編集後記

2013年6月号 連載
by 宮

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桜が散った昼下がり、4月1日に警察の検問が解かれた浪江町を訪ねる。請戸(うけど)の漁師町(約600軒)は跡形もなく、ガレキを片付けた荒れ野に漁船やクルマの残骸が転がっていた。

震災直後、中心地が原発10キロ圏の浪江町は全町避難となり、住民はガレキの下の肉親を助けに行けなくなった(県警が遺体捜索を開始したのは4週間後)。遺族の悔恨は想像に余りある。昨夏、犠牲者164人の遺族333人が慰謝料約53億円の支払いを東電に求めて、政府の原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に集団申し立てを行ったのも頷ける。

「非業の浜」の奇跡は請戸小学校の子どもたちが全員無事だったこと。廃墟となった校舎の窓から福島第1原発の排気筒や作業クレーンがはっきり見えた。

今年になって馬場有(たもつ)浪江町長は、町が被害回復の先頭に立つ腹を固めた。全国初の賠償請求支援条例を制定し、早稲田大学法科大学院の助っ人により弁護団を立ちあげた。東電が支払う精神的損害賠償(月額10万円)の増額を求め、町が町民の代理人となってADRに集団申し立てを行う準備を開始した。

そもそも国の指針は、精神的苦痛に対する賠償額につき自賠責の保険金を参考にしており、実際の被害が交通事故にはみられない広範・深刻なものであることを全く無視している。町長は「町全体の除染が終わるまで月額35万円に引き上げさせる」と町民に呼びかけ、わずか1カ月で全世帯の半数の4928世帯(約1万人)の同意を得た。5月末にもADRに申し立て、東電が和解に応じない場合は訴訟を起こす構えだ。ボランティアで浪江町の「法律顧問」を買って出た大学人は、5月25日に「いま早稲田は何ができるのか」と題するシンポジウムをキャンパス内で開く(入場無料)。馬場町長が活動報告し、浪江町民との懇親会もある。

   

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