ストレステストを大義名分に、地元自治体に丸投げは許されない。政府自ら条件を示せ!
2012年3月号
POLITICS [特別寄稿]
by 谷岡郁子(民主党参議院議員)
福島県を訪ね子どもたちとふれあう谷岡氏(左)
法律も無い、組織・体制も無い、予算も無く、障害ばかりが立ちはだかる。
これが昨年の3月11日に東京電力福島第一原発事故が起きた時点の日本の姿でした。例えば農地の汚染がわかっていても農林水産省や環境省は法律上、手が出せなかったのです。なにしろ法律にわざわざ「放射性物質は除外する」と書き込まれていました。だから政府には、使える法律やチーム、予算が無いばかりでなく、手枷足枷がはめられていました。
政府が緊急のやり繰りをする一方で、民主党内に「原発事故影響対策プロジェクトチーム」が4月に結成されたのは、事故の展開と影響を予測し、必要な法案、予算、政策提言を行う部門が必要だったからです。皮はあっても中身のない饅頭のような「原子力損害賠償法」を補完するための賠償スキームの立法準備を皮切りに、今日まで与党の原発事故関連政策の中心として機能してきました。荒井聰座長の下、私も事務局スタッフとして、人間活動のあらゆる側面に影響する事故をあらゆる角度から見、全力で働いてきたと思います。
現在野田政権は、ストレステストに合格して地元が合意すれば、全国の原発の再稼働が可能という前提で進んでいるように見えます。しかし、それは違う。
元々、ストレステストについての勉強を最初に始めたのは原事故影響対策PTでした。しかし、これは再稼働の要件として十分ではありません。
にもかかわらず、ストレステストを大義名分として、各電力会社が個別に、定義も曖昧な「地元と合意」なるものに向けて条件交渉で再稼働させることが画策されています。国民の安全に関し、その必要条件の設定を事業者や自治体に丸投げするような消極的な国の姿勢が、事故の背景にありました。政府は自ら、再稼働の条件を明確に示し、具体策を提示するべきなのです。
本来的には、政府ならびに国会に設置された事故調査委員会の報告を受け、その勧告に基づいて日本の原発の新たな安全基準が確立してから、原子力安全・保安院の後継機関としての「原子力規制庁」が審査を行い、再稼働を決定すべきだと考えます。
しかし、それでは電力確保の観点から余りに遅いという意見も理解できます。ならば少なくとも、「炉の安全」に加え、「国民と国土の安全」のための最低条件はクリアーしなければならない。
基本方針とすべきは、たとえ事故が起きるような事態になっても、人々や環境に被害を与えないということであり、これが受け入れられるということです。そのためには、以下の条件が必要です。
第一に、速やかに人々を避難させると同時に自衛隊や消防隊などの対応チームが現地に向かうためには、それぞれに独立のルート、すなわち道路が必要です。しかし、多くの原発には道路が1本しかない。しかも地震の際に土砂崩れに遭いやすい場所に造られています。中には、美浜原発のように、倒壊したら孤立する橋1本のところもあります。まず、2本以上のルートの確保が絶対条件です。
第二に、緊急対応チームが混乱せずに展開できるスペース。福島第一は平坦なのが不幸中の幸いでしたが、険しい起伏の敷地を造成した発電所では建物が密集して、とても緊急車両やチームが展開できる状況ではありません。このままでは、ひとつのコートでバレー、バスケット、ハンドボールの試合を同時展開する以上の混乱になるでしょう。これを造り替える必要があるのです。
以上のふたつの条件は、スピードをもって事故対応を行うための条件です。事故を早い段階で収束させるためには、スピードが不可欠だからです。
第三に、緊急時の国のコミットメントとそれを果たすための準備です。具体的には、簡単に壊れないモニタリングと情報伝達のシステム、及びその運用能力を整備することと、投入できる自衛隊等の部隊が準備できていること。いざ出番という時にモニタリング装置と伝達網が壊れていたのが福島の例でした。最大限の防護も無しに自衛隊に突入を指示するというような暴挙は、二度と繰り返してはなりません。
第四に、現場と指令機能の人間の能力の向上。政府の事故調の中間報告も指摘しているとおり、事故の原因は津波でも、それを拡大させたのは、判断ミス、システムに対する知識の不足や情報伝達の混乱でした。機械が地震等のストレスに耐えることができても、人間サイドの向上、つまりより良い教育、研修が担保されない限り安全は確保できないのです。体系的な知識、技能確保のための体制を確立するには時間が必要ですが、最低限でも、今回明らかになった人間サイドの問題については、再研修、訓練を通じて再発を防ぐ必要があります。
最後に、五つ目の条件として、幅広い利害関係者、つまり国民の了解が必要です。福島の事故で、地元というものが一体どの範囲を指すのかわからなくなりました。どこまで広がるかわからない環境、食品の汚染や、事故直後からの電力不足によって、全国民が福島の事故の影響を受けているのです。その意味では日本列島全域が地元なのです。ごく一部の原子力ムラの影響が及ぶ範囲の地元なるものと条件交渉で折り合いをつけるというようなことで、「再稼働了承」に関してお茶を濁すことは許されないと私は考えます。
事故以来、政府が考える「地元の意見」が関係自治体やその首長のものであり、もっと広げた場合ですら自治会長を中心とした中高年の男性の意見に限られている例に数多く遭遇してきましたが、この従来の発想こそが、再稼働の最大の障害なのです。福島の事故が国民に与えた被害と衝撃の大きさを直視し、事故時における情報公開の失敗と対策の不備を謙虚に認め、真摯に国民との信頼関係の回復に向けて再出発する決意を示さない限り、「再稼働」はあり得ないと私は考えます。