「イナゴの国」に海上航空基地

2011年2月号 連載 [手嶋龍一式INTELLIGENCE 第58回]
by 手嶋龍一(外交ジャーナリスト)

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日米は関係を修復できるのか(1月6日、ワシントンでの会談後、会見に臨む前原外相とクリントン国務長官)

AP/Aflo

「政治主導を旗印に政権の座に就いた民主党は、結局、イナゴの大群でしかなかったのですね。日本の外交をずたずたに食い荒らしてしまったのですから――」

ケンブリッジ大学からやってきた若い政治学者は、ウィンストン・チャーチル卿の警句を踏まえて、こう表現してみせた。現実の外交とは、髪の毛一本という微かな可能性を探りながら決断を積み重ねていく業なのだが、素人の集団は政治権力を握ればかなりのことが可能だと思ってしまったのだろう。そんな夢見心地の振る舞いが日本の外交基盤を突き崩してしまったと言うのである。

チャーチル卿が『第2次世界大戦回顧録』で「イナゴの年」と呼んだ災厄の期間は、1931年から33年にかけてだった。当時のイギリスの政治は、ベルサイユ講和体制の軛(くびき)を脱しつつあったドイツの復活を眼前にしながら為す術がなく、欧州の要衝をみすみすヒトラーに委ねてしまった。第1次大戦の戦勝国はドイツに膨大な賠償金を押しつけ、一方で指導者たちは国内の政治抗争に明け暮れて、イナゴの大群が英・仏・伊3国の対独外交包囲網を食いちぎるに任せてしまったと指弾している。

2009年に誕生した民主党政権の外交もまた東アジアに災厄をもたらした。新興の軍事大国、中国が、東シナ海で軍事的攻勢を強めるなか、民主党政権は凛とした外交姿勢を取らなかった。そればかりか東アジアの波を穏やかなものにしてきた対中抑止力の基盤、日米同盟を揺るがしてしまった。太平洋を挟む日米の同盟は、自国の安全保障に役だっているだけではない。東アジア全域に平和と安定をもたらしてきた。それゆえしばしば「国際公共財」と説明されるのである。

日米安保条約は、アメリカには日本防衛を義務づける一方で、日本には在日アメリカ軍基地の提供を義務づけている。非対称な構造をもった同盟関係なのである。極東にひとたび有事が持ちあがれば、オバマ政権は迷うことなく極東のアメリカ軍に日本防衛に赴くよう命じるだろう。だが当の日本は、在日アメリカ軍基地を安定的に提供する義務を十全に果たしているとは言い難い。普天間基地の返還が日米で合意されて既に15年近く経つのだが、代替基地の移転計画は一向に進んでいない。日米の安全保障体制をバランスさせてきた日本側の義務が遂行されなければ、同盟の基盤は崩れてしまう。東京・ワシントン同盟をめぐる危機の本質はここに潜んでいる。

新年早々の1月6日、ワシントンで前原誠司外相とヒラリー・クリントン国務長官の間で日米外相会談が行われた。焦点の普天間基地の移設問題は、地元沖縄で反対論が強まっていることを考慮して決着を先送りする。替わって、中国の軍事的台頭に備える「日米の共通戦略目標」の見直しを先行させ、この春に予定されている日米首脳会談の準備を進めることで合意したという。

外相に同行した記者たちは「日米同盟の深化を優先させた」と報じているが、協議の内実はいまの日米同盟が迷走していることを窺わせるものに他ならない。日米同盟の礎である在日アメリカ軍基地の移設問題を置き去りにしたまま、どのように同盟を深化させていこうというのか。打開のめどがたたない基地移設を「共通戦略目標の見直し」で糊塗しようとしているにすぎない。菅・オバマ会談が行われても、普天間基地問題の進展なくして実りある首脳会談にはならないだろう。

普天間基地の移設を最大の争点に行われた先の沖縄知事選挙の開票を那覇で見守った。その折、再選を果たした仲井眞(なかいま)弘多知事のブレーンと踏み込んで意見を交わしたのだが、仲井眞陣営が県内に新たな基地の移設を受け入れる可能性がなくなったことを確信した。仲井眞知事は4年前の選挙戦で、普天間基地を3年間で閉鎖状態にし、辺野古沖に想定している滑走路を沖合にずらして建設することを条件に、普天間基地の移設を受け入れると表明した。だが再選を目指した知事選では一貫して「県外」を主張し、沖縄県内の移設に含みを残さなかった。

容認派だった仲井眞陣営を反転させてしまった責めは、歴代の自民党政権、新たに政権に就いた民主党、それにアメリカ政府の3者にある。自民党政権とアメリカ政府は、県側が示した条件を遂に詰め切れなかった。続く鳩山由紀夫前政権は、蜘蛛の巣のように絡み合った移転交渉の経緯を踏まえずに「少なくても県外」と公約し、地元沖縄の期待をいたずらに煽ってしまった。その果てに、深慮を欠いたイナゴの群れは、過大な基地の重荷を戦後一貫して担ってきた沖縄の人々の気持ちをも食い荒らしてしまったのである。

ここまで事態が錯綜してしまった以上、出発点に立ち返って、絡み合った利害関係者の糸を解きほぐすしかないだろう。中国の海軍力が日本周辺の海に黒々と影を落とすなか、日本は今後も日米安保体制に依拠して、同盟の抑止力を保っていくつもりなのか。日本国民の答えが「諾」なら、国民すべてが何らかの形で負担を分かちあうべきだろう。従来のように地元経済の振興策や基地交付金を積みあげて、沖縄県民に耐え忍んでもらうという発想はもはや通用しまい。  

その一方で、長大な軍用滑走路に離発着を繰り返す軍用機の騒音を我慢していいという本土の自治体など現れるまい。誰しもわが裏庭に厄介な施設を迎えたくはない。こうした制約条件を考えれば、現実的な「解」は、海上基地しかないだろう。これを機会に東シナ海に浮かぶ巨大な航空基地を構想してはどうだろう。

攻撃型の空母建造を進める中国側を牽制する意図をこめて、日本は防衛型の海上航空基地で対抗する。いたずらな軍拡競争を中国との間で繰り広げようというのではない。空母外交に乗り出そうとしている新興の軍事大国に新たな構想で立ち向かい、東アジアを覇権の海に染めてはならないという明確な意思を示してみせる。それでもなお中国側が強硬な姿勢を続けるなら、アメリカと連携して海上の航空基地を琉球列島から台湾に到る第一列島線に沿って台湾海峡に徐々に近づけていけばいい。オバマ政権の関係者は、「日本側の政治的理解が得られ、アメリカ軍の作戦上の運用に支障がないなら検討してみる価値はある」と海上の航空基地構想に密かな関心を示している。

東シナ海に浮かぶ航空基地の建設には巨額の費用がかかる。既存の防衛費のやりくりでは到底実現しまい。日本の納税者の理解を得て、特別立法による臨時の増税に踏み切るしか方策はないと思う。だがこれを機に新たな国民的な論議が巻き起こるならば、単なる基地建設問題を超えて、日本の安全保障の在り方に新たな地平を拓くことになろう。

著者プロフィール
手嶋龍一

手嶋龍一(てしま・りゅういち)

外交ジャーナリスト

NHK政治部記者を経てワシントン特派員、ドイツ・ボン支局長。ハーバード大学国際問題研究所フェロー。1997年から8年間ワシントン支局長を務め、2005年独立。

   

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