鉄道事故批判の中国紙に「死刑宣告」

独自報道の自粛通達を無視して噛みついた「新京報」に悪夢の制裁。逆らうメディアに共産党は容赦ない。

2011年10月号 GLOBAL

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「お前たちは北京市政府の管轄下に入った」――。9月2日午後、北京で発行部数第2位を誇る人気大衆紙「新京報」のオフィスに、北京市共産党委員会宣伝部の使者が突然現れ、そう宣告した。

7月23日に浙江省温州市で起きた高速鉄道(中国版新幹線)事故に関する報道で党中央宣伝部(中宣部)の通達を無視し、政府の事故対応を批判したメディアへの強烈な制裁だった。管轄組織の変更という想定外の措置に、中国のメディア業界では「新京報は死刑宣告を受けたも同然」との声が広がっている。

「都市報」台頭の裏事情

中国のメディア事情を知らなければ、この制裁にどんな意味があるのかピンとこなくても無理はない。中国ではすべてのメディアが共産党の指導下に置かれ、報道が検閲されていることは広く知られているが、メディア統制の“総本山”である中宣部があらゆるニュースを直接検閲しているわけではないのだ。

「主管部門」と呼ばれる管轄組織は、党中央、中央官庁、地方政府など複数のレベルに分かれている。中宣部が直接所管しているのは国営通信社の新華社のほか、人民日報、経済日報、光明日報、解放日報の4大紙、中国中央テレビ(CCTV)など一握り。検閲の基準も主管部門によりバラバラだ。例えば、地方政府の宣伝部は地元の不祥事の隠蔽には熱心だが、外地の不祥事の報道は放任することも珍しくない。

共産党はメディアを意のままに操る見返りとして、その経営を手厚く支えている。一般の国有企業は、1990年代から本格化した市場経済の導入で大規模なリストラや現業部門と社会福祉部門の分離などの痛みを味わった。だが、メディアは例外であり続けた。中宣部直属の大手メディアは現在も党および政府と一体であり、株式会社化など他業界では当たり前の改革は手つかず。職員の医療や退職者の年金などの重い負担を抱え、政府の資金援助なしには経営が成り立たない。

とはいえ、共産党も全メディアを丸抱えする余裕はない。そこで2000年代から、党の宣伝機関として温存するメディアと、ある程度の裁量を与える代わりに支援を打ち切るメディアの選別が始まった。そんななかで急速に台頭してきたのが、大都市を地盤とする「都市報」と呼ばれる新興大衆紙だった。冒頭の北京の「新京報」のほか、上海の「東方早報」、広州の「南方都市報」などが代表格である。

都市報は組織上は大手政府系メディアグループの傘下にある。しかし政府の資金援助は受けられず、経営は広告収入に依存している。広告を集めるには発行部数を伸ばす必要があり、ニュースだけではなく芸能、スポーツ、投資など庶民の関心が高い話題に多くの紙面を割いているのが特徴だ。政府の宣伝ばかりの新聞に辟易していた庶民は都市報に飛びつき、商業的成功を収めた。

だが、経済的に自立した都市報はやがて報道内容も独り歩きを始めた。高度経済成長の陰で庶民が不満を強めている貧富格差、環境汚染、官吏の腐敗などの社会問題を積極的に取り上げ、主管部門の検閲の限界を試し始めたのだ。

もちろん、自分の主管部門や中央政府を正面切って批判すれば潰される。しかし政府系メディアグループにとって、傘下の都市報は「金の卵を産むガチョウ」だ。主管部門のご機嫌取りで編集方針に干渉すれば、読者が離れて利益を失うことになりかねない。都市報の記者や編集者はそれを見透かし、親会社や主管部門の反応を試しながら、従来よりも踏み込んだ報道を一歩ずつ既成事実化していった。

なかでも一種独特の地位にあったのが新京報だ。同紙は2003年、広東省政府系の南方報業グループと中宣部直属の光明日報の共同出資で創刊された。北京の都市報でありながら、北京市宣伝部の管轄下にないという異例の存在だったのだ。新京報はその立場を活用し、競合紙が書きたくても書けない北京の社会問題を次々報道。それが市民の人気を呼び、発行部数第2位に躍進する原動力の一つになった。

北京市宣伝部にとって、新京報は目障り極まりない存在だった。同紙の創刊直後、宣伝部は市政府の各機関に対して取材に協力しないよう通達を出した。ところが、これは記者たちの反骨精神をむしろあおる結果に終わった。

北京市宣伝部には新京報に直接命令する権限がなく、圧力をかけるにはまず中宣部に連絡し、さらに光明日報を通す回りくどい方法をとらなければならない。実は、このルートは北京市自身があまり使いたがらなかった。自分たちがどんな不祥事を隠しているか、わざわざ中宣部に報告するようなものだからだ。

そこで北京市は「都市報は発行地で管理するのが原則」という論陣を張り、新京報の管轄権の引き渡しを求めていた。だが、南方報業と光明日報にそれを聞く義務はない。経済的補償もなしに金の卵を産むガチョウを手放すなど論外だ。

7月23日の高速鉄道事故は、そんな膠着した局面をひっくり返した。中宣部は事故の直後に「独自報道を控えよ」と各メディアに通達。しかし、多数のメディアが事実上それを無視し、独自取材によるスクープを競った。新京報は、北京の新聞のなかで質量ともに最も突っ込んだ報道を展開した。

「百花斉放」許さず見せしめ

中国鉄道省は事故原因の究明や人命救助よりも運行再開を優先。列車制御システムの欠陥を知りながら隠していたことも暴露され、世論の激しい怒りを買っている。

通達を無視したメディアを中宣部があからさまに処分すれば、怒りの矛先が共産党に向きかねない。そこで中宣部は、管轄権の引き渡しという表面からは見えにくい、しかし新京報には悪夢としか言いようのない制裁を下したのである。

新京報と同時に、人民日報の傘下にあった大衆紙「京華時報」の管轄権も北京市に移された。宣伝部はこれを制裁ではなく「文化体制改革」と称し、自画自賛している。両紙は今後、北京の退屈な競合紙と変わらなくなり、読者離れを招いて緩慢な死を迎えるだろう。通達を無視した他のメディアへの見せしめだ。

共産党の言論弾圧はかくも執拗なのだ。インターネットの発達や「微博(ウエイボー)」(中国版ツイッター)の普及により、中宣部がいくらメディアを統制しても不都合な情報を隠蔽することは現実には難しくなりつつある。それでも、歯向かう者は力で押さえつける党の“本能”はいささかも変わっていない。

   

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