岡っ引きがかわら版を売っている
2019年2月号
連載 [編集後記]
by 知
カルロス・ゴーン被告・前日産自動車会長
「 I am innocent.(私は無実だ)」(カルロス・ゴーン被告・前日産自動車会長、1月8日、東京地裁=各種報道による)
東京地検特捜部が手がける経済事件はどれもそうなのだが、その中で、この事件およびその報道ほど腑に落ちないものはない。もらったお金について有価証券報告書に書かなかったからアウトではなく、まだもらっていないがもらうことが確定していたからアウト、デリバティブ取引で実際に日産に損失は被らせていないが、一時期とは言え損失が出る可能性のある状況においたからアウトというように、どうもすっきりしない。
しかも今回は司法取引が使われている。自分の不起訴や求刑の軽減と引き換えに、ライバルや仲間を天下の特捜部に売り、有罪に追い落とすべく、せっせと協力する姿は想像するだけでおぞましい。
その上で大新聞が、事件の核心を横に置いて、周辺の情報をもとに、ゴーンはこんなに悪いことをほかでもやっていたぞという記事を出すものだから、特捜部が描く事件の筋は、大新聞の援護射撃がないともたないぐらい弱いのかなという、ゲスの勘繰りも働く。
思い返せば、1980年代のロス疑惑のときの、捜査当局とメディアの持ちつ持たれつの関係が蘇ったようにも見えるこの事件。
朝日新聞が2010年、大阪地検特捜部の主任検事らによる証拠改竄をすっぱ抜き、厚生労働省幹部の村木厚子さんの完全なる無実を証明してみせたとき。ああこれで新聞が権力のチェック機能をちゃんと果たす時代になった、とうれしく思ったものだが、はや権力の補完機能に先祖返りか。
「水に落ちた犬は打て」的報道には辟易する。同心が捕まえた下手人を、手下の岡っ引きが「こんなに悪いやつだ」と自分でかわら版に書いて配って同心の気を引くの、もうやめませんか。