政治主導は 「泡沫(うたかた)の夢」

2015年9月号 POLITICS [永田町 HOT Issue 第1回]
特別寄稿 : by 江田 憲司(維新の党前代表)

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政治家の資質とは何か? 一つだけ挙げろと言われれば、私は迷うことなく「官僚を論破できる(官僚組織をマネージする)能力」と答える。

いくらサラブレッドの政治家でも、歯切れの良い物言いで人気を博している政治家でも、政治を司るということは、総理となり、大臣となった時に、政府=官僚組織を自らの資質でマネージする、すなわち、官僚を論破し使いこなすという能力がなければ、とても政治を前に進めることができないからだ。

「個別」「集団」で異端解釈

昔、「官僚はうまく使いこなさなければ」と胸を張り言い放った総理、その当の本人が見事に官僚に使いこなされていたという笑えない話があった。ことほど左様に、官僚出身の私からすれば、今の国会議員の9割以上は、いとも簡単に官僚にだまされる、操られる政治家であると言ってよいだろう。いくら偉そうなことを日頃言っている政治家も、官僚に囲まれて10分、彼らのレクチャーを受ければものの見事に洗脳されてしまうのだ。そう、こうした情けない政治のレベル、現状では、いくら「官僚主導から政治主導へ」と御託を唱えても、いくら制度的に工夫を凝らしても、いつまでたっても、政治主導=国民本位の政治の実現は難しいだろう。

その象徴的な事例として、私は『財務省のマインドコントロール』という本を数年前に出版し、財務官僚に操られて、口を開けば「国の借金は1000兆円を超えGDPの2倍。このままでは国債が暴落、長期金利が急上昇して財政破綻、だから増税は待ったなし」と、何とかのひとつ覚えのようなことしか言わない政治家がいかに多いことか、それがいかに財政の常識に反しているかを指摘した。

詳しい説明は先の拙著を参考にしてほしいが、簡単に言えば、過去の財政破綻国と異なり、日本の国債の9割以上は内国民保有であり、かつ、日本国債の格付けが下げられた時(2002年)に財務省が反論したように、日本の「海外純資産は250兆円。外貨準備は100兆円で経常収支は17兆円の黒字計上。個人の金融資産は1500兆円」で「日本のファンダメンタルズは強固でまったく問題ない」のだ。

繰り返し言うが、これは私の主張ではない。財務省が公式文書で対外的に主張しているのだ。国内では「大変だ! 大変だ!」と財政危機をあおり増税を迫る。一方で、国外には「まったく問題はない」と財政の健全性を訴える。これを財務省の「二枚舌」と言わずして何と言おう。しかも、この二枚舌に多くの政治家がだまされている。

安保法制についても同じことが言える。財務省ならぬ「外務省のマインドコントロール」だ。

まず、「個別的自衛権」「集団的自衛権」という概念についての国際的な常識が日本では通じない。世界の国際法学者が常に参照する、国際司法裁判所による「ニカラグア事件判決」(1986年)によれば、「個別的自衛権」とは「自国を守る権利」、「集団的自衛権」とは「他国を守る権利」とされている。にもかかわらず、日本政府はこれとは異なり、「自国が攻撃」されたか、「他国が攻撃」されたかという現象面で、「個別」「集団」概念を区別してきた。

この理解の下に、今回の安保法制で定義された「存立危機事態」の三要件をみると、安倍首相は「集団的自衛権の限定容認」と称しながら、それはあくまでも「自国防衛」のためとも言い募る。しかし、「集団的自衛権」ならば、ニカラグア判決により「被攻撃国からの支援要請」が必要となるが、自国の「存立危機」にもかかわらず他国の要請がなければ対処できないのでは深刻な自己矛盾ではないか。「個別」「集団」で異端な解釈を日本政府が採っていることによる。

さらに言えば、近時の核・ミサイル技術の進展等に伴い、この「個別」「集団」という区別自体も相対化してきた。その外縁が重なり合ってきたのだ。

具体的な事例で考えればわかりやすい。通常兵器しか持っていなかった時代。米艦船が日本海に展開している時、朝鮮半島から「対艦砲」の弾が当たったとする。その米艦船を日本の軍隊が助けにいくのは、明らかに「集団的自衛権」の行使だ。なぜなら、その大砲の弾は日本まで届きようがなく、日本攻撃の危険性は全くないからだ。

しかし、現代、弾道ミサイルの時代ではどうか。米イージス艦が、日本防衛でも警戒監視の目的でも日本海に展開している時、北朝鮮から「短距離ミサイル」による攻撃を受けたとする。このようなケースでは、当然、在日米軍基地からの猛反撃を受けることは容易に想定できるので、ノドンミサイルが200発以上日本に向いている現状では、当然、北朝鮮は日本本土に対しても、同時にミサイル攻撃を仕掛けてくるか、そうでなくても、いずれ攻撃をしてくる危険性は極めて高いと言えよう。そう、日本への攻撃が切迫している事態と言ってもいい。

「外圧」と「舶来」に弱い日本人

こうした時に、指をくわえて「坐して死を待つ」わけにはいかない。その米艦への攻撃を排除しなければ、日本への武力攻撃が発生するか、その明白な危険が切迫しているのなら、日本は、国民の生命、領土・領空・領海を守るため、「自衛権」を行使しなければならない。これが維新の党の基本的考え方だ。国際法の権威、東大大学院の中谷和弘教授も、その論文(村瀬信也編『自衛権の現代的展開』)で、「現実には、個別的自衛権と集団的自衛権の区別が相対化される場合がある」としている。

維新の党の対案は、あくまで「武力攻撃(その切迫)」を軸に概念構成し、ホルムズ海峡の機雷封鎖のような経済的要因は排除する。外形基準も明瞭で「自衛のための必要最小限の措置」で合憲との評価を憲法学者等からもいただいている案だ。

日本人は今でも「外圧」と「舶来」に弱い。だから官僚は困るとすぐ「国際約束」を持ち出す。消費増税や新国立競技場問題然り。外務省も意に沿わない主張には途端に「国際法違反」とくる。一時、自衛権行使には「個別」「集団」を区別して国連に報告しなければ国際法違反としていたがその実態がないとわかると撤回した。国際法のバイブル=ニカラグア判決も読んでいない外務省。その程度の官僚に容易に洗脳される政治家。「政治主導の道遠し」である。

著者プロフィール
江田 憲司

江田 憲司

維新の党前代表

   

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