中国経済「未富先老」の壁

昨年末に労働人口比率0.1%減の衝撃。「人口ボーナス」は暗転必至だが、生産性向上へ改革を「再起動」できるか。

2012年3月号 BUSINESS [習近平待つ「人口減」]
by 津上俊哉(津上工作室代表)

  • はてなブックマークに追加

中国にとって今年は習近平氏に政権が委譲され、第18回共産党全国代表大会(18大)も開催される節目の年だ。今後10年間を担う習氏を待ち受ける中国経済は、どのような様相を呈するだろうか。

胡錦涛国家主席、温家宝総理が担った過去10年の経済政策は「功は大だが罪も大」。政権を引き継いだ2002年、12兆元弱に過ぎなかった国内総生産(GDP)が、昨年は47兆元強とほぼ4倍に増加、世界第2位の経済大国になった。リーマン・ショックの衝撃にも「4兆元対策」で果敢に対応、いち早く危機を脱した。先進国の退潮と好対照をなす劇的な回復ぶりに、「後れた国」の劣等感に苛まれてきた中国人は「超大国の復活」に疑いを挟まなくなった。山あり谷ありの10年を「安定第一」で乗り切ってきた功績は大と評すべきだろう。

一方で政権末期の今、官民を問わず名状しがたい「アパシー感」が拡がっている。足元に明るい材料がなく、経済成長の維持に自信を喪失している感じなのだ。

「4兆元対策」の後遺症重く

欧州債務危機による外需減退などもあるが、大きいのは4兆元対策の後遺症だ。昨年10月までの3年間に貸し出しだけで25.2兆元(約308兆円)増加という法外な金融拡張のせいで過剰流動性が発生、不動産価格の爆発的な上昇と物価の騰勢を招いた。昨年初め以来、金融や不動産取引を引き締めると、カネ詰まりにあちこちで“心筋梗塞”が起きかけた。私営輸出企業主の夜逃げや自殺だけではない。4兆元対策で莫大なカネを借りこんだ不動産・都市・インフラ開発系の国有企業の資金繰りも直撃を受けた。借入償還のピークは今年から来るため、借り換えを求めて汲々としている。

昨秋には、昔懐かしい「三角債」(カネ詰まりによる債務不履行の連鎖)問題が再現し、企業マインドが冷え込み、回収確実な取引以外は手を出さない「自衛行動」が拡がった。第4四半期のマネーサプライ(M2)が急落したのを見て、政府の引き締め路線も歯止めがかかった。足元は高率の賃上げで堅調な消費に何とか支えられており、政府は「軟着陸」を宣伝している。

今後、景気下降に歯止めがかからない場合に打つ手があるのか。4兆元投資がピークアウトするなか、景気回復の主戦力だった公共投資が今の水準を維持できなければ、景気にはブレーキ要因として働く。地方財政は重債務で疲弊しているだけでなく、09、10年と地方歳入の4割を占めた土地払い下げ収入も急減、高水準の投資を維持する余力は乏しい。金融機関も過剰貸し出しで自己資本低下に見舞われ、国有企業を中心とした不良(延滞)債権の累増リスクに怯えており、貸し出しのバルブを再度全開することは困難だ。金利もリーマン・ショック後に2%下げたのに引き締め期に1%しか戻せておらず、実質マイナス金利のいま、再引き下げの余地は乏しい。頼れるバッターは中央財政くらいしか残っていない。

胡・温政権の最大の「罪」は、中長期的な視点に立った経済構造改革に力を入れなかったどころか、状況をさらに悪化させてしまったことにある。過去10年の中国経済の最も重要な変化は、経済成長モデルを転換すべき時期に到達したことだ。いずれもヒト――雇用や人口動態に由来する。

中国経済はこの数年で完全雇用を実質的に達成した。90年代初め以降、内陸農村部から沿海部に2億人以上の「農民工」が移動したが、未雇用者のプールは巨大で、汲めども尽きぬ泉のように供給されたから、90年代には「いくら雇っても賃金が上がらない」神話が生まれたものだ。

労働や資本の投入増加は経済成長の最も重要な動力だ。農村に留まれば付加価値の増大に貢献しなかったはずの農民工は、沿海部から見れば労働力の新規投入だ。当時は月給1万円前後でも、実家仕送りで内陸の所得向上、消費拡大に貢献した。

