増田 尚宏 氏
東京電力福島第一廃炉推進カンパニープレジデント
2014年11月号
DEEP [インタビュー]
聞き手/本誌編集人 宮嶋巌
1958年埼玉県生まれ。横浜国大工学部卒業、同大大学院修了。82年東電入社。初任地が福島第二原子力発電所(2F)。05~08年2Fユニット所長を経て、10年2F所長に就任。東日本大震災では、所長として現場指揮。特命役員原子力安全監視室副室長を経て、今年4月より現職。
写真/本誌・宮嶋巌
――福島第一原発(1F)の吉田所長の政府事故調「調書」が公開されました。1Fと2Fの明暗を分けたものは?
増田 全電源喪失に陥った1Fと異なり、2Fは外部電源が1系統だけ残っており、中央制御室が停電を免れたおかげで、原子炉の圧力や温度を把握しながら、復旧作業に取り組むことができました。真っ暗な中で計器類が読めず、何が壊れ、どうなっているのかわからなかった1Fは想像を絶する状況でした。暗闇の扉の向こうにネズミがいるのかライオンがいるのか――。吉田の調書を読むと、あの時の不安や苛立ちがフラッシュバックします。一方、出力110万kWの4基がフル稼働していた2Fのパワーは1Fを上回り、三つの原子炉が冷却機能を失った時、私も覚悟を決めました。
――もっとも思い悩んだ決断は?
増田 浸水した海側の建屋に入り、早期復旧の成否を調べてもらう必要がありました。一刻を争う事態でしたが、余震と津波警報が出る中で逡巡しました。結局、現場確認に行ってもらったのは地震から6時間後でしたが、明け方までに冷却機能回復のプランをまとめ、交換用モーターやケーブルを発注できました。
――わずか200人の手作業で重いケーブルを、たった1日で9㎞も引いた、「増田伝説」が語り継がれていますね。
増田 13日の深夜、免震重要棟には約400人が詰めていました。「モーターが回った」「給水が始まった」と報告があるたびに「ウォー!」と、歓喜のどよめきと拍手が上がります。二度と経験したくはありませんが、生涯忘れません。凄いチームワークでした。
――「全面撤退」「命令違反」と、朝日新聞からあらぬ非難を受けました。
増田 吉田は気心の知れた三つ先輩の兄貴分です。プラント放棄を意味する全面撤退なんてあり得ないし、最後まで残る覚悟だったと断言できます。1Fで水素爆発が起きた後、私は2Fに怪我人を収容する場所を準備し、避難所として体育館を開放したのでいつでも来て下さいと、テレビ会議で呼びかけています。3月15日の朝になると、1Fからたくさん来ましたが、約10キロ南の2Fに一時退避しただけで、すぐに現場に戻っています。1Fの皆が命令に背いて逃げ出しただなんて――。悔しかったですね。
――2Fの危機を乗り越えた増田さんですが、これという反省点は?
増田 大震災の前は、原発を安全かつ効率的に運転し、設備機器を上手に使って、コストを下げることを考えていました。万一、事故が発生しても、いつもの協力会社に頼み、役割分担を果たせば、難なく克服できると、勝手に思い込んでいました。本当の危機に襲われた時は、誰も助けに来てくれないと覚悟すべきです。事業者は、自分たちの力だけで事故を乗り切らなければならないのです。
故吉田昌郎・福島第一原発元所長(2011年5月30日、東京電力提供)
福島第一原発緊急対策室の様子(2011年4月1日、東京電力提供)
この世に、絶対にパンクしないクルマなんかありません。仮にパンクしても、予備のタイヤを持ち、自分で取り換えるスキルを身につけておくこと。そこまでやって初めてクルマを運転できるのです。原発も同じことで「協力会社頼み」は大きな間違いでした。実際、我々はガレキをどかすブルドーザーやクレーンを動かせなかった。現場力とは、いざという時に自分たちでどこまでやれるか、現場の備えを怠らないことです。
――1F作業員は1日6千人を超え、作業のピッチが上がってきました。
増田 昨年の今頃は大雨が降るたびにタンクの堰から雨水が漏れ出し、火の粉を振り払う「野戦病院」のようでしたが、今は3日先、3カ月先まで見通せるようになりました。4月に廃炉推進カンパニーを発足させたおかげで、皆の目的意識が高まり、前進力がついたと思います。
――6年後の東京五輪の時には、世界に廃炉推進をアピールしたいですね。
増田 今年度内に汚染水処理のメドをつけたいと思いますが、「燃料デブリ」回収に至る道のりは人類未知であり、5年後、10年後の進捗状況を見通せるものではありません。一方、作業員の中継基地になっているJヴィレッジは福島県による2019年からの営業再開に向け、早期復旧に取り組んでいきます。緑の天然芝ピッチが蘇り、ゲームの歓声に沸く光景は、浜通り復興の節目になると思います。また、現在2Fで勤務する廃炉推進カンパニーは、10月中に1Fの新事務棟に全面的に移転します。現場と密着し、迅速な対応が可能になります。年度内に大型の休憩所ができるとともに、作業員の皆さんに温かい食事(1日3千食)を提供する給食センターもできます。長く険しい1Fの現場を支えるインフラが整ってきました。
――小渕優子経産相が、女性閣僚としては初めて1Fを視察しましたね。
増田 免震重要棟内で当社職員、協力会社と作業員を称えるだけでなく、皆を支えるご家族にも感謝し、難しい廃炉作業に尽くす皆さんを支える環境を整えていきたいと、小渕大臣から心温まる訓示をいただきました。現場をご案内する途中で、「『月刊MVP』の協力企業や作業員に、私が感謝状を出してもいかほどのものでもありません。もし、小渕大臣や国の偉い方が、彼らを褒め称えて、労をねぎらっていただけたら、どんなに喜ぶことでしょう。1Fは世界のどこにもない現場です。それでも6千人の皆さんが、ここを選んで働いてくれているのです」とお願い申し上げました。1Fの廃炉は、今後40年続く国家プロジェクトです。作業に携わる全ての皆さんの安全を守り、これを最後までやり遂げるのは我々東電の責務ですが、景気がよくなり人が集まらなくなったら作業は止まります。1Fで働く皆さんがプライドを持って、継続して働いてもらえる職場にしたいと思います。
――廃炉作業に尽くした人たちを、国家が顕彰する制度を作るべきですね。
増田 現場の躓(つまず)きを槍玉に挙げるだけでなく現場の苦労に光を当て、作業員を励ましてもらえたら嬉しいですね。