編集後記

2011年2月号 連載
by A

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本誌のコラムや記事から一冊の本が巣立つのはうれしい。手嶋龍一氏や高橋洋一氏、長谷川幸洋氏、小島英記氏、ゴードン・トーマス氏などがそうである。雑誌の文章は短いから、さまざまな加筆を経て一冊になっている。単にふくらませたのではなく、新たな構成、修辞、そして発展を見せてくれると、つくづく編集者冥利に尽きると思う。

▼今号で連載25回になる山本一生氏のコラム「日記逍遥」も、平凡社新書として『日記逍遥 昭和を行く』のタイトルで1月に出版された。連載の9話分を物語に織りなしているから、起伏があって印象が一変する。帯に「これぞ日記読みの醍醐味」とあるが、それだけでニヤリとした。世に「日記書き」はブロガーを含めて星の数ほどいても、「日記読み」は数えるほどしかいないからだ。

▼ときに鏡文字、ときに符丁で書かれることもある日記や書簡、私記を注なしで読むのは、気の短い人には苦痛だろう。交友や家族関係を熟知していないと、判じ物のようで投げ出す羽目になる。が、固有名詞の密林から一かけらの宝石をみつけるように、思いがけない邂逅や逸話に遭遇すると、どんな些末な一事でも無上の喜びを感じる。そのとき人は「日記読み」に生まれ変わるのだ。

▼暮れに山本氏の恩師、伊藤隆東大名誉教授をまじえて出版を祝う小宴を催した。笹川良一『巣鴨日記』や『有馬頼寧日記』の編者である耆宿(きしゆく)も無類の日記読みだ。最強の二人の和気藹々の応酬に、荷風の『断腸亭日乗』くらいしか日記を通読したことのない私は肩身が狭かった。倉富勇三郎の浩瀚(こうかん)な日記(48ページ参照)や巣鴨日記をつまみ食いして、知ったかぶりの本を書き殴る怠惰な連中は真の「日記読み」ではありえない。黙々と無数の固有名詞を記憶し、脳裏に交響させること。日記読みの異能は、他人の日常に憑依して、その宇宙を生きることにある。

   

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