「原発20キロ圏」小高区の三重苦

沿海部は見渡す限り泥の海。市街地は上下水道が不通。山沿いの村は線量が高すぎる。

2012年8月号 DEEP [被災地は今]
by 現地取材班/宮嶋巌 鈴木浩

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6月28日、警戒区域が解除された南相馬市の南部、小高区に入る。4月まで立ち入りが禁じられていた原発20㌔圏の田畑には夏草が生い茂り、ガードレールに大破したクルマが乗り上げ、1階が柱だけになった民家が点在する。時間が止まったようだ。

78人の犠牲者を出した海浜の村上、塚原の集落は跡形もなく、防波堤を乗り越えた津波は、小高川を3キロも駆け上がった。

泥の海に沈む水田地帯

さらに南下すると、津波が防波堤を破壊し、海中にあった無数の消波ブロックを内陸部に押し流した異様な光景に出くわす。その先は見渡す限り泥の海だ。彼方に浮かぶ民家の哀れな姿に、思わず手を合わせる。この井田川、浦尻の集落では41人が亡くなった。

南相馬市

小高区地域振興課長の村田博氏は「井田川浦(180ha)の干拓により豊かな水田地帯が生まれたのは80年も昔のことです。もともと海抜ゼロメートルの干拓地が地震で地盤沈下し、排水しても雨が降ると水浸しになります」と言う。

塚原地区出身の村田氏自身も津波の被災者で、母親と伯父、伯母を亡くし、自宅は全壊だ。

南端の浦尻地区は原発から約10キロ。今も立ち入り禁止の浪江町と隣接しているが、海沿いの放射線量は相対的に低く、毎時0.3マイクロシーベルト(μSv)だった。

常磐線小高駅を起点に広がる中心街は倒壊家屋が目につく。「扇状地に開けた市街は地盤がゆるく、約1千世帯の2割が危険な状態です」(村田課長)。改めてこの地の地震被害の甚大さを思い知る。しかも、震災から1年4カ月近くが経つのに倒壊家屋が放置され、残骸がメーンストリートにはみ出している。

南相馬市の旧警戒区域内の震災がれきは18~19万トン。このうち被災家屋の廃材など7万4千トンを焼却処分する方針だが、環境省と市と地元住民の間で仮設焼却炉の建設地を巡る協議が難航している。小高区内の生活ゴミや撤去が進む倒壊家屋の廃材は旧警戒区域外に持ち出せないため、がれきの処理は遅々として進まない。「家の片づけをしてもゴミの回収に来ないから庭に積んでおくほかない」という住民の嘆きを聞いた。

井田川地区は見渡す限り泥の海(原発11キロ地点、6月28日)

時間が止まったメーンストリート(原発15キロ地点、6月28日)

車道にはみ出した倒壊民家(小高区駅前商店街、6月28日)

国道6号線上の浪江町との境界に設けられた警察の検問(原発10キロ地点、5月26日)

小高区に避難指示が出たのは震災翌日の夜だった。着の身着のまま避難した住民は全国に散らばり、6月11日現在、小高区住民1万2839人のうち自宅生活者はおらず、南相馬市内に5523人(市内居住率43%)、残りの人は故郷を離れて暮らしている。小高区の小学校は4人に1人しか市内に残っていない。

がれきも除染も手つかず

約1年ぶりに小高区への立ち入りが自由になったが自宅に泊まることはできない。電気は通じても上下水道の本格復旧は2年先のハナシであり、我が家に帰るのにペットボトル持参でトイレは公共施設の仮設を借りるほかない。

南相馬市議会議員の志賀稔宗氏(上)と小高区地域振興課長の村田博氏

6月末にファミリーマートが旧警戒区域内で初めて営業を再開したが、移動式店舗で週2回3時間オープンするだけだ。小高区の商店街で営業再開した小売店はほとんど皆無。地元製造業の県外移転が相次いでいる。

南相馬市議会議員の志賀稔宗(としむね)氏(公明党)は「警戒区域解除は早すぎた」と批判する。「小高区は原発に近く、何が起こるかわからない。年間積算線量が20m(ミリ)Sv以下の避難指示解除準備区域になっても安全と健康の保障はない」と言う。小高区の山沿いで家畜の繁殖農家を営む志賀氏は、約30頭の母牛と子牛を涙ながらに餓死させた。警戒区域から牛を搬出することが許されなかったからだ。

志賀氏が暮らす川房地区は小高区で最も線量が高く、居住制限区域に指定されている。ちなみに志賀氏の自宅の庭先は5~10μSv、屋内でも3μSvを示す。「がれき処理もインフラ復旧も手つかずなのに帰る準備をさせるのは無責任だ。仮置き場が決まらないと除染は進まない。自宅に帰れると考えている川房の住民はいませんよ」(志賀氏)。

2006年に小高町は原町市と鹿島町と合併して南相馬市になったが、市議会議員定数24のうち小高区出身議員は志賀氏含め5人しかいない。小高区には合併で市政に声が届きにくくなったといううらみがある。津波、地震、放射能の三重苦に喘ぐ避難住民は不安を募らせている。小高町時代の元幹部職員らが「小高の再生を訴える会」をつくり、国(福島復興局)に早期復旧と除染促進を求め、直談判した。憂憤の叫びだ。

湖と化した井戸川地区に設けられた排水ポンプ(原発12キロ地点、5月26日)

海中から内陸部に押し流された消波ブロックの群(原発11キロ地点、6月28日)

※写真は本誌・宮嶋

   

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