公募増資「インサイダー営業」摘発

原発事故で中断した東電、INPEX、日本板硝子の疑惑の3銘柄に、証券監視委がついにメス。

2011年10月号 BUSINESS

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東電株主が泣くのは二度? 三度?(6月9日の終値が200円を割った際の株価ボード)

Jiji Press

日本の歪んだ株式市場にいよいよメスが入ろうとしている。

証券取引等監視委員会(日本版SEC)は、海外投資家の違法取引を取り締まる「国際取引等調査室」を新設した。昨年の大型公募増資の際、発表前に海外ヘッジファンドなどが空売りを仕掛けて株価が急落する事例が相次ぎ、インサイダー取引や相場操縦が疑われたのが発端。手薄だった海外投資家の監視を強化するため、検察からの出向者、弁護士などに加え、電子メールなどを分析する専門官など約20人が担当するという。

東京市場では公募増資が行われる際、値付け日に向けて計ったように株価が下がっていく“慣例”がある。公募価格を押し下げたうえで投資家はリバウンドで儲け、証券会社は手数料で儲かる仕組みだが、海外投資家の目にはインサイダー取引の温床と映っている。

米国ではありえない。発行価格決定の5営業日前から価格決定日までの間に、空売りを行った投資家に対しては「増資で発行される株式を割り当ててはならない」とする規制(レギュレーションM)が存在する。

「野放し」に業を煮やす

日本にはそうした規制がなく、まさに野放し状態。今さらの感もあるが、世界に見放されつつある東京株式市場の“後進性”に、証券監視委の佐渡賢一委員長は業を煮やす。

「特定の情報を得た特定の者たちだけが、濡れ手に粟で利益を得ている。このいびつな構造を改めるんだ。今さら? 今さらも何もない。自分がいるうち(在任中)に必ずやる」

検事出身で、2007年に委員長に就任して以来、「独立したSEC」を標榜してきた佐渡は並々ならぬ意欲を見せている。調査室の新設で海外勢ににらみを利かせるだけではない。国内に対しても増資をめぐる大掛かりなインサイダー取引の摘発を行おうとしている。これは「一罰百戒」の単なる摘発ではなく、金商法(金融商品取引法)の改正も視野に入れた布石なのである。

摘発の標的はどこか。

佐渡をして「疑惑の銘柄」と言わしめたのは、昨年7月に5900億円、希釈化率55%という大型公募増資を行った国際石油開発帝石(INPEX)、9月に400億円の公募増資をした日本板硝子、そして10月に希釈化率15%以上の増資を行った東京電力の3銘柄である。

とりわけ東電は、従来の資金調達は高格付けを利して社債発行か銀行借り入れが主体であり、公募増資は実に29年ぶり。今もって株式市場では「あの唐突で意味不明の増資は何だったのか」と資金調達そのものに疑問符がつけられている。

東電の増資は昨年9月29日の取引終了後に発表されたが、株価はそれを予見していたかのごとく同月6日あたりから下がり始め、15日には75円も急落している。主幹事証券が払込銀行に事前連絡した21日以降はさらに売り込まれた。増資発表当日も大規模な空売りが行われ、出来高は通常の数倍まで膨れ上がって前日終値比7.8%も値を下げた。

増資情報が事前に漏れていたのではないか――さすがに証券監視委、東京証券取引所も放置できず、調査に乗り出したためメディアも騒ぎ始めた。本誌もその直後の号で「『不意打ち』5千億増資に東京電力株急落」の記事を掲載、異常な値動きに警鐘を鳴らした。

疑われたのは、企業が公募増資を正式決定する前に主幹事会社が大口の機関投資家にそれとなく耳打ちしてどれくらい買えるかを打診する「プレヒアリング」。日本証券業協会の協会ルールでは禁止されており、野村証券はじめ主幹事証券はどこも否定している。しかしルーズな東京市場では事実上尻抜けで、海外で空売りを仕掛ければ自由自在、との関係者の声も聞こえた。

東証は昨年11月、重い腰をあげ、米国のレギュレーションMにならった「増資発表後の空売り規制」を発表した。残るは、疑惑の3銘柄について監視委が捜査を進め、誰がどうやって増資情報を入手し、不正に儲けたかを突き止めること。いわば衆人環視のなかのオープンリーチだった。そこへ降ってわいたように3月の東日本大震災、そして福島原発の炉心溶融事故が発生した。

3銘柄の一つ、東電が国家的災害の中心になったことは監視委にとっても想定外。しばらくはインサイダー摘発どころではなくなった。

「大震災がなければ、もっと早く着手できていたんだが……空売りを仕掛けていたヘッジファンドの人間たちが、放射性物質による首都圏の汚染を恐れて海外へ出てしまい、事情を聴けない状況が続いていた」

監視委幹部がこう漏らすように、捜査対象が公募増資情報を入手し、空売りを仕掛けたヘッジファンドであったことは間違いない。国際取引等調査室を設けたのもそのためだ。

監視委は、情報漏洩者と見られる日本の証券会社から担当社員のパソコンなどを提出させ、電子メールの解析を行っている。銘柄名や増資を意味する隠語を突き止める作業が今も続いている。だが、今さらヘッジファンドの空売りを叩いたところで、興ざめ以外の何ものでもない。監視委の本当の狙いは別のところにある。佐渡によれば、捜査のキモは公募増資などの情報を漏洩する側を取り締まる点にあるという。

野村OB委員退任の意味

実はこの3月、佐渡の決意を裏書きする人事が行われている。監視委の委員で佐渡の右腕だった野村証券OB、熊野祥三が退いたのだ。野村で総合企画室部長、法務部長などを歴任した熊野は、佐渡の信任が厚く「本当に熊野さんには助けてもらった」と今も佐渡が言うほど。08年に野村香港法人の中国人社員によるインサイダー事件が発覚した際、野村本社は強制捜査を免れたばかりか、現地社員の個人的犯罪で幕が引かれたことがあり、野村に“手心”が加えられたのは熊野の存在ゆえかと囁かれた。その熊野が再任されず、SBI証券特別顧問に就任したのだ。

疑惑の3銘柄のうちINPEXと東電は野村が主幹事だった。熊野の退任は同じような批判に監視委がさらされることのないよう、事前に芽を摘んだとの見方もできる。ヘッジファンドによる空売り以上に佐渡が力を入れて徹底捜査を指示しているのが、証券会社による公募増資を餌にした営業だからだ。

「(INPEX、東電の主幹事を)野村が取ったからと言って、野村一社を捜査するわけではない。間違いなく、日本の証券会社は公募増資の情報をもとに、個人投資家に営業をかけている。ヘッジファンドをあげつらう前にそうした悪しき土壌を一掃すべきだと考えている」

耳を疑いたくなる話だが、監視委はすでに、公募増資の情報を聞かされ、空売りを勧められた個人投資家の話を相当数集めている。

現行金商法のインサイダー取引禁止規定では、未公開情報を入手し、利益を得たものは処罰対象となるが、未公開情報を漏らした者、漏らした組織の罪は問われない。今回の捜査を機に、監視委は情報漏洩側にも刑罰を科す法改正を金融庁に進言する用意をしている。(敬称略)

   

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