「ヒルズ族」のインサイダー摘発に法律の壁

2010年2月号 BUSINESS

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昨年11月、一人の男がインサイダー取引の疑いで東京地検に逮捕・起訴された。男の名は傳田弘顕。プルデンシャル生命保険で世界一の営業成績を誇るトップセールスマンだ。昨年3月に強制調査に踏み切った証券取引等監視委員会(SEC)は、約8カ月間の聴取を経て傳田を告発に持ち込んだ。実は、この事件でSECは当初、別のターゲットも狙っていた。それは傳田の顧客の中核をなす「ヒルズ族」たちだ。

外資系生保の営業マンの年収は、日本の生保のような給与所得ではなく、販売実績に比例した報酬が大半を占める。プルデンシャルは販売手数料が他の外資系に比べて際立って高く、特に変額保険など顧客サイドのリスクが高い商品ほど手数料が膨らむ。傳田は国内の証券会社からの転職組。プルデンシャルの社員は「傳田さんは多摩地区にある立川支社の所属ながら、都心で開かれる異業種交流パーティーに頻繁に顔を出しては、証券会社の外回り営業マンさながらの売り込みをかけていた。凄い営業成績を残せたのは、販売手数料の高い外貨建ての変額保険を売りまくったからだ」と解説する。

変額保険が一種の株式投資信託であることはよく知られている。ましてや外貨建てであれば、もはや生命保険とは言えないだろう。「こうした危険極まりない商品を傳田から購入していたのが、新興市場で自社株を上場して大儲けした、いわゆる『ヒルズ族』の面々だった」(前出のプルデンシャル社員)

ちなみに傳田は2007年、3千万円余りを投じて「アーティストハウスホールディングス」の株式3千株を取得している。ア社は04年に東証マザーズに上場したが、昨年4月に上場廃止になった。既発の転換社債型新株予約権付社債の行使価格を再三にわたって引き下げたため株価が暴落。07年当時の経営陣が、前社長の楠部孝らを相手に損害賠償請求するなど、株式市場では有名な「不良銘柄」だ。そのア社の株式0.85%を、傳田が保有しているのだ。

SEC関係者によると、傳田の逮捕につながったIT関連企業「テレウェイヴ」(現SBR)のインサイダー取引事件で、SECは当初、十数人の摘発を目論んでいた。そして、その多くは傳田の顧客の「ヒルズ族」だったという。事件の構図は、07年3月期の連結決算の業績予想が下方修正されることをテレウェイヴ社員から聞いたテレウェイヴ子会社の元役員渡辺寿が06年11月、同じ子会社の元社員渡邉忠、それに知人の傳田と共謀してインサイダー取引をしたというもの。傳田と渡辺は異業種交流会で知り合い、渡辺が傳田の顧客になったという関係だった。

傳田の容疑は、渡辺が傳田名義の口座を借りて空売りし、事実の公表後に買い戻して不正な利益を分配した「共謀」という形で成立している。

「インサイダー取引」という犯罪構成の中で、傳田は「第2次情報受領者」に当たり、共謀がなければ立件対象とならなかった。事実、傳田は自分名義の別の口座でも空売りして数千万円の利益を上げていたが、共謀関係を問えないことから、この利得の立件は見送られている。傳田はこの取引についてのデータを、レンタルしていたトランクルームに隠していた。しかし、自分が第2次情報受領者に当たることも熟知していたため、強制調査後も「オレは絶対に逮捕されない」と豪語していたという。

「テレウェイヴ」株の空売りで利益を得ていた投資家の中には、傳田の顧客とみられる「ヒルズ族」が複数おり、SECはここにもメスを入れようとした。しかし、傳田自身が「第2次受領者」だとすると、その顧客は「第3次」以下になり、現行の金融商品取引法(旧証券取引法)では立件できないことになる。あるSEC幹部は「傳田がインサイダーの主役と筋読みしたが、端っこにいただけだった」と悔しがる。

佐渡賢一委員長率いるSECは、これまで経営が悪化した企業を増資の「ハコ」に使って不正な利益を得る「資本のハイエナ」や、インターネットを利用した取引で株価操縦する投資家グループにメスを入れ、株式市場の公正化に向けた手を打ってきたが、「お互いの会社のインサイダー情報を交換し合って儲けているヒルズ族」(ある若手経営者)を摘発するには法律の厚い壁がある。

   

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