細田派の災い「山崎前参院議長」

前代未聞の現職の公認外しに走る「福井県政界のドン」。稲田や滝波は絶対に許さん。

2018年11月号 POLITICS

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大人げない山崎正昭前参院議長

Photo:Jiji Press

9月20日の自民党総裁選では、国会議員による投票に先立ち選挙管理委員長の野田毅が「不在者投票」の5人の名前を読み上げた。その中に前参院議長山崎正昭が含まれていたことに、山崎の地元福井県の関係者は心をざわつかせた。「もしや石破さんに投票したのでは……」

山崎正昭、御年76歳。地元市議、県議からの叩き上げで参院当選5回。全国的な知名度は低いものの、県選出議員では圧倒的なキャリアで、「県政界のドン」と言っていい存在だ。首相安倍晋三の出身派閥で、総裁選では真っ先に安倍支持を表明した細田派(清和会)の重鎮でもある。その票が挑戦者の元幹事長石破茂に流れたとは考えにくい。だが、そう疑われてもおかしくない事情が山崎にはある。

滝波宏文参院議員

HPより

総裁選2カ月前の7月20日、自民党は来年の参院選の一次公認候補者56人を発表した。現職は合区の2選挙区などを除いて多くが公認されたが、福井選挙区の現職滝波宏文は入らなかった。県連がいまだに党本部に公認申請していないからだ。特に強硬に抵抗しているのが県連会長の山崎である。

総裁選で腹いせの造反?

稲田朋美衆院議員

HPより

定数2の福井選挙区は現在、2016年当選の山崎(5期)と13年当選の滝波(1期)で議席を分け合う。県連所属の衆院議員は稲田朋美、高木毅、山本拓の3人。二階派(志帥会)の山本以外の4人は細田派だ。だが稲田と高木は滝波続投を支持し、山崎とは対立する。山本と、参院全国比例選出で県連所属の山谷えり子(細田派)は、山崎寄りとみられている。

一次公認に漏れた滝波は8日後の7月28日、福井市内で政治資金パーティーを開催。安倍が「私たちの仲間として再び当選させていただきたい」とのビデオメッセージを寄せた。細田派会長で元官房長官の細田博之、参院細田派会長で経済産業相の世耕弘成も出席し、「早く全県一致して公認を」と注文。細田派OBの元首相森喜朗まで隣の石川県から駆けつけ、さながら派を挙げた滝波の決起集会の様相を呈した。滝波の支援者には森が山崎を翻意させてくれるとの期待もあったが、この場に山崎は姿を見せなかった。

8月27日には安倍自ら福井に乗り込んだ。県連幹部らと昼食をともにした際、山崎と二人だけで短時間会話したのが目撃されている。官邸関係者によれば、「参院選の公認はどうなるのか」と尋ねた安倍を、山崎は「反対する人が非常に多くて、私ではどうにもならない」とかわし、すぐに話題を変えたという。福井のドンにとって、いくら現職の首相でも地元の問題に容喙されるのは面白くなかろう。こうした経緯が、総裁選で腹いせに造反したとの憶測を生んだ。

それにしても、山崎はなぜこれほど頑ななのか。ここで自民党の政権復帰直後、13年初めまで時計の針を巻き戻そう。

福井県連では同年夏の参院選に向け、引退を控えた現職松村龍二の後継選びが始まった。山崎が連れてきたのは、福井工業大学を運営する学校法人理事長のK(山崎とは昵懇で、山崎は後年、同大学名誉総長の称号を授与される)。これに財務省を退官した41歳の滝波らを加えた3人が名乗りを上げた。

調整を迫られた県連会長(当時)の稲田は、県連では前例のない党員投票の実施に踏み切る。稲田の地元の県連福井支部はKを推薦し、稲田も支援を表明。Kの勝利は確実視されていたが、蓋を開ければ滝波が6割超の得票で公認をさらった。山崎は梯子を外された形になった。

安倍官邸の意中は当初から、官僚出身で操縦しやすく年齢も若い滝波だった。安倍の後ろ盾で政界デビューした稲田に、その意向は無視できない。Kを支援しているはずの稲田が、党員投票期間中に東京で官房長官菅義偉を交えて滝波と面会していた事実が、後に地元政界情報誌(山崎の影響下にあるとされる)にすっぱ抜かれた。稲田のこの行動も山崎の不興を買った。

この参院選で自民党は「ねじれ国会」を解消。民主党(当時)から奪還した参院議長ポストは、総裁派閥の威光で山崎に回ってきた。だが、位人臣を極めても、メンツを潰した稲田や滝波への遺恨は消えなかった。

県連会長選の遺恨試合

因縁深いことに、山崎と滝波はともに県東部の大野市が地盤だ。現在、同市議会議長を務めているのが山崎の長男利昭である。滝波は県立大野高校で利昭の1年先輩に当たる。13年には県連大野支部が滝波を推薦したが、今回は山崎父子が睨みを利かせる同支部がアンチ滝波の急先鋒になっている。

山崎が県連会長に就いたのは昨年12月17日の県連定期大会。この場で行われた会長選には、稲田と滝波が推薦人になって高木も立候補届を提出していたが、推薦人の数が一人多いとして山崎が無投票で選出された。これ自体は県連の規約にのっとった手続きだったが、滝波、稲田、高木は「選挙で公明正大に決めるべき」と異議申し立て。憤激した山崎はその後の役員人事で、会長以外の国会議員を「顧問」に就ける慣例を破って3氏を無役とした。

滝波は今年6月下旬、公認申請を党本部に上申するよう求める文書を県連会長宛に提出したが、山崎は黙殺。そのまま翌月の一次公認発表を迎えた。8月に開かれた県連の執行部会で、山崎は「異議申し立てを撤回し、この場で謝罪するのが筋だ」と主張。滝波の公認申請は議題として扱われなかった。

滝波は既に「若気の至りもあった。頭を下げてお願いしていかなければならない」と白旗を揚げている。だが、山崎が態度を軟化させる兆しはない。それどころか別の県議を擁立する動きさえ見せている。滝波の度重なる面会要請も拒絶し続け、「アポなし」で訪ねてきた時には、秘書に居留守まで使わせる徹底ぶりという。

10月初めの内閣改造で、滝波は経産政務官に就任。公認申請の環境を整えるため、経産相の世耕が推した人事と言われる。

山崎の態度が、三権の長まで務めた人間として大人げないのは確かだが、県連内では滝波氏ら3氏に対し「県連を混乱させた責任は思い。次の選挙は無所属で戦うべきだ」とケジメを求める声も強い。滝波を支えてきた地元財界関係者でさえ「福井のための働きが足りない。公認申請はもう少し様子を見てからでも遅くない」と距離を置き始めている。(敬称略)

   

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