美の来歴⑭ チューリップの囁き

都市アムステルダムの殷賑とレンブラントの目

2019年12月号 LIFE [美の来歴]
by 柴崎信三(ジャーナリスト)

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レンブラント「夜警」(1642年、カンバス、油彩、アムステルダム国立美術館蔵)

〈闇ヨリシテ光!光を見た商人たちの帝国、直截自らの姿を見た多分初めての帝国〉

レンブラントの『夜警』の舞台となった17世紀半ばのアムステルダムを英国の歴史学者、サイモン・シャーマはこう描く。

〈真に自らを見るため、後から来る世代にアムステルダム人であるとはどういうことか教えるためには、画家の目と、そして手が必要だった〉(『レンブラントの目』高山宏訳)。

ハプスブルクのスペインの強権の下にあったネーデルランドは、1648年のウェストファリアの和議で独立、カトリックの軛(くびき)から解かれた。海上覇権が西インド諸島や南米など植民地の富をもたらし、人と資金の流入と新しい技術の発展を促した。アムステルダムはその担い手の商人たちが息づく都市だった。

1585年におよそ3万5千人だった人口は、この絵が描かれた1642年には15万人に膨れ上がった。商人たちは交易上の欧州の要となったこの都市に集まり、自由な宗教的風土のもとで光学技術や金融などのビジネスチャンスを求めた。

ライデンの製粉業者の息子に生まれ、早熟な画才を発揮したレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインは、25歳でアムステルダムに仕事場を構えた。

妻のサスキアは父親が市長や高裁判事を務めた名門の出身だったが、1642年に結核のために30歳の若さで急逝する。奇しくも同じ年に描いた『夜警』は画家の生涯の代表作となった。

『夜警』の画面の中央で左手を前へ伸べて背後の人々を導くかのような姿の主人公は、アムステルダムの独立と自由の守護者たる市警軍射撃隊長のフランス・バニング・コック。

ブレーメンから移民した薬剤師の息子で、大学で法律を学んで、のちに市長の職にもついた立志伝中の人物である。

大きなレース襟に黒衣、赤い肩章をつけて、右手には長い指揮棒を持つ「射撃隊長」はこの街でどんな役割を担ったのか。

カトリックのスペインの支配を排して自治を目指すアムステルダムに生まれた「射撃隊」という市民の自衛組織が、独立のための戦闘や市街の防衛に活動する場面は、もはやない。その代わりに祭典や儀礼の場が、彼らの活動の舞台となった。誇らしげな衣裳は、経済的な発展で殷賑(いんしん)を極めるアムステルダムの新たな主人公となった「市民」の誇りの象徴であったろう。

アムステルダムでは1642年の春、イングランドから王妃ヘンリエッタ・マリアとその子供たちを迎え入れる「入市の儀」が予定されていた。オランダの富を目当てにした露骨な政略的外交であったが、彼らを迎える儀礼の場にあてられたのが、アムステル川を見下ろす瀟洒な新練兵会館の大広間である。

士官たちの雄姿を描く群像画がこの部屋を飾る記念の作品として企画され、発注された7点のうちの最も大きな絵画がレンブラントの『夜警』である。

この絵に登場する主役の射撃隊長、フランス・バニング・コックをはじめ、画面のなかのモデルたちはそれぞれ、画家に対して「出演費」を支払った。19人の登場人物のうち、子どもを除いて一人当たりおよそ100グルデン、全体で1600グルデンが支払われたといわれる。

中央に白と黒の鮮やかな制服を身に着けた主役のバニング・コックと副官のウィレム・ファン・ロイテンブルフは、おそらく他のモデルたちより高額の「出演費」を払ったのであろう。

ここには「射撃隊」の周辺のさまざまな人物が描かれている。右端で光が当たっている太鼓手は、市役所の職員である。おそらく「出演費」も払っていないこのモデルを、画家はなぜわざわざ登場させたのだろう。

生地商や雑貨商で財を成した隊員、カルヴァン派の教会の執事で救貧院の理事を務める男らに混じって、中景の闇の中にスポットライトを当てたように浮かび上がる少女がいる。腰に鶏を一羽、さかさまにして吊り下げているのは、そのころの酒場の給仕女の風俗といわれるが、そこにどのような寓意が込められているのだろう。

「勝利の女神」の表徴であるとか、若くして死の床にあった妻のサスキアに捧げた画家の祈りであるとかの解釈が重ねられてきた。少女は『夜警』の隠された琴線に触れて、観者に謎を問いかける。

画家とほぼ同世代のバニング・コックは右手に上流市民の証である手袋と指揮棒を手にして、武器は持たない。差し出した左手は隊員たちをどこへ導こうとしているのか。サイモン・シャーマはそれを、もはや止めることのできない「前へ」という歴史の動性である、という。

〈それはひとりレンブラントその人の天才ばかりか、市の天才、市民兵の天才をも言祝ごうという観念だった。自由と規律が、エネルギーと秩序がともに進んで行くというのがその観念だったからだ〉(同前)

バニング・コックの中隊には120人ほどが所属していた。富裕な市民の自発的な結社であった「射撃隊」の組合は、参事会が任命する都市の公的な自衛組織の性格を次第に強めた。

アムステルダムの港では東インド会社から戻った大型船から積み荷を降ろすクレーンが忙しく立ち働いていた。ヴェネツィアから伝わったガラス技術はレンズや光学技術の華をこの都市で開花させようとしていた。

画家が『夜警』を描く5年ほど前の1637年、この街で空前の投機ブームを起こしていたチューリップの球根の相場が、突然暴落した。「チューリップ・バブル」の崩壊である。

「もっと前へ」とバニング・コックが『夜警』で差し伸べている左手は、チューリップという希少な花に託した儚い夢の先へと、アムステルダムの市民たちをいざなっているようである。

繁栄は虚栄を生んで、見事な豊饒の花々は一瞬にして散ってしまう。未来への確信に溢れた『夜警』の画面から秘めやかに聞こえてくるのは、そんな「チューリップの囁き」であろう。

著者プロフィール

柴崎信三

ジャーナリスト

1946年生まれ。日本経済新聞社で文化部長、論説委員などを務めて退社後、獨協大、白百合女子大などで非常勤講師。著書に『〈日本的なもの〉とは何か』(筑摩書房)、『絵筆のナショナリズム』(幻戯書房)などがある。

   

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