緒に就く「廃炉への道」 「ありのまま」を見せる

小野 明 氏
福島第一原子力発電所長

2015年7月号 DEEP [インタビュー]
聞き手/本誌編集人 宮嶋巌

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小野 明

小野 明(おの あきら)

福島第一原子力発電所長

1959年山梨県出身。東京大学工学部原子力工学科卒業。83年東電入社。最初の配属は2F。IAEA(在ウィーン)出向や1Fの保全部門を経て、1F運転管理部長。発災8カ月後の2011年12月に1Fユニット所長、13年6月より執行役員兼1F所長。1F、2F勤務が通算15年に及ぶエキスパートである。

――所長就任から2年が経ちました。

小野 発災3年目に所長を引き継いだ後、思わぬトラブルが相次ぎ、1Fは「野戦病院」の有り様でした。タンクから大量の汚染水が漏れたり、台風の夜、タンク周囲の堰から雨水が溢れないよう、徹夜で水を移送したり……世の中にご心配をかけたうえ、現場は疲れ果て、非常に辛い思いをしました。以来、最大リスクの一つである高濃度汚染水処理が、私の至上命題になりました。

その後、多核種除去設備など7種類の装置を増強し、約62万tの高濃度汚染水の処理を進め、5月末に完了することができました。今も1Fの建屋には地下水が流れ込み、1日300tの汚染水が発生していますが、約620基のタンクに溜め込んだ汚染水のリスクは桁違いに小さくなりました。今後は汚染水処理から使用済燃料や燃料デブリの取り出しに向けた廃炉作業を加速させます。

――今は「百里の道」のどの辺(あたり)ですか。

小野 昨年12月、世界中が危惧した4号機の使用済燃料の取り出しに成功しました。あれが最初の一里塚でした。小さな前進でしたが、現場が知恵を出し合い、十分な準備と予行演習を重ね、完璧にやり遂げました。全体のムードが明るくなったように感じました。4月には1号機の格納容器内へ初めて調査ロボットを投入し、さらに宇宙線「ミュオン」を用いた燃料デブリの測定を実施しました。8月にも予定される2号機格納容器の内部調査によって、初めて燃料デブリの位置がわかるかもしれません。とはいえ「廃炉の道」は緒に就いたばかりです。

私の夢は「ノー・カバーオール」

大型休憩所の展望窓から3、4号機を写す(6月1日)

展望窓から1、2号機を写す

――1Fでは1日に約7千人が働いています。夏場の熱中症予防対策は?

小野 7~9月の酷暑時間帯の作業は禁止になります。カバーオール(防護服)を着用した作業は危険だからです。世の中の皆さんから1Fは重装備が不可欠と思われていますが、最近は除染とフェーシング(舗装)が進み、構内の90%のエリアで全面マスクを着けずに作業が可能になりました。つまり重装備をした作業員は少なくなっています。全面マスクを着けると視野が狭まり、怪我をしやすくなります。作業量が急増した14年度は労働災害が13年度の2倍に増え、今年1月にはタンクの上部から元請会社の方が転落死する事故が発生しました。当社社員がいながら「1人作業」を止められなかった。たいへん申し訳なく思います。

一方、年内に構内全域の除染とフェーシングが更に進むと、ダストが舞い上がる心配がなくなります。そうなれば線量の高い建屋内やその周辺を除けば、防護服を着用せず、普段の作業着と自分のヘルメットと靴で現場に出られるようにならないか――。「ノー・カバーオール」こそが私の夢であり、これを実現するにはどうしたらよいのか、よく検討せよと指示しています。1Fが特殊な現場であることは承知の上で、それを普通の現場に近づける努力が、長く険しい廃炉作業を乗り越える力になるはずです。

安心して仕事ができる職場環境

――6月から1200人の作業員が休める大型休憩所がオープンしました。

小野 作業員の皆さんが手足を伸ばして休めるスペースに加え、約30の元請会社が作業前の安全確認を行うスペースも設けました。これまで作業員の皆さんは、コンビニで買ったお弁当やおにぎりを、プレハブ施設の床に座るなどして食べていました。彼らなしでは廃炉は前に進まないのに、何とも気の毒で申し訳ない有り様でした。やっと320席の大食堂がオープンし、仲間と話しながら温かい食事ができる環境が整いました。作業環境改善を第一に考え、職員と作業員さんの士気を高めることが、所長の責務と痛感しています。

大型休憩所に開業した食堂

温かい定食を380円で提供

――東電入社後、1Fで宿直研修を受けた後、2Fに配属されたそうですね。

小野 当時は2Fの1号機が運開したばかりでした。現場では燃料管理や放射線管理など、様々な経験をしました。1Fの保守課で仕事をした時の上司が吉やん(故吉田昌郎氏)であり、私にとって保全業務の「師匠」でした。私は彼ほど豪放磊落じゃないけれど、現場をバックに本店とやり合うタイプだからウマが合いました(笑)。震災の時は横浜市の鶴見支社長を務めており、8カ月後に1Fに呼ばれた時、病に倒れた吉やんから「いつか君に頼もうと思っていた」というメールを貰っていました。初めて1~4号機をまぢかに見た時は「こんなになるものか」と声が出ませんでした。

――日本で一番責任が重い所長です。

小野 廣瀬(直己)社長から「君に任せる」と言われた時は、吉やんのメールを思い出し、すごく嬉しかったし、名誉なことだと思いました。誰かがバトンを引き継がなければなりません。

――いつもはどこにおられますか。

小野 朝から晩まで免震重要棟です。昼と夜は仕出し弁当を食べて、週に2、3回泊まります。万一不測の事態が起こったらと思うと、泊まる回数を減らせません。最初は週末も居続けでしたが、今は帰ることにしました。作業員の皆さんも同じだと思いますが、家族は心配していますね。最近会った大学時代の同級生は、万一原子炉への循環冷却水が止まったら、たちまち爆発すると誤解していました。崩壊熱が激減し、冷温停止状態を維持しているのに、たいへんなことになると──。逆に言えば、皆さんの脳裏に、あの水素爆発が、今も強烈に焼きついているのです。1Fの「ビフォーアフター」を示して、1Fの「ありのまま」をお見せすることで、世の中の誤解を解かなければ、1Fで働く者の士気は上がらないと
思います。

   

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