[特別対談]黒川 清(国会事故調委員長) vs 荒井 聰(民主党原発事故収束対策PT座長)
2012年9月号
BUSINESS [特別対談]
by 司会/本誌 宮嶋巌、構成/本誌 和田紀央
黒川 清(国会事故調委員長) vs 荒井 聰(民主党原発事故収束対策PT座長)
写真/平尾秀明
福島原発事故は終わっていない。国会事故調の衣鉢を継ぐ第三者機関が不可欠だ!
――7月5日に衆参両院議長に報告書を出した後、被災自治体を回っていますね。
黒川 今年1月に双葉町の「仮の役場」のある埼玉県加須(かぞ)市で1回目のタウンミーティングを開きました。政府の役人が何しに来たのかと身構える皆さんに「我々は国民の代表である国会の下で、政府からも事業者からも独立した調査委員会です。『国民による、国民のための調査』にやって来ました」と、誤解を解くことから調査はスタートしました。7月6日で委員は任を解かれましたので、もはや私人で交通費も宿泊費も出ませんが、ご協力いただいた12市町村の首長さんにご挨拶に伺っています。
――調査活動で胸の張れるところは?
黒川 6カ月という短期間で、ゼロから体制を組み、必要なスタッフを自分たちで集めるという苦労がありましたが、委員、協力調査員、スタッフの高い志と精力的な調査と関係先の協力を得て、私たちに委託された事項を報告書に記すことができたと自負しています。被災者の視点で避難の実態を1万人以上のアンケート調査で明らかにしたこと、事故の直接的原因について、地震による損傷の可能性を否定できないと結論づけたことなど、是非、報告書を読んでください。
――荒井さんは国会事故調の創設を主張した生みの親の一人。どう評価しますか。
荒井 日本政府が自国民と世界から信頼を取り戻すには、政府と東京電力という、事故の当事者から完全に独立した調査機関で事故原因を究明しなければなりません。我々のプロジェクトチーム(PT)は直ちに国会の下に調査機関を創れと提案したが様々な抵抗にあい、国会事故調の発足は事故から9カ月後の昨年12月になりました。
黒川 官邸や規制当局の危機管理対応を検証するのは立法府の役目です。アメリカでは議会による独立した調査・提言活動が日常的に行われています。強い調査権限を持つ第三者機関が発足すると聞き、日本の国会も漸く目覚めたかなと(笑)。
荒井 米国は1979年のスリーマイル島事故(TMI)を教訓として、原子力政策と規制当局を大改編します。そのベースになったのが、著名なケムニーレポートです。時のカーター大統領はTMIの2週間後に、ダートマス大のケムニー学長(数学者)に調査を依頼し、6カ月でレポートをまとめるよう求めました。TMIの調査報告は、主なものだけで6本あるのですが、ケムニーの評価がダントツです。若き日のカーターは米海軍の原子力潜水艦の設計技師として、カナダでメルトダウン事故を経験しました。結婚前に被曝した大統領は子供が生まれる時に非常に心配したそうです。その原子力危機対応は見事なものでした。
黒川レポートは、政府の事故調が踏み込めない部分にメスを入れ、事故の根源的な原因に迫っています。特に、歴代の規制当局と東電の関係においては、規制する立場とされる立場の「逆転現象」が起き、規制当局が電力事業者の※「規制の虜」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと結論づけた。独立した第三者機関でなければ書けない歯切れのよさです。ケムニーレポートに匹敵する、後世に残るレベルだと思いますね。
※規制の虜(Regulatory Capture)=規制機関が被規制機関(事業者)に実質的に支配されてしまい、規制機関の許認可が骨抜きに成る事態
――委員の中に反原発論者もいましたが、深刻な意見対立は起こりませんでしたか。
黒川 清(国会事故調委員長)
くろかわ・きよし 1936年生まれ。元日本学術会議会長。東大名誉教授。東大医学部卒業。69年に渡米。79年UCLA教授、東大教授、東海大医学部長、内閣特別顧問、WHOコミッショナーなどを歴任。
写真/平尾秀明
黒川 10人の委員はそれぞれ面識がなく、主義主張も異なります。最初のうちは持論が違うので、両論併記でないと報告書を書けないと言う人もいましたが、私は目の前にケムニーレポートを広げて「私たち10人はケムニーの11人と同じです。ここは主義主張の場ではない」と説きました。皆のベクトルを合わせるのに、そう時間はかかりませんでした。また、20回の委員会は全て公開し、第1回を除き、全て英語の同時通訳を入れ、世界に向けて配信しました。海外からは調査のプロセスの公開性や透明性、独立性を高く評価してもらいました。
荒井 事故原因を「明らかな人災」と断ずるのに反対意見はありませんでしたか。
