NHKよ、戦理と志を持て

トヨタから日本放送協会に飛び込み5年7カ月。退任して語る熱きNHK論。

2012年8月号 BUSINESS [特別寄稿]
by 金田新(前NHK専務理事・放送総局長)

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4月24日、退任しました。自分の人生はこの歳月がなければ完結しなかったと感じています。やがて三瀬川をのぞみ夢うつつのうちに、この間の出会いを何度も反芻することでしょう。

NHK理事のお話をお受けしたのは6年前の春、トヨタ専務の時でした。NHKは受信料収入が大幅に減少し、民営化、波削減、人員削減、不祥事、そして「受信料支払い義務化と値下げ」など、かつてない厳しい環境にありました。

単純にNHKの番組が好きで、番組を作っている人材が失われるとの危機感から、見境もなく飛び込みましたが、友人で賛成してくれた人はほとんどいませんでした。「理事で行っても何もできない」など厳しく冷めた見方でした。ただ、故郷の愛知県の山奥でのNHKブランドは絶大で、親戚一同が「よかった」「よかった」と喜んでくれました。父は田舎教師で親戚にも教師が多く、NHKの仕事をその種の仕事とみたのだと思います。

「ノーマン」制作を提案

番組を作れるかもしれないという幻想が、一線を飛び越えるのを手助けしたところもあります。90年代カナダ在勤の末期、NHKとカナダの公共放送CBCの共同制作で長野生まれのカナダ人外交官「ハーバート・ノーマン」の番組を制作し、長野オリンピックの年に日加で放送したいという提案をしました。

『クリオの顔』の著作もある歴史家ノーマンは、カナダがスエズ動乱の際にPKO(平和維持活動)を始めた時の駐エジプト大使です。当時の外相ピアソンはノーベル平和賞をもらっていますが、ノーマンとナセルの人間関係の貢献は大きかったと思う。NHKには断られましたが、トヨタの寄付によってカナダフィルムボードが制作し、CBCとNHKで放送されました。

その延長で、現在の日本の置かれた状況から「NHKでぜひ番組に」と考えていた腹案がいくつもありました。入局後、調査報道から古典芸能まで番組の提案をしましたが、連戦連敗に終わっています。いつか一つでも実現されればと念じています。

「公共放送」について意識したのはカナダ在勤中、CBCの放送に触れたのがきっかけです。カナダはアメリカと言葉が同じで、全員がアメリカの放送を見ています。しかし、「国民皆保険」「銃規制」「メートル法」など社会制度のベースにある道徳感情が米国とは大きく異なります。

米国の最親密国ながらキューバと国交があり、イラクへの出兵もしていません。カナダは「Five Eyes」(旧大英帝国圏の米英加豪ニュージーランドの5カ国)の一員として、高度のインテリジェンス情報にアクセスができ、その上で独自の高い国家ブランドを維持しています。

独自の社会を営むためにCBCが果たしている役割に強い印象を受けました。90年代初期、消費税導入や北米自由貿易協定(NAFTA)など国民経済の設計を大きく変える苦しみのなかにある国民を励ますCBCの番組にも、公共放送としてみるべきものがありました。

調査報道の看板番組に「The Fifth Estate」(第五身分)というものがあります。伝統的には「第四身分」がジャーナリズムを意味します。なぜThe Fifth Estateなのかここでは詳述しませんが、志がある番組名です。番組ブランドを大切にし、心を込めて名付けている。アメリカという大国の隣にあって、経済的には一体不離ながら、独自の生き方、独自の情報共有空間を求めてやまない国民的なコンセンサスがCBC設計の根幹にあるというのが私の結論でした。

翻って、日本にこういうコンセンサスがあるかといえばありません。公共放送についての情報共有、理解が進んでおらず、コンセンサスもないと言わざるをえません。民度に帰す問題ですが、一義的な責任はNHKが負うべきだと思います。

NHKは公共放送として世界でも最大規模にあり、番組制作能力も世界的に高い評価を受けています。とりわけ、東日本大震災時のNHKの放送は、もちろん「まだまだですが」、世界中の放送のプロたちをびっくりさせ、賞賛が寄せられています。Japan Passing、Japan Nothingと言われる昨今の日本で、そういう競争力をもつ分野がそうたくさんあるとは思えません。

ビジョンなき縮小均衡

しっかり投資し、人をさらに育てればNHKブランド(したがって日本ブランド)は世界で独自の地歩を固められる可能性があります。

輸出工業製品やODA(政府開発援助)、JICA(国際協力機構)だけで国のブランドを維持できた時代は終わりを告げつつあります。これからは言葉で、論理、倫理、情理で、文化で、それを担う人で日本ブランドをさらに強化してゆかなくてはなりません。また米国、中国の周縁で、世界と相互依存の関係の中で生きてゆく日本としては、更なる自然災害が避けられない状況を考えてもNHKの果たすべき役割は大きくなっています。

しかしこれまでは、国家ブランド形成や国際競争の視点がもてず、日本に、したがって公共放送という制度に高い期待をもてなかったがゆえにビジョンがもてず、日本に充溢する悲観的な時代の気分にどっぷりつかって、ひたすら「10%還元」というデフレ・縮小均衡の議論に終始してしまったというのが、この5年のNHK経営の図式だと思います。戦理不足でした。戦おうという意思がなかった。しかし、その議論はもう断ち切ったはずです。新たな公共放送を目指して投資行動に出る局面だと思います。

私は番組制作が再度多様化し、未来的になる新しい段階に来ている、いわば「カンブリア紀」を迎えていると言っていました。NHKが先鞭をつけて放送全体の多様性を広げ、多様に進化する技術を前提に新しい放送番組を提案してゆく、新しい日本の自画像を提示し日本を元気にしてゆく、それらがNHKに求められていることだと思います。「世界に誇れるNHK」を、それにむかって「戦うNHK」を視聴者は求めています。

伝える(inform)、育む(educate)、楽しませる(entertain)、励ます(encourage)、まとめる(unite)という公共放送の基本機能を研ぎすます人間投資をすれば、そういう経営意思をもてば、期待に応えられます。NHKの皆さんに大いに期待しています。

これからは一視聴者として、a Friend of NHKとして、応援していきます。

著者プロフィール
金田新

金田新(かなだ・しん)

前NHK専務理事・放送総局長

1948年生まれ、名古屋大学経済学部卒、トヨタ自動車入社、ハーバード大学MBA取得、広報部部長、専務を経て06年にNHK理事。現在はトヨタ部品東京共販会長

   

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