『論語』の名言名句を子どもたちに伝えたい

安岡 定子 氏
「こども論語塾」講師

2011年2月号 LIFE [インタビュー]
インタビュアー 本誌 和田

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安岡 定子

安岡 定子(やすおか さだこ)

「こども論語塾」講師

1960年生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。漢学者である故安岡正篤の孫。全国各地で「こども論語塾」の講師を務める。『素顔の安岡正篤』などの著書がある。(祖父の遺影の前で。「安岡正篤銀座サロン」にて)

――2008~09年刊行の『こども論語塾Ⅰ~Ⅲ』(明治書院)が計26万部のベストセラーになっていますね。

安岡 いま、『論語』が静かなブームを呼んでいますが、漢字ばかりで難解なイメージも強く、子ども向けの本はありませんでした。私はさまざまな世代の人たちと『論語』を読んできましたが、人生経験の少ない子どもたちは、まず音で楽しみながら、名句に直感的に反応します。

江戸時代には、全国各地に寺子屋があり、当時の日本の教育レベルは非常に高かった。そんな寺子屋で最も重要な教科書が『論語』でした。先生が読み上げると、子どもたちが大声で復唱する。繰り返し読んでいくうちに、不思議と意味もわかってくるのです。

私の本は、500章ある『論語』の中から、短くてわかりやすい20章を選んだ入門書です。それを小さな手で広げ「子、曰わく!」と、声を張り上げて素読する子どもたちの輪が広がっています。

――「こども論語塾」を始めたきっかけは?

安岡 私にとって『論語』は身近な古典でしたが、本当に愛読するようになったのは、田部井文雄先生(千葉大名誉教授)の『論語』講座を受けてからです。そこからよきご縁に恵まれ、7年前に東京・文京区の名刹・伝通院で「文の京こども論語塾」を開塾しました。これがきっかけとなり、剣道の練習に論語を取り入れた宮城県塩釜市、国の重要文化財である「弘道館」で学べる茨城県水戸市、幼稚園・保育園のカリキュラムに素読を取り入れた宮崎県都城市など、九つの「こども論語塾」が生まれました。昨春には、祖父の書や原稿、著書等を展示し、その足跡を紹介する「安岡正篤銀座サロン」がオープン。ここでも「銀座・寺子屋こども論語塾」を開催しています。

――幼児には難しくないですか。

安岡 こども論語塾の生徒は子どもが4割、大人が6割。小学1、2年生が中心ですが、下は幼稚園児や0歳児まで、親兄弟や祖父母と一緒に学びます。大きな声で素読すると、漢文独特の美しいリズムが、自然に体の中に入っていきます。わずか2歳児でも好きな章句を暗記したり、幼稚園児が本を見ずに素読するなど、子どもたちは素晴らしい能力を発揮します。いま、幼稚園児の教室は三つありますが、お母さんが乳飲み子の弟妹を連れてきます。そういうクラスほどやりがいがありますね。

――定子さんは、いくつの時からおじいさまと素読をしましたか。

安岡 祖父をご存じの方からよく聞かれますが、そういう経験は一度もありません。もし、生前の祖父がスパルタ式で古典を学ばせようとしていたら、すぐに挫折していたでしょう。私は期待をかけられなかったぶん、伸び伸びとすごせました(笑)。それが祖父の一番の愛情表現だったかもしれません。けれども、祖父と暮らした二十数年が、私の人生の根っこを作ってくれたことは確かです。

――印象深い思い出は?

安岡 初めて真剣に『論語』を学んだ時、祖父の言葉を思い出しました。「人と相対する時に、相手の肩書や地位で自分の態度を変える必要はない。その人自身がどういう人物なのか、しっかり見る目を持ちなさい」「子どもは知識と経験が不足しているだけで瑞々しい感性を持っている。子どもにはわからないからと、いい加減な教え方をしてはならない。子どもに接する大人こそ上質でなければならない」──。祖父は長い人生で体験した出来事のほとんどを語ることがなかった。それだけに、たまに語る言葉は心に響きます。それが時を経て熟成され、体に染み込んでいくように感じるのです。

   

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