黒川 その点は「事故は防げなかったのか?」の章で詳述しました。3・11が起きた段階で、福島第一原発は地震にも津波にも耐えられない状態でした。世界の安全に対する動向を知りながら、それらに目を向けず、シビアアクシデント対策は先送りされました。東電と規制当局はリスクを認識し、何回も対策を打つ機会があったのに安全対策を取らなかった。それが事故の根源的な原因であることは明白であり、備えを怠らなかったら、今回のような事故は防げたのです。報告書では、いやと言うほど資料や映像などの事実を積み重ねて論証しており、全く異論なしでした。
――黒川事故調は七つの提言を掲げ、衆参両院に、その実現を求めています。
荒井 約15万人の避難住民が、事故から17カ月たっても先の見えない、心身ともに苦難の生活を強いられています。被災住民の目から見ると、政府の対応は縦割り省庁別の通常業務的施策でしかなく、いまだに整合性のある統合的な施策が打ち出されていません。日本政府が自国民と世界から失った信用を取り戻すには、国会主導で黒川提言の実施計画を策定することが急務です。この趣旨に賛同する議員は、我々PTのメンバー以外にもたくさんいます。8月末にも、提言実現に向けた超党派の国会議員の会を立ち上げたいと思います。
黒川 私は、この事故報告が出たことで事故が過去のものとされてしまうことを危惧しています。破損した原子炉の現状は詳しくわかっていません。今後の地震や台風などの自然災害に、果たして耐えられるのか。2004年にマグニチュード(M)9.1の大地震を記録したスマトラ島沖では、翌年にM8.6、今年もM8.6という大地震が起きています。同じことが日本で起こらない保証はない。さらに、今後の環境汚染もどこまで防止できるのか明確ではなく、廃炉の道筋や使用済み核燃料問題も、誰にも予想がつきません。
荒井 黒川事故調は、今後も国会に、行政府や電力事業者から独立した、民間中心の専門家からなる第三者機関を設置することを強く求めています。今なお続いているこの事故を、引き続き厳しく監視・検証するための後継調査機関を作らなければ元の木阿弥というものです。
荒井 聰(民主党原発事故収束対策PT座長)
あらい・さとし 1946年生まれ。東大農学部卒業。農林水産省を経て、93年衆院初当選(現在5期目)。菅内閣において国家戦略・経済財政担当大臣。原発再稼働に異議を唱え、注目を集める。
写真/平尾秀明
黒川 事故原因は未解明な部分が残っており、その検証を政府や東電に任せたら真相究明は永遠に不可能になります。
アメリカには大統領や上下院が依頼した独立した調査委員会を課題別に立ち上げる仕組みがあり、それぞれ時代のベストサイエンスに基づくレポートを提出し、政策プロセスに貢献しています。今春、米議会の要請を受けた「米科学諮問委員会」は、独自の福島原発事故調査委員会を設立し、2年間かけて事故原因や日本の原子力行政を調査し、米国の原子力政策に役立てることにしました。一方、日本の政策プロセスは、入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちの官僚任せ。前例踏襲と組織の利益を守ることが身に染み付いた規制当局の幹部は、国際的な安全基準に背を向け、国民の安全を守るには程遠いレベルでした。
荒井 衆参両院の全会一致で誕生した黒川事故調の後継機関をつくるのは、国会議員の責務ですが、そこにも抵抗があります。
――みんなの党が黒川委員長を参院予算委員会に招致しようとしたが、民自両党の反対で実現できませんでした。
荒井 民主党は消費増税法案で頭がいっぱい。一党支配のもとで原発を推進してきた自民党は過去の失政を暴かれたくないのでしょう(笑)。今回の大事故に、日本は今後どう対応し、どう変わっていくのか。世界が注視しているのに、何とも情けない話です。私が委員長を務める内閣委員会に黒川さんと政府事故調の畑村(洋太郎)委員長、東電の下河辺(和彦)会長をお招きして、それぞれの報告書の内容について、じっくりうかがいたいと思います。
黒川 委員長に就任した頃から、「どれほど技術の進歩があっても、現実に目を向け、自然の前に謙虚でなければならない」という言葉が、海外の友人からよく届きました。スペースシャトル事故の調査に参加し、独自の視点で事故の根本的原因を分析したリチャード・ファインマン(ノーベル物理学賞受賞)が調査報告書に残した言葉です。脆弱な福島原発は言うまでもなく、安全基準が整っていない原発への対策は時間との競争です。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、電力事業者、社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本が変わり始める第一歩になることを期待しています。