「坂本九って誰?」御巣鷹山を忘れたJAL社員

2019年9月号 LIFE

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1961年に発売された大ヒット曲

「昭和は遠くになりにけり」では困る。1985年(昭和60年)8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落。520人の死者を出した日本の航空史上最悪の事故の風化が止まらない。航空会社にとって最も大切なものは安全意識だ。未曾有の大惨事を引き起こしたJALは、「御巣鷹山」の悲劇を永遠に背負い続けなければならない。

毎年5~6月、JALは入社3年目までの若手社員を研修のため御巣鷹山に連れてゆく。犠牲となられた方々の慰霊をしながら事故現場を歩き、安全意識の徹底を身につける目的だ。

20代前半の若手にとって御巣鷹山は、自分が生まれる10年以上前の大事故。歴史の1ページのように感じるのも無理はない。

「それにしても……」――。今年の研修の模様を伝え聞いたJAL関係者が嘆く。

1泊2日の研修の場となった群馬県上野村に集まった若手社員はほとんど遠足気分。「坂本九って誰?」「この事故があったから『上を向いて歩こう』の歌ができたんだ」などと、聞くに堪えない会話が飛び交った。別のJAL社員によれば「慰霊の式典を除けば研修中はほとんど合コンのノリ」だったと言う。キャビンアテンダントを含む20代の男女の集団だから、「軽いノリ」の合宿研修ということか。

それにしても、事故で犠牲になった国民的歌手、故坂本九氏の国民的ヒット曲『上を向いて歩こう』が、『SUKIYAKI』のタイトルで全米で大ヒット。世界中のアーティストにカバーされ、今なお歌い継がれる名曲であることを知る機会がなかったのだろうか。

若手社員の無知にも呆れるが、いただけないのは教育係の先輩社員の態度だ。不謹慎な会話に注意を促すこともなく、放置していたという。それどころか、事故原因について「(墜落した機体を製造した)ボーイングが悪い」と語り続けるベテラン社員もいたというから、若手ばかりを責められない。

2010年に経営破綻したJALは、どん底から這い上がり19年3月期には売上高1兆4800億円、営業利益1700億円を稼ぎ出すまでになった。この間、現場のコスト削減と効率化の努力は並大抵でなかった。同時にこの10年間に年配社員が大量に退職し、事故当時を知る社員がわずかとなり、「事故の風化が一気に進んだ」(元部長)。

最近、JALの機体整備部門内から「定時運航のプレッシャーがキツイ」(中堅社員)と悲鳴を聞くようになった。日本の航空会社のフライトスケジュールの正確さは折り紙付きだが、その背後には巨大な機体と格闘する過酷な現場がある。この中堅社員によると「いくら時間に追われても手抜きはしない。それでも不安になる時がある」と言う。念のため作業内容を再確認するか、先輩社員を呼んで二重にチェックすべきだが「フライトを遅らせるわけにはいかないので目をつぶってOKを出すこともある」と漏らす。仲間内で「うちよりANAの方が安全かも」と軽口を叩くこともあるが、「御巣鷹山が頭をよぎることはない」と言う。JALは見事に立ち直ったが、一番大切な安全意識を忘れかけている。

『上を向いて歩こう』は1961年のヒット曲。御巣鷹山墜落は、その24年後に起こり、坂本九氏は43歳で亡くなった。

   

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