抱いて「看取る」いのちのバトン

死は怖いものでも忌み嫌うものでもない。「看取り士」が示す「多死社会」を生き抜くヒント。

2019年4月号 LIFE [特別寄稿]
by 藤 和彦(経済産業研究所上席研究員)

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「最期くらいはわがままでいい」と説く柴田久美子氏の著書

「超高齢社会」と言われて久しいが、まだ入り口に過ぎない。65歳以上の老死が大多数を占める「多死社会」が、まもなく訪れる。昨年の日本の死者数は137万人と出生数92万人の約1・5倍である。

団塊世代がすべて後期高齢者入りする2025年に毎年の死者は150万人を超え、40年には約170万人に達する。毎年の死者が出生の2倍を超える「多死社会」の到来である。

現在、日本では8割以上の人が病院で最期を迎えているが、財政上の制約もあり、病院のベッド数の減少が避けられないことから、自宅で看取られるケースが増えるのは間違いない。

かつて日本人の多くが、自宅で家族や友人などに見守られながら生を終えていた。病院で死ぬことが当たり前になった今では、往時の「看取り」の文化は失われたに等しい。

全国に457人の専門家

12年6月、岡山市にユニークな団体が誕生した。その名も一般社団法人日本看取り士会。代表を務める柴田久美子氏は、25年以上にわたり抱きしめることを基本とする「看取り」の活動を広めてきた人物だ。

看取り士とは余命宣告を受けてから納棺に至るまで、家族の看取りを支援する専門職である。在宅での看取りの支援が主だが、病院などで看取る場合もある。

看取り士が「現場」に寄り添うのは依頼を受け、最初の面談を行う2時間と、旅立ちの前後の10時間ほど。それ以外の時間は「エンゼルチーム」と呼ばれるボランティアチーム(各10人体制)が、家族の看取りをサポートするという。

看取り士になるには、看取り士会が実施する5泊6日の合宿形式の養成講座に参加し、看取りにおける礼儀作法や自宅で旅立つためのマニュアルなどを学ばなければならない。

18年11月現在、457人の看取り士が登録されているが、その大半が看護士や介護士の資格を持つ、経験の豊富な人たちだ。一方、ボランティアのエンゼルチームも、全国に486も誕生している。同チームの多くは、看取り士に家族を看取ってもらった経験を持つ遺族たちである。

そもそも看取り士を活用するメリットは、何だろうか。 柴田氏は「グリーフケア」となるだけでなく、死は「怖いもの」でも「忌み嫌うものでもない」という、ポジティブな死生観への回帰を強調する。

グリーフケアとは、死別による喪失からの立ち直りを支援することだ。死別による深い悲しみからの回復には、しばしば長い時間がかかる。看取り士の支援を得て、逝く人を思いっきり抱きしめて看取ることにより、その「魂」が遺された家族の中に生きるという温かい感覚に包まれた死生観が生まれるという。

抱いて看取ることでわかることは、逝く人の体(特に背中)はしばらくの間、温かいことである。逝く人の体のぬくもりを感じることで家族は「いのちのバトン」を受け取る体験をする。「魂のリレー」が完成した時、逝く人にとっても看取る人にとっても、言葉にできないほどの大きな喜びや感動が得られるという。抱いて看取ることにより、自分の魂のエネルギーを家族に渡し、それにより自分という存在が子孫の中に生き続けるという死生観が生まれるのだ。

柴田氏は、看取り士について「暮らしの中で看取りを体験することが少なくなった今、逝く人の最期に寄り添う『助死士』のような存在」と語る一方、人生で大切なことを教えてくれることから、死に逝く高齢者のことを「幸齢者」と呼んでいる。

さらに、柴田氏は看取りの経験を通じて「望ましい死」という概念を唱え、「最期くらいはわがままでいい」と言い切る。「老い」の意味合いが希薄化した超高齢社会を生き抜く日本人にとって有為な示唆とならないだろうか。

日本だけでなく先進諸国では近年、「死の隠蔽化」現象が生じ、「死は敗北、無価値である」という無機質な社会通念が形成された感がある。しかし、かかる固定観念にとらわれたまま多死社会を迎えたら、社会全体にニヒリズムが広がるのではないか。忌み嫌われ隠されてきた「死」が再び社会に回帰しつつある今、「死」とは、そもそも何かを考えることを避けては通れない。

費用は1時間5千円

ここ数年、看取り士の活動は着実に広がってきたが、看取りの現場は女性が圧倒的に多い。柴田氏は男性、「とりわけ団塊ジュニア世代の看取り士を育成したい」と語る。抱きしめて看取る際、体が大きな男性の方が「子宮に還るというイメージが生まれやすいから」と言う。「女性は出産により母性を育むことができる。魂を受け渡す看取りを通して男性も母性を育んでほしい」と、柴田氏は願う。母性とは困った人を助けるという本能であり、女性だけに備わっているものではない。時代に応じ母性の文化的・社会的な重みは変わる。多死社会における「母性」資本の重要性を忘れてはならない。

看取り士の費用は1時間当たり5千円と高額だが、医療保険の適用はないものの、生命保険のリビング・ニーズ特約が利用できる。リビング・ニーズ特約とは、原因を問わず被保険者が余命6カ月以内であると判断された場合、将来受け取る死亡保険金の代わりに、保険金額の範囲内(3千万円が上限)でお金を受け取れる特約だが、ほとんどの保険にこの特約が付いている。この制度を活用することで看取り士の潜在的需要に対する課題となっている収益モデルを確立することができる。そうなれば「わがままな最期(望ましい死)」を支える看取り士を活用する人が急速に増えるだろう。

日本では高齢者に金融資産が集中しているが、従来の発想でシニア向けの商品・サービス開発を続けるだけでは、高齢者の財布の紐が緩むとは思えない。 高齢者の「死」は長く緩慢なだけに、「最期」を自らプロデュースしたいという願いは尽きない。「望ましい死」を支える概念が広がれば、終末期医療や介護産業のビジネスチャンスが広がり、そこで働く人々のモチベーションも上がるだろう。

看取りという行為に積極的な価値を与えることが、多死社会を生き抜くヒントになるのではないだろうか。

著者プロフィール
藤 和彦

藤 和彦

経済産業研究所上席研究員

1960年名古屋市生まれ。早大法学部卒。84年通商産業省(現・経済産業省)にキャリア入省、16年から現職

   

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