2017年9月号
LIFE
by 遠山高史(精神科医)
今回は医者の話をしよう。医者には変わった人間が多い。医者の私が言うのだから本当だ。特に、成績ファーストの教育の中で、相手をおもんぱかることの薄い人間でも、成績次第でなれる職業だ。なってしまえばこっちのものだから、頭を下げることの嫌いな人間、協調することの嫌いな人間が、もっぱらなりたがる。この傾向は、裏返せば人間嫌いが集まりやすい職種といえる。臨床医は患者と付き合う仕事だから、人間嫌いでは困る。が、医師不足のご時世だから、少々変わった人間でも雇わないわけにはゆかない。患者を診ずに鑑定書ばかり書きたがる医師や、患者の選り好みが激しい医師、出張ばかりしている医師、権力的に振る舞う医師、さらには救急患者をすぐに診ようとしない医師まで色々いる。こういった輩をうまく使えるかが、ある日突然、自治体の病院長を任された私の関門となった。
サッカーや野球では均一な能力の選手を集めるより、多様な能力の選手で構成することが、強いチームの条件であろう。しかし、それには監督が選手を自由に選べるという前提が付く。医師という尊大な技術者集団におけるメンバーチェンジは至難の業だ。自治体病院の医師は公務員でもあり、身分保証に守られ、病院長の人事権は無きに等しい。犯罪でも起こさない限り辞めさせられず、異動させる権限もない。
病院長に許された唯一の権限は、医師を採用することであった。ならば、円満な人格の医師を雇えばよい。ところが、よい医師はどこでも厚遇されるから、雇用市場に出回らない。医師の人件費は高く、給料分働いてくれるかが問われてくる。
考えた末、私はリスクを冒し、唯一の権限を使って医師を雇い入れた。個々の能力はさておき、自治体病院のサイズを念頭に医師を増やしたのである。集団には常に適正なサイズというものがあるが、そのサイズについてきちんと論じた経営学の本に出合ったことがない。それでも医師がダイナミックに交流しながら、病院の機能を高めるには2倍の医師が必要だと、私には思われた。
事務当局は危惧したが、私の責任において採用を急いだ。しかも、医師同士の交流を密にするため医局を拡散させず、病院情報の中枢を一つにまとめた。彼らに通ずる協調性の欠如を封じるために、物理的距離を狭め、交流を促したのである。嫌でも医師同士が触れ合うようになれば集団のダイナミズムが働き、技術的交流も進み、互いに影響しあうようになる。働かない医師もそこそこ働くようになり、権力的な医師も強引さを引っ込め、つまらぬ会議を繰り返すより、よほど集団の結束を生むことに成功したようである。医師たちの当直回数は激減し、日中の外来業務も多くこなせるようになった。結果として私の在任中、医師の人件費を差し引いても、病院発足以来最高の収益を達成できた。
同じ目的を達成する場合でも、取り巻く状況も集団のサイズも異なり、個々の要素は全体からの影響を受けて変化する。サイズは大きければよいものでも、小さければよいものでもない。グローバル化が進んだ昨今、人はことさら細部を厳密化し、固定化した基準に縛られていないか。全体のサイズ次第で細部が多様に変化するという自然の摂理を忘れているのだ。人の世は流れに浮かぶ渦のようなものであり、その時々に最適なサイズがあるものだ。