しかし労働力移動はすでにピークアウトした。政府の中西部振興策により最寄りの大都市(内陸省の省都など)でも就職口が増え、さらに都市戸籍をもらえず一生働いても家一軒買えない沿海部農民工の境遇に、「賃金が数割低くても、実家(持ち家)が近く、物価も安い地元大都市への就職のほうがいい」という意識が強まりつつある。

労働力移動が終わり賃金上昇

農村からの労働力移動が終わると賃金が上昇を始める……ここ数年、沿海部の求人難や賃金上昇が顕著なことを考えると、中国経済が次の段階に入ったことは明らかだ。新しい段階で生産性が伸びなければコスト上昇が物価に転嫁され、コストプッシュ・インフレを招来する。日本は昭和40年代にこの綱渡りを経験した。

最近の中国政府は、内需拡大の思惑から賃金上昇を歓迎、奨励する気配すらあり、ベースアップ率は15~20%に及んでいる。問題はこれを上回る生産性向上を達成できるかだが、難題が控えている。

第一は、都市の農民差別や住宅難が沿海都市部の賃金上昇を加速していることだ。都市に流入する農民工に対し、都市戸籍という「紙の発給」だけでなく、住宅、教育、医療、福祉など公共サービスを都市住民並みに提供する必要があるが、地方財政の自主財源強化抜きには実現できない。

第二は、10年近く続いてきた「官製経済」の肥大化傾向である。90年代、政府にカネがなかった頃には「民進国退」(経済民営化推進)を標榜した政府だが、高成長のおかげで懐が豊かになると流れが逆転、「国進民退」と揶揄される現象が始まった。もともと「官」(政府および国有企業)は都市用地と主要産業を独占しており、飛躍的な経済成長がもたらした果実の多くは「民」より「官」の懐に流れ込んだ。

この歪みの上に、強大な許認可権限を持つ政府と特権に護られた国有企業が、経済における比重をますます高めてきたのが過去10年だった。生産性向上には官製経済ではマイナス、と5年ほど前から多くの人が警鐘を鳴らしてきたが、胡・温政権は軌道を修正できなかったどころか、結果的に4兆元の投資でダメ押しをした。工事も資材発注もあらかたが大型国有企業の懐に収まり、急騰した土地の払い下げ収入が地方財政を潤したからだ。

特権のない私営企業は、許認可や銀行融資の獲得で国有企業に劣後するだけでなく、重税の負担にもさらされている。企業家の間で「ひと山当てたら海外移住」が流行していることは、中国人自身が経済の先行きを悲観していることの表れだ。

出生率の実態は日本並みの低さ

長期的な視点から見て、より悪い知らせは人口動態問題だ。「高齢化」は以前から誰もが意識してきたが、いま深刻なのはあまりに急激な「少子化」だ。30年間続けてきた「一人っ子政策」のツケである。

国家人口計画生育委員会(計生委)は長く出生率を1.8としてきたが、現行政策と組織の堅持が自己目的化した同委が「作った数字」の疑いが濃く、10年の国勢調査(普査)結果が昨年公表されて以降、「1.8」に異を唱える研究者が続出している。

第10次5カ年計画(規劃)で見積もられた人口増6257万人に対して実績は4013万人、第11次では5244万人の見積もりに対して2010国勢調査段階で3418万人の増加、いずれも過大見積もりだったことになる。計生委は公式の出生率を発表していないが、研究者の間では「1.4~1.6」との見方が有力だ。日本の1
・39とほぼ変わらない。この傾向は00年頃からずっと続いている疑いが濃いが、世間の関心は高齢者の扶養問題に集中、少子高齢化問題の恐ろしさは未だ分かっていない。

経済学で言う「成長会計」の考え方によれば、労働人口比率の増加は成長を押し上げる効果があるが(人口ボーナス)、労働人口比率の低下は逆に成長を押し下げる効果がある(人口オーナス)。日銀の白川総裁も最近英国で行った講演で、日本の00年代以降の低成長の主因は「世界の経済史に例を見ないような急速な高齢化や人口減少」であり、人口動態の急激な変化に十分に適合できなかったことが成長率の低下や財政の悪化を深刻化させたと指摘している(「デレバレッジと経済成長」日銀HP)。

