諧謔許さぬ中国共産党  「心の自由」は縛れない

王 立銘(変態辣椒) 氏
中国を追われた政治風刺漫画家

2015年2月号 GLOBAL [インタビュー]

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王 立銘(変態辣椒)

王 立銘(変態辣椒)(ワン リーミン(Wang Liming))

中国を追われた政治風刺漫画家

1973年新疆ウイグル自治区生まれ。河北軽工業学校(高専に相当)で美術を学び、広告会社に就職。2006年から「変態辣椒」のペンネームでネット上に政治風刺漫画の投稿を開始。14年7月、日本滞在中に当局から微博を閉鎖され、迫害を恐れて帰国を断念した。

――言論の自由がない中国で、政治風刺漫画を描くのは勇気が必要だったはずです。きっかけは?

王 子供の頃から絵を描くのが大好きでした。中学卒業後に専門学校で美術を4年間学び、上海の広告会社に就職。それからずっと広告のクリエイティブ制作の仕事をしていました。私にとって、漫画を描くことは自己表現の最高の手段なんです。

政治に関心を持ったのは1​9​8​9年6月の天安門事件がきっかけでした。北京の天安門広場で一体何が起きたのか。当時はまったく情報がありませんでしたが、私はずっと真相が知りたいと思い続けていた。その後、98~99年頃にインターネットを使い始め、海外のウェブサイトにアクセスして大量の情報を集めました。そして、共産党のプロパガンダに強い不信感を抱くようになりました。

――政治不信を表現するために風刺漫画を描き始めたと。当局に睨まれるリスクは心配しなかったのですか。

王 もちろん一抹の不安はありました。でも、私のような一市民がネットに漫画を投稿したくらいで、当局が本気で目くじらを立てるなんて最初は思いもしませんでした。

ネットユーザーの声援が支え

「変態辣椒」(変態トウガラシ)のペンネームでネット上に漫画を発表し始めたのは2​0​0​6年から。中国のあるSNS(交流サイト)が「ジャンルを問わず面白い作品を大募集」と呼びかけていたので、試しに投稿してみたんです。そして反響の大きさに驚きました。それまでの中国には、共産党や社会問題を風刺する漫画がほとんどなかったからだと思います。

09年頃からは微博(ウエイボー)(中国版ツイッター)への投稿を始めました。私のアカウントは昨年7月末に検閲当局に閉鎖されてしまいましたが、その時点でのフォロワーは新浪微博が50万、騰訊微博が30万を超えていました(編集部注=新浪と騰訊は中国の二大微博)。彼らネットユーザーの高い評価と励ましの声に支えられ、私は風刺漫画を描き続けることを決心しました。

昨秋の北京APECでの日中首脳会談を題材に、中国の習近平国家主席が日本の安倍晋三首相に「靖国神社と尖閣諸島の問題を解決したらおしゃべりしてあげるよ」と不敵な笑みを浮かべている

習主席の反腐敗キャンペーンで失脚した周永康・前共産党中央政治局常務委員を題材にした一枚。「食べ過ぎ」の罪名で「大トラ」を捕らえた習主席にもトラの尻尾が生えている

香港での民主化デモを題材にした作品。抗議のシンボルだった「黄色い傘」は共産党の「魔神」に踏みにじられたが、反抗の火は消えていないことを右下の光る傘が象徴している

――微博が閉鎖された時は日本に滞在中だったとか。

王 はい。私の漫画に原稿料を払ってくれるメディアは中国にはありません。何か別の方法で生活費を稼ぐ必要がありました。しかし風刺漫画に手応えを感じてから、広告の仕事には次第に興味を失ってしまった。近年は当局の締め付けが厳しくなり、私は身の危険を感じて中国を離れたいと考えるようになりました。

そんな時、貿易の仕事をしている友人から「日本へ行かないか」と提案されたんです。彼と共同で淘宝(タオバオ)(中国最大のショッピングサイト)にネットショップを開き、日本で仕入れた商品を中国で売ろうと。そこで3カ月の商用ビザを取得し、昨年5月に来日しました。

ショップの出足は順調で、私は日本滞在を楽しんでいました。ところがビザが切れる直前、当局がいきなり私の微博と淘宝のアカウントを閉鎖してしまったんです。そのうえ、人民日報系列の人気BBS(電子掲示板)に私を「漢奸」(売国奴)と罵る文章が書き込まれ、それを政府系メディアが次々に転載しました。突然の事態に私はうろたえ、途方に暮れました。真相は藪の中ですが、想像するに共産党中央宣伝部のお偉いさんがたまたま私の漫画を見て、「こいつを懲らしめろ」と命令したんでしょう。

――それで日本に残ったのですね。

王 ネットショップを経営していたので、中国に帰ったら「密輸罪」などの濡れ衣を着せられて投獄される危険があります。幸い、日本の友人の助けを借りて商用ビザを留学ビザに切り替えることができたので、いったん日本に留まることにしました。

米国に渡ることも考えましたが、まずは落ち着いて態勢を立て直すのが先決です。何しろ、自己表現の場だった微博と生活の糧だったネットショップを一度に奪われてしまったのですから。現在は日本のある大学で日本語を学びながら、留学生寮で風刺漫画を描き続けています。

――来日前には当局からどんな締め付けを受けたのですか。

王 微博に投稿した漫画やツイートを削除されるのは日常茶飯事でした。ひどい時には投稿した瞬間に消されます。でも、これはまだ序の口です。

“彼ら”が初めて姿を見せたのは09年でした。IPアドレスから書き込みの発信元を割り出し、私の住んでいた団地に当局の人間がやってきたんです。しかし部屋番号までは特定できておらず、この時は事なきを得ました。

虚像崩壊を恐れる当局

初めて事情聴取を受けたのは11年、国家安全局の捜査員が突然自宅に現れ、「外でお茶でも飲みながら話が聞きたい」と求められました。実際に喫茶店で“おしゃべり”をしましたよ。彼らは私の背後に外国の勢力がいるのではないかと疑っていたようです。

13年には、微博で偶然目にした浙江省の水害に関するツイートをリツイートしただけで、当時住んでいた北京の公安局に引っ張られました。「デマを拡散した」という容疑です。丸一日拘束された後に釈放されましたが、公安局は上海に住む私の兄にも事情聴取して圧力をかけてきました。無関係の親族まで巻き込むなんて卑劣です。

――当局は王さんの漫画の何を恐れているのでしょう。

王 中国共産党は国民に対して、自分たちが偉大で、慈悲深くて、常に正しいというイメージを刷り込もうとしています。もちろん実態は違います。私の漫画はその矛盾を風刺しているので、容認できないのでしょう。彼らにはユーモアが通じません。

ある時、毛沢東や江沢民など国家指導者の顔をわざと「可愛く」描いて投稿したことがあります。するとあっという間に削除されました。醜悪に描くのも、可愛く描くのもダメ。彼らは自ら描いた虚像を寸分も変えられたくなく、反抗者を力で抑え込むのです。

それでも人間の心の自由までは縛れません。私は共産党に国を追われましたが、おかげでビクビクする必要はなくなりました。自分の描きたい漫画を遠慮なく描き続けます。

   

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