編集者の声・某月風紋

2012年5月号 連載
by 宮

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浜通りから『福島の祈りと言葉──あれから1年半径六〇キロに生きて』という冊子が届く。北洋舎クリーニング店主、高橋美加子さんの「南相馬からの便り」がズシリと響く。〈最近、私たちの仲間の避難先での振る舞いに対する苦言に心を痛めています。時間が経ち、もう帰ることができないのではないかという現実に直面した時、私たちは物事を考える力を失いました。あるのは怒りだけ。補償金はそれをなだめるために渡されたお金。ある意味、見たくもないお金という一面をもっています。だから使っちゃえと思う。敵(かたき)から「食えないんだろ」と渡されるお金。そのお金を建設的に使えると思いますか?〉

春浅き南相馬を再訪する。全域に退避命令が出た小高区で酪農を営む渡部哲雄さん(80)は娘の嫁ぎ先(福岡市)に避難し、息子夫妻は東京・世田谷で暮らす大学生の孫の下宿に転がり込んだ。あれから1年が経ち、3世代が同じ屋根の下で暮らした日々は戻らない。チリヂリになった小高住民は約1万4千人。「もっと怒りを露わにし、そのエネルギーを故郷再生に向けたい」と、渡部さんたちは理不尽な現実への怒りを書きとめた数冊のノートを郵送で回し、離散者の赤裸々な声を集めた。それが「リレー震災回想記」として新聞、テレビに紹介され、話題になった。

その投稿者有志が南相馬市議会に「帰還のための陳情書」を提出。「除染」「ライフライン復旧」「雇用確保」などの要望に加え、「今までの様な国・県の下請け機関的な市政の体質では、市民本位の復興はできない。市民に寄り添った姿勢で、災害を逆手に取った図太さを持って取り組んでほしい」と訴えた。「故郷は子孫のもの」と渡部翁。その気骨は見あげたものだ。

創刊7年目を迎え、表紙の絵は佐々木美穂子さん(東京藝大大学院在学中)に! 25歳の美宇宙にご期待ください。

   

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