野田流「竹下政治」の復活

2011年10月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第66回]
by 田勢康弘(政治コラムニスト)

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民主党代表選のの決選投票前に演説する野田首相

Jiji Press

私がまだ若い頃、松下政経塾から依頼を受けて、何回か講師として話をしに行ったことがある。都合、10回は行っただろう。東京駅近くの政経塾の分室のようなところだった。そこで出会った若者たちの多くは政治家になり、大臣になった人もめずらしくない。塾1期生の野田佳彦首相にも会っているはずだが、まったく記憶に残っていないのである。くってかかるような質問をする塾生が多い中で、この人はきっと西郷隆盛のようにどすんと構え、何も言葉を発せずにいたに違いない。千葉の県会議員から日本新党候補者として衆院選に出馬したころから、ずっと西郷のような雰囲気だな、と感じてきた。日本新党を立ち上げた細川護煕元首相が「松下政経塾の評議員だった内田健三(元東海大学教授)先生と私で、政経塾の若い人で『誰が伸びるか』と話した時、『あの寡黙な男がいい』と一致しました。パッと派手なことを言って花火を打ち上げるタイプではない。西郷(隆盛)さんもそうです。深沈重厚は第一等、豪放磊落は第二等、才能をひけらかすのは第三等。非常時のリーダーにはうってつけです」(読売新聞9月4日朝刊)と言っていたので驚いた。野田首相の「千円の床屋」通いは、質素な生活こそ指導者に求められるものという西郷の教えを実行しているのだと私は思っている。

細川氏はテレビ朝日のインタビューで野田氏の「どじょう演説」を「名演説」と絶賛していた。民主党代表選でのこの候補者演説で、第1回投票で迷っていた民主党議員の票がかなり野田氏に流れたことは間違いない。相田みつをの詩で、と話し始めたとき、いささか胡散臭い話になるかな、と思ったが、「どじょうがさ
金魚のまねすることねんだよなあ」と見事に自分をどじょうに重ねてみせた。ことしの流行語大賞になりそうなほど世の中に受けた。それもこれも鳩山由紀夫、菅直人と2代続いた民主党政権の「金魚」ぶり、すなわちポピュリズムにうんざりしていたからである。泥にまみれるどじょうの政治を、という野田氏に世間が喝采したのは当然のことだった。

流れから、これは内閣支持率が高くなるな、と予測できた。読売新聞が65%、朝日53%、毎日56%、共同通信62.8%だった。困ったことである。出来たばかりでまだ何もしていない内閣の支持率など、何の意味があるのか。読売調査による大平内閣以降の内閣発足時支持率の上位は、小泉87%、鳩山75%、細川72%、安倍70%、菅64%。いかに意味がないかわかるであろう。参考までに小さな記事で報道されるならまだしも、みな1面トップなのである。「私はこのルックスですから総理になったとしても人気はでないでしょう。だから解散はしません」という代表選での発言が、逆に人気を呼ぶことになったのである。

初めに高い支持率でスタートした内閣は、大した実績も残さずに消えていくことがこれまであまりにも多かった。高ければ、あとは落ちるしかない。野田内閣はできれば50%以下でスタートしてほしかった。大震災復興、福島原発事故の収束、円高・デフレ不況と財政悪化、これだけの国難ともいうべき難問を抱え、「どじょう」人気ぐらいで乗り越えられるわけがない。すぐに世間は見切りをつけるに違いない。

ただ、野田首相以外の人物ならもっと期待が持てたかといえば、それは違う。だれがやってもうまくはやれない。中でも野田氏はかなりましなリーダーというべきだろう。この人物でうまく行かないとすれば、それは海江田万里氏でも前原誠司氏でも同じことである。国家の指導者たる首相が正しい判断をするために必要なシステムが、この国にはない。まして民主党は政治経験が浅い人が多く、批判能力には長けていても、苦渋の決断をした経験がない。その中では前任の二人の首相のように思いつきでものを言ったりしそうもない野田氏は、かなりましなのではないだろうか。

野田首相の政治家としての振る舞いを見ていると、竹下登的政治家だな、とつくづく思う。雰囲気が小渕恵三元首相に似ているが、小渕氏の政治手法も竹下氏伝来のものである。どこが似ているか。竹下氏が全幅の信頼を置いていたのが大蔵省(現財務省)幹部だった。竹下政治の真骨頂は、常に政治スケジュールを作成して持っているということである。 このカレンダーにもとづいて国会対策も政策決定も、そして外交もジグソーパズルのようにはめ込まれていく。その日程づくりは大半が、大蔵省主計局によって作成されていた。竹下氏は大蔵省に影響力があるといわれていたが、背後には大蔵省という巨大なシンクタンクがいたのである。

財務官僚は副大臣から大臣へとずっと財務省の仕事をしてきた野田氏との間で、かつての竹下氏に対するのと似たような関係を築き上げた。中でも財務次官の勝栄二郎氏との関係はすこぶるいい。勝氏は勝海舟の子孫といううわさも一時あった(本人は否定)。野田首相が西郷なら江戸城無血開城の西郷・勝会談を思い起こさせる。

「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」が竹下政治の真髄である。だから竹下氏はだれかを激しく非難したりしない。悪口をめったに言わない。その上で、気配りをする。それもそれが気配りだとすぐにはわからないような細やかな気配りなのだ。

私にも覚えがある。首相退陣後、話を聞きたいと申し入れたら、帰り際に玄関のたたきまで見送った竹下氏がこう言った。「これからはあなたを担当する秘書は○○にします。毎週土曜日の午前11時から30分、空けておきます」。小さな声でそう言った。それから毎週1回、世田谷区代沢の竹下邸へ通った。

こういう気配りはそのまま小渕氏へ引き継がれている。自民党主流派の価値観のようなものだったが、いつの間にか政界から消えていた。野田政権になってどうやら懐かしい政治に戻ったような印象があるのは、さまざまな意味で竹下政治に似ているからかもしれない。

この気配りは党役員・内閣人事で発揮される。小沢一郎氏と一心同体ともいわれる輿石東氏を幹事長にした。参議院からのあっと驚く起用だが、決して思いつきではなかった。相田みつをの詩の引用も相田みつをファンの輿石氏へのラブコールだった。代表選の前には細川氏の仲介で小沢氏と極秘の会談までしていたのである。この会談で野田氏は、人事しだいでは党内融和は可能だと判断したのだと思う。

野田氏は怒らない。氏に怒られたという話をめったに聞かない。腰を低く、相手の目を見て握手は両手で。謙虚で質素な人柄は、日本中が我慢を強いられているときには、好感を持たれるだろう。が、決断力はそれとは別だ。民主党政権への評価の針が、マイナスからやっとゼロの位置に戻ったばかりなのだ。

著者プロフィール
田勢康弘

田勢康弘(たせ・やすひろ)

政治コラムニスト

早稲田大学卒。日本経済新聞社ワシントン支局長、編集委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任し、2006年3月末に同社を退社。4月から早稲田大学大学院公共経営研究科教授、日本経済新聞客員コラムニスト。

   

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