2018年10月号 BUSINESS
今夏の中央省庁幹部異動は、例年にも増して首相官邸の覚えのめでたい人物が栄進する「異次元人事」と話題を呼んだが、受託収賄容疑で現職局長らが逮捕された文部科学省の人事だけは見送られた。事務次官就任から1年8カ月を過ぎた戸谷一夫氏は、汚職事件の収束を見計らい、年内に退任する見込みだ。首相官邸に弓を引いた前事務次官の前川喜平氏に連なる「抵抗勢力」が潜む文科省を、官邸は警戒しており、次の次官には「忠臣」を据えたいのはやまやま。そこで浮上するのが、「官邸直系」の藤原誠官房長(昭和57年旧文部省入省)の抜擢だ。
文科省を揺るがした昨年1月の天下り問題で、藤原氏は他の幹部と共に減給処分を受け、同年7月の人事で初等中等教育局長から官房長に逆戻り。省内に「事務次官の目はなくなった」との見方が広がったが、ここに来て風向きが変わった。「一定期間の昇任凍結を定めた人事院規則に基づき秋以降、ペナルティーが解けることから、次官への昇格が可能になった。この難局(汚職事件)を乗り切るには、官邸に食い込んだ藤原さん以外にない。前川さんと敵対関係にある藤原氏を、官邸も推すだろう」と、文科省関係者は言う。
前川氏と藤原氏は共に東大法卒。「文科省のプリンス」と称された前川氏の3年後輩の藤原氏も出世街道を走ってきた。藤原氏が頭角を現したのは、小泉内閣時代の改革のエンジンとなった内閣官房に出向し、内閣参事官を務めたこと。ここで各省のエース級と同じ釜の飯を食い、当時の首席首相秘書官、飯島勲氏(現内閣官房参与)らの知遇を得たとされる。しかも、首相官邸が、藤原に目をつけたのは「トラブルシューターとしての手腕だった」(文科省OB)。
まず挙げられるのは2015年の新国立競技場の白紙撤回問題。危機的状況下で、当時私学部長から官房長になっていた藤原は、競技場を担当する日本スポーツ振興センター理事時代に築いた人脈を生かして、再整備への道筋をつけた。官邸の信頼を得た藤原は、16年6月に初等中等教育局長に昇進。事務次官の座を射程に入れた。
前述の通り藤原氏は懲戒処分を受け官房長に戻ったが「官房長は霞が関の黒衣。官邸との信頼関係はさらに深まった」(同省関係者)と見るべきだろう。
2度目の官房長に就く直前(17年5月)、その「黒衣」が白日に晒された。加計学園問題への官邸の関与を暴露しようとした前次官の前川氏の動きを抑えようと、官邸官僚が水面下で動いた際、両者をつなごうとしたのが、藤原氏だった。
前川が、その内幕を暴露した近著『面従腹背』には、〈藤原教育局長からショートメールで、「和泉さんから話を聞きたいと言われたら、対応される意向はありますか?」と送られてきたのです〉とある。ここに登場する「和泉さん」とは元国土交通省住宅局長で首相補佐官を務める和泉洋人氏に他ならない。菅義偉官房長官の懐刀として辣腕を振るう和泉氏が、霞が関の幹部人事に口を挟んでいることは、よく知られている。
藤原氏の唯一のライバルは1年先輩の文科審議官の小松親次郎氏(早大政経卒)。文科省OBには「藤原は生臭すぎる」と小松氏を推す向きもあるが、スキャンダル噴出の文科省は、官邸の意向に従うほかない。