3・11以降、「原発事故」「4年以内70%」「震度7」などの問題が起こるたびに科学コミュニケーションの難しさを痛感した。
2012年10月号
DEEP [特別寄稿]
by 纐纈 一起(東京大学地震研究所教授[理学博士])
津波に襲われた福島第一原発(東京電力による)
3・11以後、メディアに関わるいろいろなことがあり、それらに翻弄される1年半を過ごしてきた。おおよそのことは9月2日付の毎日新聞の特集記事にもある通りだが、改めて振り返り、この翻弄された日々を、3・11への悔恨とともに書いてみたい。
3・11の東日本大震災を引き起こしたおおもとの自然現象は、東北地方太平洋沖地震(以下、東北地震と略記)と呼ばれている。地震とは「地面が揺れること」と捉えている人も多いと思うが、実際には、震源で起こっている、このおおもとの自然現象が「地震」で、揺れや津波は「地震」が原因となって起きる結果の現象である。
私を含めた地震学者はこの地震を事前に想定することはできなかった。つまり、震災の言い訳としてではなく、真の意味で想定外だったのである。揺れや津波の予測、あるいはそれらによる被害の予測は、おおもとの地震の想定に基づいて行われる。したがって、地震が想定外だったので、被害の予測はその地震の影響を含んでいない誤ったものになってしまっていたのである。
地震が想定外になってしまったのは、地震学の実力不足としか言いようがない。地震は断層において起こる巨大な岩盤の破壊現象である。こうした現象は物理学において「複雑系」と呼ばれ、それを理論的に研究することがそもそもむずかしい。しかも、巨大な岩盤であるから、地震は実大の実験をすることが不可能である。小さな岩石片を用いた実験は行われるが、スケール効果があるのでそれが現実の地震の再現になっているかどうかは必ずしも明らかになっていない。理論も実験も難しいとなると、過去に起きた地震のことを詳しく調べるしか、基本的には研究の方法がない。ところが、大きな地震は数百年から数千年に一度しか起きないので、データの蓄積が著しく遅い。
これらを「地震学の三重苦」と私は呼んでいる。この三重苦のために地震を予測する精度、特に東北地震のような、それまで未経験だったタイプの地震に対する予測精度が著しく低い。これが地震学の現状の実力であり、その結果が今回の想定外だったのである。振り返ってみれば、この地震学の実力(限界と言ってもいいだろう)をわれわれ地震学者は内心で不安に思いながら、3・11以前にあえて発言するということをあまりしてこなかった。もし、発言していたら、東日本大震災も別な様相を呈していたかも知れない。
昨年一年間はこうした悔恨に打ちひしがれ、頼まれたら地震学の限界を伝える講演をする以外は、東北地震の研究に没頭する日々であった。また、地震学の限界を踏まえれば、原子力発電所の耐震安全性を科学的に評価することは不可能と思い至り、原子力安全・保安院のある意見聴取会の主査を辞任した(この間の事情は昨年8月13日付毎日新聞のインタビュー記事に詳しい)。それ以前の私は、限界の不安があるにしろ、科学的に正しい耐震安全性の確保をめざして、精一杯努力していたつもりだった。
たとえば、2009年6月に福島第一原発の耐震安全性に関する意見聴取が行われた際には、869年の貞観(じようがん)の地震を考慮するべきではないかという、当時としては非常に先進的な意見が、ある委員から出された。この重要な意見が保安院に取り上げられるように、主査として随分努力し、結果として取り上げられ、貞観の地震に相当する揺れの意見聴取が行われたのである。ところが、意見聴取のスケジュールを決める保安院事務局は他の原発の揺れの意見聴取を優先して、なかなか貞観の地震に相当する津波の意見聴取は行われず、行われないまま3・11を迎えてしまったのである。
つまり、津波の意見聴取が行われなかったのは専ら保安院事務局の責任である。ところが、あるルポライター2名が、先進的な意見を述べた委員と私を含む15名を、彼らの著書を証拠として刑事告発し、その告発状を不定期刊行の雑誌に掲載した。委員と私は貞観の地震が取り上げられるよう保安院を説得したのに、委員への告発理由は「津波の危険を知りながら保安院や東電を説得できず」という不当なものであった。これが、私がメディアに翻弄される最初のできごとである。
