志貫徹で活動を続けた結果、この問題に取り組む医師仲間は10人近くにまで増えている。そのような仲間と様々な切り口で調査を実施し、学会理事や診療ガイドライン委員会など、それぞれの専門分野をリードする立場の医師に特に支払いが集中していることも明らかにしてきた(図表3)。
今後も、同様の活動を継続、そして発展させ、製薬企業と医師とのあるべき関係性について訴え続けていく決意だ。