霞が関の常識を軽々と飛び越える奥原事務次官が、時代遅れの既得権に切り込む「活劇」の始まり!
2018年1月号 BUSINESS
農林水産省の奥原正明事務次官
Photo:Jiji Press
陽気な男ではない。同僚に向かって「政策のアイデアもない、議論もできない奴と会うのは時間の無駄」と言い放つ仕事の鬼。農林水産事務次官、奥原正明(61、79年入省)。守旧派からは蛇蝎の如く嫌われるが、そんな悪評も彼にとっては勲章。農協をねじ伏せ、掟破りの安倍官邸介入人事で事務次官のポストをもぎ取った。農政改革とは口先ばかりで腰の重い農水省を内側から揺さぶり、うるさい自民党農水族は官邸の「眼光」で黙らせる。霞が関の常識を軽々と飛び越える「トッパモン」の奥原が、時代遅れの既得権に切り込む、まさに「活劇」だ。
東大法学部時代は昭和の高度経済成長期に全国で発生した公害問題を解決しようと弁護士を志していた。ところが、卒業する頃には公害訴訟も峠を越し、自分の出番はないと踏んだ奥原は、霞が関に足を向ける。コメの流通や価格を国が管理する食糧管理制度、減反政策など迷走する当時の農業政策に憂憤を感じて、農水省の門を叩いた。
キャリア官僚として秘書課長、農地政策や農協グループを所管する経営局長など要職を歴任したものの、次官レースは省内の保守本流を歩いた同期のエース、本川一善(前次官)が常に一歩リード。本川が農水次官に就任した2015年夏に奥原は霞が関の慣例に従い、退官すると思われた。
ところが、である。奥原には安倍政権が立ち向かう岩盤規制改革の先頭に立ち農協(JA)グループの総本山・JA全中つぶしをやり遂げた功績があり、菅義偉官房長官の覚えがめでたいことは、霞が関で知らぬ者がない。16年夏、在任期間が1年に満たない本川のクビが飛び、次官の座に奥原が就いた。「農協改革をやれるのは、ケンカ屋の奥原しかいない」という菅長官の抜擢だった。「官邸におもねって次官のイスを奪った」(農水次官OB)と罵詈雑言を浴びても、本人はどこ吹く風。文字通り内閣人事局を統括する菅長官の「強権人事」だった。
菅長官からJA改革第2弾を託された奥原は小泉進次郎衆院議員を神輿に担ぎ、農産物の流通を牛耳るJA全農に照準を合わせた。結果はご存じの通り。全農が改革に抵抗するたびに、国民的人気者の進次郎に批判させ、世論を誘導。「サンドバッグ」状態になった全農は、割高な価格で農家に売りつけていた農薬や肥料の値下げだけでなく、サボっていた農産物輸出に取り組むことを確約させられた。
「奥原ショック」は続く。次の標的は、身内の官僚組織だ。17年7月、奥原の後釜を狙う次官候補4人(肩書は当時)をまとめて葬り去った。1年後輩の今井敏林野庁長官(80年入省)と、佐藤一雄水産庁長官(81年)を退官させ、筆頭局長ポストの官房長の任にあった荒川隆(82年)を農村振興局長に格下げ。83年のエースと目された今城健晴消費・安全局長も、酪農改革を巡り、政府の規制改革推進会議を取り仕切る金丸恭文議長代理(フューチャー会長)と対立した咎で、まさかの退官の憂き目に遭った。
旧態依然とした農林水産業を近代的な産業に生まれ変わらせるのが奥原の悲願であり、次にメスを入れるのは林業と水産だ。まず、「儲かる林業」を標榜し、やる気のある事業者の経営大規模化を推進する。財源には18年度の税制改正で誕生する森林環境税を回す。林業に続く水産改革こそが、奥原にとって農協改革と並ぶ「戦場」になりそうだ。焦点は「水産業への企業参入の促進」。つまり、漁業権を企業に開放し、自由な発想に基づく公平な競争を促し、衰退が止まらない水産業の再生を図る目論見だ。
水産改革はもちろん、「ハマの秩序を乱す」と叫ぶ全国漁業協同組合連合会(JF全漁連)とぶつかる。その拒絶反応は、株式会社の農地取得を拒むJAグループと相似形である。JF側にも言い分はあろうが、現状はあまりに杜撰で不透明。例えば、外部企業が漁業権を取得した時、地元漁協に支払う漁業権の行使料や協賛金の額が「相手によって何倍も異なることがある」(規制改革推進会議関係者)という。「漁協の総会で自由に金額を決められるから、まさにやりたい放題。陸の上で同じことをやればボッタクリだ」と政府関係者は批判し、規制改革会議でも厳しく追及されている。
そもそも海洋基本法で海は国民皆のものと定められているにもかかわらず、JFが独占的に利用する有り様は、国民の目には「既得権」としか映らない。
現状を打破し、新勢力を呼び込む苦労は並大抵ではないが、既得権に切り込むケンカは奥原の得意とするところ。JFをJA(農協)と置き換えてみれば、これから何が始まるか、容易に予想がつく。
技官集団の水産庁プロパーは奥原改革に決して前向きではない。だが、7月の幹部人事で事務系キャリアが独占してきた水産庁長官ポストを初めて技官に回し、北大水産学部出身の長谷成人を抜擢した。もちろん、「オレに協力しろ」という、奥原からのメッセージに他ならない。
奥原が思い描く改革を軌道に乗せるには「2~3年は必要」(内閣府幹部)。通常なら次官就任から2年が過ぎる来夏に退くのが官僚組織の常道だが、奥原には霞が関の常識は通用しない。水産改革を片づけてから、おもむろに後任にバトンを渡すとの見方が、省内に広がっている。
ある中堅幹部は「あと3年は次官を続投してもおかしくない雰囲気」と言う。仮に、あと3年次官を続けたら、その在任期間は5年に達する。霞が関で事務次官が在任5年居座った例は過去になく、「常識的には有り得ないが、奥原のハナシを聞いていると、在任5年でも辞めないかもしれない」(農水省OB)。
後ろ盾の菅長官(=安倍官邸)は、先の衆院選大勝で政治的な推進力を増した。18年秋の安倍首相の自民党総裁3選もほぼ確実。奥原の後顧に憂いはない。何せ後継者の次官候補を4人も飛ばした今、奥原に代わる幹部人材が、省内に見当たらない。
奥原の使命は岩盤規制の突破だけではない。総仕上げは、農水省という官僚組織の改革だ。
族議員と一体化した守旧派利権を打破し、21世紀の成長産業たる農林水産業をリードする役所に生まれ変わることができるか。常日頃、「自分にしかできない仕事をやれ!」と、部下を叱咤する奥原の真価が問われるのは、これからだ。(敬称略)