2018年12月号 POLITICS
「禍根」を断った首相官邸
11月9日、菅義偉官房長官の「補佐官」福田隆之氏がクビになった。菅長官自ら「補佐官から業務に区切りがついたため辞職したいとの申し出があった」と説明したが、信ずる者はない。
福田氏が36歳の若さで「公共サービス改革」担当の補佐官に抜擢されたのは16年1月。年末の予算編成を控え、公共改革の推進役が職を投げ出すことなどあり得ない。何があったのか。
先の通常国会で「重要法案」と目されながら、継続審議となったものに水道法改正案がある。PFI法のコンセッションの仕組みを使って水道事業運営権を設定し、民間事業者に水道の管理・運営を可能にする道を開く法案だが、自治体が担う公共水道を「水道民営化」先進国の外資系企業に売り渡すものだという批判が渦巻く。難しい舵取りを任されたのが、福田氏だった。
福田氏は1979年生まれ。早大教育学部卒業後、野村総合研究所でPFI事業を担当し、我が国初の財務省案件(国家公務員宿舎の建て替えPFI)などを手掛けた。小泉政権のもとで「官業開放」を主導した竹中平蔵氏や規制改革会議の座長を務めたオリックスの宮内義彦氏の知遇を得、懐に飛び込んだ。
福田氏が頭角を現したのは、12年に新日本監査法人でPPP・PFI担当のリーダーになってから。当時の民主党政権で「コンセッション」に熱心だった前原誠司国土交通相に近づき、「空港運営のあり方に関する検討会」の委員などに起用された。政権復帰した安倍内閣においてもPPP・PFIは成長戦略の目玉に位置づけられた。15年末の関空・伊丹両空港のコンセッション方式による総額2兆2千億円超の運営権売却は、官民連携アドバイザーとして福田氏の評価を高めた。それにしても、菅長官は松田隆利補佐官(元総務事務次官)の後釜にどういう経緯で、36歳の福田氏を抜擢したのか。当時、産業競争力会議の議員を務めていた竹中氏の推薦があったようだ。
官邸筋は「困ったことになったのは臨時国会開幕(10月24日)の直前。『福田氏は日本の水道事業への参入を目論む仏系企業から接待を受けている』『公費出張に元同僚の女性を誘った』などと書かれた怪文書が出回り、週刊誌が動き出したという噂が広がった」と明かす。
現在、水道法改正を前提とした「水道コンセッション」が、宮城県などで計画されており、早く法案を成立させたいのは山々だろう。しかし、福田氏が主導した2度にわたる欧州の水道事業視察はお粗末すぎた。7月の衆院厚労委員会で「水道民営化に失敗し、再公営化を余儀なくされたパリ市の視察を避け、成功例ばかりを集めた報告書だ」とこきおろされた。
90年代以降、世界各地で水道民営化が進み、「水メジャー」と呼ばれる仏系のスエズとヴェオリア、英系のテムズウォーターの3社で7割を占めた。しかし、最近の調査では世界約40カ国200以上の民営化に失敗し、再公営化されたという。
「2度目の欧州視察はスエズの運営施設が多く、厚生労働省は参加しなかった。現地のシャトーで高級ワインの接待を受け、癒着が噂された」(官邸筋)
福田氏とスエズを結んだ人物は、外資系証券元副会長で竹中氏とも昵懇という。国会で、水道法改正の審議が始まる前に禍根を断ったといえそうだ。