年が明けて今年に入ると、翻弄のされ方が暴風のようになってきた。
まず1月下旬に、ある全国紙の朝刊一面に、「4年以内70%」の記事が掲載された。この記事の反響は凄まじく、記事に明記された情報源が私の勤務先、東京大学地震研究所の教授で、ある研究プロジェクトの代表者だったため、当時、私が室長代理を兼務していた地震研の広報アウトリーチ室(以下、広報室と略記)には、米ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナル、英フィナンシャル・タイムズといった欧米の著名メディアを含む、国内外の多数のメディアから問い合わせが殺到した。
「4年以内70%」という数字は、プロジェクト代表者の研究グループが、東北地震の影響で首都圏に発生している誘発地震のうち、マグニチュード7程度の地震に対して計算した発生確率である。ところが、誘発地震の数は東北地震から時間が経過するにつれ、急速に少なくなっていくから、この確率も急速に小さくなるはずである。関係者の話から、4年以内70%は昨年9月の値であることがわかった。そうなるとその値が、もっと小さくなっているべき今年1月の新聞記事に出たということは、ひどくミスリードな状態になっているということで、当時、ともに地震研の広報室を担っていた大木聖子助教と私は意見が一致した。実際、同じ研究グループがのちに試算した、今年1月時点での確率は4年以内25%しかなかったのである。
大木助教はミスリードを解消すべく、研究所のホームページに確率の数字を説明する特設ページを設けるなどの努力を行った。ページの内容は二度にわたって所長に報告し、指示を受けている。ところが、その内容に対して2月の教授会で大幅な修正が求められた上、その経緯が週刊誌で報道されたことなどにより、大木助教と私は5月に広報室を一方的に解任されることになる。これに対して、ミスリードな確率をメディアに情報提供して大騒動を起こした側には何の処分もなかった。
私は先の教授が代表者をしている研究プロジェクトに参加しており、首都直下地震の震度予測地図の作成をする、確率計算のグループとは別の研究グループを率いていた。今年2月はプロジェクトの終了直前にあたるので地図はほぼ完成しており、中央防災会議の予測にはない震度7の領域が新たに出現する結果になっていた。しかし、この結果を安易に公表することは4年以内70%騒動の火に油をそそぐことになるので、広報室と相談しながら公表の仕方を慎重に模索していた。
こうした努力を無視するように研究代表者は、震度に関する情報についてもメディアへのリークを繰り返し、最後は確率の時と同じ全国紙の朝刊一面にスクープ記事が掲載され、文科大臣が定例会見でそれに言及する事態にいたって万事休すとなった。プロジェクトの受託元である文科省から強い要請があり、大騒動の渦中であることを考慮せず、通常の方法で公表することになってしまったのである。
それでも、3・11の前に作られた全国地震動予測地図が地震の想定外により、福島県などにとって危険な「安全情報」になっていた轍は踏まない覚悟で、3月末の記者発表には臨んだつもりである。記者たちは読者が望むからなどの理由を挙げて、予測震度が7になった地域の具体的な地名を明らかにすることを迫った。しかし、公表した震度予測地図は、数百通りも考えられる首都直下地震の発生シナリオの中の、たった2例に対するものに過ぎない。今回、震度7とならなかった地域でも、数百通りの中のどれかのシナリオでは必ず7になってしまうだろう。したがって、地名を明らかにしてそれらが独り歩きすると、そのほかの地域にとっては危険な「安全情報」になってしまうと縷々説明したが、記者たちには最後まで受け入れられず、自分たちで地名を照合して記事を書いていた。
ここ数年は広報室を兼務していたので、メディアのことはそれなりに知っていたつもりである。ところがメディアの方が何枚も上手で、それに乗ずる研究者の存在もあって、結局、私や大木助教だけが翻弄されてしまうという1年半であった。その結果、危険な「安全情報」が全国紙、全国放送で流れてしまうという事態にもなっている。科学コミュニケーション、あるいはリスクコミュニケーションというものを深く考える必要性を痛感している。