日本は1950年代末から90年代初めにかけて息の長い人口ボーナス期を経験し、その前期は世界から「奇跡の高度成長」と称賛されたが、実は成長の「前借り」によるところが大きく、我々は後に控える「返済」の重さに思いが至らなかった。中国はその「前車の轍」をぴったり追走している。

中国では80~00年の期間中、従属人口比率低下が一人当たりGDPの増加に2.3ポイント分、成長全体に対する寄与率にして4分の1以上の貢献をしたと推計されている。それが日本そっくりであるのと同様、今後は少子高齢化が中国の経済成長に大きなオーナス効果を及ぼす。いや、中国の少子高齢化は「一人っ子政策」のせいで、日本を凌ぐ勢いで進む。最近中国で「未富先老」という言葉が生まれた。資本集約型産業構造への転換を可能とする「豊かさ」に未だ達しないうちに高齢化が始まってしまう現象のこと。中国を待ち受ける坂は恐らく日本以上に険しいだろう。

ある在野の研究者が低出生率を前提に将来人口を推計したところ、16年には労働人口どころか、総人口も14億人に達せずに純減に転ずるという衝撃的な結果が出た(図参照)。今年1月に中国国家統計局が発表した人口統計によると、11年末、労働人口比率が初めて減少に転じた(74.5%→74.4%)という。誤差の範囲とも言える微減ゆえ、今年はまた増加するかもしれないが、権威ある学者も10年代半ばには労働人口比率がピークアウトすると予想している。中国経済が「人口オーナスの時代」を迎える日は、やはりそう遠くなさそうである。日本と中国の経済発展には、ざっと40年の時差があるのに、労働人口比率の低下だけは、わずか20年の時差なのだ。

先の「成長会計」理論によれば、経済成長は労働と資本(設備、土地等)の投入増、そしてその他要素を引っくるめた「全要素生産性」の向上で説明される。中国が労働と資本の投入増加に期待できないことは、これでご理解いただけるだろう。残る「全要素生産性の向上」の中で、労働生産性の向上が占める比重は小さくない。過去10~20年、中国式の「ノルマ・信賞必罰」労務管理が普及したおかげで、私語ばかりして動かない昔風の工員、店員が中国から消えたことは大きかった。

「太子党なればこそメス」の期待

しかし、「全要素生産性」の含意はもっと広い。改革開放により地域間競争が促進され全国マーケットが成立した(国内FTA)、外資の技術・管理手法の導入やスピルオーバーにより産業の生産性が大幅に向上した、高速道路・高速鉄道、移動通信などの全国体系整備により運輸交通・通信サービスが向上した、金融サービスの発達により資本の調達・運用が容易化した、など「改革開放」の過程で全要素生産性の向上を促した要因は枚挙にいとまないが、これらの生産性向上要因は過去ほど劇的な進展が見込めず、既得権益の抵抗も難題だ。

今後賃金上昇に比肩しうる生産性向上が見られない場合、中国は恐らく継続的な物価上昇圧力にさらされ、名目では依然高めの成長をするものの、実質ではこれまでのような力強い成長ができなくなるシナリオが予想される。少子高齢化の衝撃は、そのうえに襲ってくるのである。

いま、中国で胡・温政権に期待する人はいなくなった。習近平政権の課題を一言で言えば「改革開放の再起動」であり、そこに横たわる様々な既得権益の抵抗を強い危機感で克服できるかどうかが試される。

日本では、習氏を「既得権益を代表する太子党」と見る向きが多いが、太子党と対抗して語られる(共産主義青年)団派だった胡・温政権が状況を悪化させたまま退場しようとしている今、「太子党の習氏だからこそ大胆なメスを入れられるのでは」という祈りにも似た期待感が漂っている。

筆者は1年前に出した本『岐路に立つ中国』で「中国が向こう20、30年の間に、経済規模で米国を抜く日は来ない」という失礼な予想をした。習政権の手で改革開放が再起動され、暗い予想が外れるよう心から願っているが、すべては今秋以降に「レッツ・シー」(お手並み拝見)だ。

著者プロフィール
津上俊哉

津上俊哉

津上工作室代表

1980年東大法卒、通商産業省入省。在中国日本大使館経済部参事官、北西アジア課長などを歴任。著書に『中国台頭』など。

   

  • はてなブックマークに追加